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「……ぁ…」


ヤバい、そう思った時には既に遅かった。
前兆はかなり前からあったわけだから、単純にこれは俺が招いた結果。
ほぼの食事を摂らずに全時間直立の全校集会なんて、倒れるフラグ立ちまくりじゃねぇか。
人口密度の高い体育館は今の俺にとっては酸欠を招き易い。

案の定、脳内が警鐘を鳴らした途端前の奴の後頭部が霞んで全身の力が抜けた気がした。
そして遠退いた声の向こう側から聞こえたざらついた声が不快だった。



***





『――――…でも、……てれ…』
『――…ゃ…なか、す……ぁ!』
『…も、邪魔…の…ッ!!』


弾かれた手。降りかかった高飛車な声。竦んだ小さい身体。

鈍色に光る照明があの人と冷たい食卓をぼんやりと照らしていた。
きらびやかに着飾ったあの人は幼子を汚く罵る。
鼓膜を劈く威圧的なそれは、鼓膜を突き破って深く深く刺さった。

どんなに不条理で悪条件な場所だとしても、幼子にとってはそこが全てで。
周囲に漏らせば今の居場所を失う、と幼いながらに理解していた。
力なく床に項垂れる日々が続き、変調は突然訪れる。

消えたのだ。

あの人の機嫌を損ねる感覚が一切無くなって幼子は嬉々として口を開かなくなった。
されどその代償は、胸にぽっかり空いた虚無感と感覚を捨てた器官。
それでも。きっとどこかで叫び続けていた。




『…な…、すいた……た、も…だい…』
「――――…、…ぃ…」
『な、か……ちょ、だ…』
「――…ぉ…!」
「、……か…さ…ちょ、だ「ッ、……おい! みょうじ!!」




どろどろに歪んだ世界がその声で一気に真っ白なものに転換される。
かっと見開いた視界にあったのは目に痛い程明るい赤髪。
その髪の持ち主は必死の形相で俺の肩を掴んでいた。

そうだ。俺は倒れて、何故この人が居る……?

上手く働かない頭のまま茫然と男にしては可愛らしい顔を見やって、ああ…泣きそう。
背中に感じる微妙な硬さとこの人の周りを埋め尽くす白。
ここは保健室で、俺は横になっていて。
喉がカラカラに渇いている。


「な、に……」
「……な、で! お前そんなッ、苦しそうなんだよ……!」

苦しそう。
他人から形容されるとそれは顕著に身体を這いずり出す。
この感覚を俺は覚えている。

昔に蓋をして目を背けてきた、嫌な感覚に走る戦慄。

先の曖昧な意識が一瞬にして吹き飛び全神経が逆立つ。
そして、震える両手がこの人の肩を押し退けようと躍起になった。


「っな、せ……! 出てけッ」
「わッ、ちょ……暴れんな!」
「何しに、きたッ! ……く、っそ……も、かかわんな……!!」
「っ、……嫌だッ!!」


更に加わった肩への力は俺の力の入らない弱弱しい腕では到底敵うものではなく。
ぎりぎりと爪がめり込んでいるのではと錯覚させる程強いものであった。
そうして、少し浮いた身体はいとも容易く硬い布団に押し付けられる。
初めて会った時以来の怒声。
しかしてその声には怒りよりも他の色が濃く感じられた。


「なぁ、俺にも教えてくれよッ……! 幸村くんにだけ、じゃなくてさぁ……っ!」
「!」


ぱた。ぱたた。
温かいものが上から降ってきて頬からシーツへと落下する。

俺の抵抗が止まった。
否、抵抗が出来る雰囲気ではなくなってしまった。
彼がその空気を削いだのだ。

仰視してまず目に入るのは鼻を啜って涙を溢す丸井ブン太、先輩。
悩まし気に寄せられた眉と噛み締められた唇。
薄い膜を張った眼はその飽和量を越し、滴となって滴下してくる。熱い。


「知りたいんだ……ッ、みょうじのこと……! も、食べ物なんか関係なく!」
「……」
「、なぁ……っ!! みょうじッ」
「っ……」


ずるい。今のこの状態でこの表情するなんて。
この人が泣く必要なんか、微塵もないのに。
鈍った思考がこの人の行動に流されて、小さな歪から生じた隙間。
そこから今まで溜めてきたものが溢れでてしまう。


「そ、な……大層な理由なんか、っ」
「俺じゃ、駄目なのか!? ……ッ、みょうじ……!」
「、ッ……あんたは!」


話す気なんてこれっぽっちもなかったはずなのに。
懇願というよりは切願のような声質に俺は耐えきれなかったようだ。
一度。口から飛び出してしまえば後はただただ流れ出ていくだけ。




「――――自分の時間を割いてまで、弁当を作る必要なんかないしッ! 俺のことを、っ知りたがって泣く必要もない! も、ほっといてくれよッ――……たかが味が判らない奴の我儘なんか!!」



「!?」
「……ぁ……」


ぞく、身体の温度が下がった気がした。
今更口を噤んでも。もう遅い。
ああ。この口が憎い。




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