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「お前、また昼食わねぇのかよ」


呆れたそれでいて心配そうな声と言葉に漏れる溜め息。
これを聞くのが何回目かも最早分からない。
切原には悪いが取り敢えず聞き飽きたというのが俺の正直な感想だ。


「あー……いらんいらん。昼なくとも人間生きられるものなのだよ、切原くん」
「うっわ、お前がくん付けなんて気持ち悪ぃ!」
「……だろうな。俺も自分で言ってキモかった。おー、さぶっ」


おどけた風に自身の両腕を擦れば、何が面白いのかけらけらと笑う切原。
こいつはこれで良い。
何も知らず何も疑わず、ただひたすらに普通に接してくれれば。
ここまであからさまに食に対する嫌悪感を丸出しにしていてなお、こいつは深く追究してこない。
それが楽であったし、嬉しくもあった。

こいつからすれば単純に興味が湧かない、それだけであったとしてもだ。


「みょうじくんっ、ちょっと…良い?」
「んあー? 何……っと、ちょっくら行って来るわ」
「っんぐ、おお」


返事をしつつ凄まじい勢いで弁当を平らげる様を横目に留めて、どっちか片方にしろよと思う。
言ったとこれで改善は見込めないから言わないけど。


「っあ、あの……これッ…」
「はあ……ども……」
「私どうしてもみょうじくんに……受け取ってもらいたくてっ――――」


相槌を打つ自分の声がまるで他人のものの様に遠く感じる。
ぐにゃり、知らない女子が差し出している物の外形が歪んで咄嗟に片手を壁に添えた。

ほんの一瞬の出来事。
ほんの些細な違和感。

動作が自然過ぎたのかそこまで気が回らないのか知らないが目下の女子は何も言ってこない。
せり上がる嘔吐感から必死に目を背け、女子の長ったらしい話が終えた時には酷く倦怠感に襲われた。
だけれど、これでも表情を偽ることは得意な部類だ。
受け取ったことへの礼を言う女子にこちらも普段の笑みを貼り付けて、席に戻る。

不思議ともうこういった物を捨てる気は起こらなかった。




「切原、これやる」
「ん? お、おお……」




恐らく一時的なものだろう、そう短絡的に片付けて深呼吸を一回。
治まれ。何度も言い聞かせる。
ふと視線を感じ、知らず知らずのうちに俯いていた面を上げた。


「……? なに、」
「お前、丸井先輩が作ってこないから食べねぇのか?」
「――――……は、あ?」


らしくなくも至極真面目な顔付きにバレたかと思えば、頓珍漢な問いかけ。
意味が分からず上げた声は素っ頓狂なものだった。
今のどの空気であの人の名前が出てくるのか甚だ疑問だ。


「……意味分かんねぇし」
「だってよー丸井先輩が来る前はさ弁当持ってきてたじゃん」
「いや、だからってさぁ……」
「違ぇの? 俺はてっきり丸井先輩の弁当を食べるから弁当持ってこないんだとばっかり」
「あー……あの人は全く関係ないから」


有り得ない、という言外の意味合いも込めて顔の前で手を振る。
「そうかぁ?」未だ不服そうな切原を話題を変えることで丸め込んだ。
ただし、あの人に弁当を食われてから弁当を持ってこなくなったのは事実。
故に、己の行動の浅薄さと切原の存外な目敏さに違う意味で頭が痛い。

今から思えば、周囲の変化と俺の行動の変化は不本意ながらも重なっている。
見方によっては切原がその考えに至ったのも頷ける様なタイミングだった。


「げ……数学のノート忘れた」
「っはは! 馬鹿じゃねぇの!」
「るっせ! ……もう、寝ようかな。別に聞かなくたって分かるし」
「うわーさらっと嫌味きたー」


普段通り振る舞って、返ってくる反応も普段通り。
このまま事がうやむやになってもらいたいものだ。
あの人が来なければ詮索もされない。
そうすれば、全て元に戻る。


「……もう来たし」
「いつも来んの早ぇっつの」


敢えて気がかりがあるとすれば。
家で出てくるものが喉を通らなくなったことだろうか。
あの何も入っていない気持ち悪い淡泊な物体。
見栄と虚勢を張って、無理矢理胃に押し込んだ日には一日中不快だった。
酷い時には吐き戻した。




「きりーつ、礼」
「えーでは……今日はまず、昨日出した宿題の解答から――」




つらつらと言葉を羅列していく教師の声が遠退く。
そろそろ…精くんがくれたやつが無くなってしまう。
その前に買い足しておかなければ。
今のこの状態で唯一何の異常も無しに食せるのはあのお気に入りのゼリーと……多分、あれだけ。
かなり、不思議ではあるけれど。

あれは嫌いじゃない、気がする。

意識を現実に向けなければ、向かう先は微睡みの彼方。
俺が眠りに落ちるのにそう時間はかからなかった。




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