帰りのHRが終わりを告げて、今から部活が始まる。
「なあ、なまえくん!」
昼休みも聞いた声にびくっと肩が跳ね上がる。
一週間のうち唯一運動部と文化部とが休みという今日。
白石に捕まる前にさっさと学校を後にする、という俺の計画はものの見事に破断した。
HR終わって直ぐ様入って来るとかどんだけだよ。
しかも今日に限って。
いつもはもう少し後になってから教室に来るくせに。
「何」
「なまえくん、今日部活無いんやってな」
「何故知ってるし」
「クラスの奴に聞いてん!」
「(もう、何も言うまい)……蔵は部活だろ? 頑張れよ」
俺が労いの言葉を口にしたのが大層意外だったのか。
大きな瞳をキラッキラさせる白石。
顔の造形は整っているから、そんな喜んだ顔も様になるわけで。
「なまえくんが、頑張れって……頑張れ……ッエクスタシー!」
だけれど、心がほっこりしたのは一瞬だった。
本当に台無しだな! お前の台詞は!
不本意ながら聞き慣れた口癖は聞かなかったことにし、軽い鞄を肩に引っ掛ける。
俺は帰って家でのんびりまったり過ごすんだ。アデュー。
「なまえくんが頑張れ……って、どこ行くねん!」
「いや、部活ないし……普通帰るだろ」
「あッかん!!」
「ッう、お!! ちょ、肩っ、肩に鞄、食い込んでる……ッ!」
白石が(何故か)悶絶している間に横を通り抜けて、不意に背後から阻まれる。
手加減無しに思いっ切り鞄を引かれたものだから、持ち手が食い込んだ。
お前の力はんぱじゃねーんだから、少しは自覚を持て自覚を。痛いっつの。
白石に引っ張られるがままに振り返って、俺の鞄がばっと引っ手繰られた。
「……あの、蔵ノ介さん?」
「何や」
「いや、何やじゃなくて……鞄返そうか」
「嫌や」
「……新手の嫌がらせか」
目の前の我儘王子が何を考えているのか、皆目見当の付かない俺は取り敢えず鞄に手を伸ばした。
まあ、勿論俺の手は空を掻くわけなのだが。
手を真っ直ぐ伸ばせば、それを避ける様に鞄を上に。
上に伸ばせば、やはり俺の手を避ける様に右下に。
なんて遣り取りを数回繰り返して、俺は遂に返してもらうことを諦める。
深々と吐いた溜息に白石はぎゅっと鞄を強く抱き締めた。
「お前は何がしたいんだよ」
「部活」
「部活……が、何。蔵は部活あんだから、早く行かなきゃ駄目だろ」
「……テニス部見に来て欲しいんや! やないと、鞄は返さんっ!」
「はあ? って、おい、白石! ……行っちまった」
思わず口走った「白石」の呼び名にも反応せず、段々と小さくなっていく背中。
猛ダッシュしているのか直ぐにその背は見えなくなった。
教室に取り残された俺はといえば、手持無沙汰で呆然と立ち尽くしている。
教室の奴らも知らない間に各々の部活に出払っていた。
正直なところ鞄が無くても何一つ困らないのだけれど。
あいつとは違って置き勉してるし、弁当はあいつが作ってくるし。
財布と携帯はポケットだし……あれ、あの鞄の中って何入ってたっけ。
「……でも、行かねーと白石五月蝿いしなー……あああ、もう!」
がしがしと頭を掻いて、結局あいつの望み通りにテニス部へと脚を向ける。
さよなら、俺ののんびりまったり時間。
***
テニスコートに着いて先ず思った事は“凄い“の一言だった。
テニス部が全国レベルだということは一応知っていた。
でも、そのテニスを間近で見たのは初めてで。
「(……あ、白石居た)」
「謙也、グリップの握り甘いで!」
「分かっとる、っちゅー話や!」
テニスをしている白石は純粋に楽しそうで。
普段の振る舞いが嘘みたいに綺麗でカッコよく見えた。
ここだけを見たら普通にイケメンで済むんだけどなあ。
「40-0!」
「んんーっ、エクスタシー!!」
「……」
うん、やっぱ残念なイケメンだ。間違いない。
痛むこめかみを押さえながらコートを見てると対戦相手の忍足と目が合った。
そして、向かいの白石に何かを喋ったと思ったら物凄い早さで奴が振り返る。
「なまえくん! 来てくれたんやな!」
「いや、お前が鞄を拉致ったんだろ」
「せやかて、ほんまに来てくれるとは思わなかってん」
嬉しい、とはにかみながら白石は言った。
ついさっきまで動いていた所為かも知れないが頬を火照らせて。確かにそう言ったのだ。
その表情が褒められた子供みたいにあどけなく、胸がどくりと鳴った気がした。
「っ……まだ、打ち合いの途中だろ? 戻んなくて良いのか?」
「なまえくんがキスしてくれたら戻るわ!」
……。満面の笑みでぬけぬけとそう言いのけた白石。
こいつの表情に騙されたさっきの自分を殴りたい。
端正なこの顔から発せられる言葉が、全てをぶち壊した。
だがしかし断る。
(何故そうなる……いいから、さっさと戻れ!)
(ええー! してくれへんの?!)
(ッ誰がするか!)
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