失言。
正にそんな単語が似合う様な表情だった。
押さえつける俺から逃れようと押し返していた両腕がぼとりとシーツの上に落ちる。
青褪めた顔色に拍車がかかって、顔を横に背けるみょうじ。
その呼気は若干荒い。気がする。
「味覚、障害……」
「……っ、……ちく、しょ……」
苦味きった顔付きに震える声。
耐える様に腕で目元を覆ったみょうじの姿に俺の背筋には冷たいものが流れて。
一瞬の間に今までの自身の行動が早送りで流れて行った。
『どうせ味なんてどれも変わんないんで』
『味なんか……どうでも良いんですよ』
『……食感、最悪』
『――――ッだから、分かんないって言ってんだろ!』
そうだ。俺は知っていたはずだ。
言動から滲み出る苛立ちとは明らかに異なった色を。
「お、れ……みょうじ、っ」
「ッだから、嫌だったんだよ……! い、加減放せっ」
全く力の籠められていない手で俺の腕は退けられて、みょうじはその身を捩る。
そして、押し倒している俺の隙間から脱け出そうとした。
だけれど、心許ない両腕がみょうじの自重に耐えられるはずもなく。
「!? おいッ!!」
「……っ、!」
がくっと折れた腕にバランスを崩し、傾いた身体の先は硬質な床。
咄嗟に腕を掴んで引き寄せたが一拍遅かったようで俺も床に滑り落ちた。
辛うじてみょうじの下敷きになることには成功するも、腹の上から起き上がったみょうじは至極苦しそうで。
何かを発しようとして、漏れたのは微かな吐息のみ。
身体を動かすのを困じているのは明らか。
それでも、ゆっくりと俺の上から床の上へと移動した。
「(! 確か、ポケットに……っ)」
「……っく、ぅ……もう、一人にさせ……!」
「これ、食え!」
「い、らない! いいからッ……出て、っ?!」
ポケットに入っていた俺の非常食。チョコレート。
こんな少量でどうにかなるとは思わないがないよりマシだ、と差し出すも一向にその口は開かない。
頑なに拒否の姿勢を崩さないみょうじに痺れを切らして。
封を開けて茶色の塊を放り込んだのはみょうじの口、ではなく俺の咥内。
そのまま奴の唇を俺ので塞ぎ、そのことに驚いている間に更に指で鼻も塞いでしまう。
こうすれば、いずれ苦しくなって口を開けるという算段だ。
その瞬間が狙い目。
「……っ、ぅ……っは、?! ん゛、む……ッ」
「んっ……っ、く……はあっ、っは、ぁ……吐き出すんじゃねぇ!!」
「っ! ……ん……っぐ」
「お前は完ッ全にエネルギー不足なんだよ……!」
額をこてんと肩口に乗せた状態で正面からきつく抱き締められた。
痛いぐらいの抱擁。
その最中に嚥下したどろりとした物体。
口周りと喉にべったり張り付く感覚が気持ち悪かったが、不思議と嘔気はやってこない。
むしろ、さっきまで感じていた焦燥にも似た何かが消えてしまって。
頭は冴え全身は脱力してしまった。
「一体……何、なんだよ」
「、みょうじ……?」
「なんで、あんたはそんなに、俺に構うんっすか……」
「なんでって……言っただろい」
首に回された腕は解かれないまま、この人は顔を上げて赤い舌をちらつかせる。
ぐっと狭まる距離。
「お前のことが知りたいって」
あ、と思った瞬間には既に赤いそれが口の端から垂れていたものを舐め上げていた。
挑発的な赤に混ざる茶。
それは散々見せつけるだけ見せつけておいていとも容易く奥へと引っ込んだ。
それしか考えてねぇよ、そう言い終わるか否か。
また赤が今度は自身の唇に付いていた茶を掬い取った。
「……へぇ……なら、それは無意識……?」
「は? なにが……!? っ、……っふ……ぁ、」
「ん……っ……、はっ……ご馳走様」
「……っお、おおおま! い、ッいま、いま!!」
正常な言葉も喋れずその派手な髪の色に負けないぐらい顔を真っ赤にさせたこの人は実に俊敏に俺から離れた。
離れたのを良い事にこの人を放置して俺はのそのそとベッドに潜り込む。
あー、寝心地悪い。
薄手の掛け布団を首辺りまで引き寄せたその手でそっと唇に触れて。
恐らく身体的には色々と足りていないのだろうけれど。
それでも今は、満ち足りた気分であった。
「……丸井先輩」
「!! ぇ、ぁ……何、」
「明日から……また、作ってきてもらえますか」
「! ッまかせろい!!」
本当に嬉しそうに胸を叩いた丸井先輩。
その笑顔が眩しくて直視出来なくて、さっさと俺は寝る体制をとる。
空気が動いてどうやら教室に戻るようだ。
「取り敢えず、放課後何か食いに行くからな! 勝手に帰んじゃねーぞ!」
と、去り際に言われて手だけ振り返しておく。
そして静まり返った保健室に促されて目蓋を下ろした。
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