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仰視した視界にはなまえしか居らんかった。
ということはなまえの視界にも俺しか居らんということ。
そこに不満はない。

だけれど、身体中が痛みに悲鳴を上げて身体的気分が悪い。
無抵抗の俺の鳩尾になまえの蹴りが何度も入れば込み上げてくる嘔吐感。
それを何とかやり過ごして止まらない猛攻に呼吸困難を引き起こす。
身体が酸素を欲していた。


「……っは、……は、っ……ッ」


苦痛には耐性が出来たつもりだったけれど、実際はそうでもなかったらしい。
気道が酸素を通して押し広げられる感覚。
筋肉が軋んでずきずきと痛いと主張する。

反射的に鳩尾と胸元を両手で押さえるもこの感覚が無くなるはずもなく。
ただなまえの怒りを買うだけという不毛な行為。

不意にしゃがみこんだなまえと視線が交差して、左手で髪を鷲掴みされた。
ぶちぶちと髪が抜ける音と触感に無意識に顔が歪んだ気がする。


「……何やねん、その顔」
「、ぅ、あ゛……なまえ、ッ……!!」


左手で髪を右手で肩を抑えつけられた俺はされるがまま壁に叩きつけられる。
息が詰まる程の衝撃を背中全体に受けて、部屋の何かが壊れた音がした。
だらりと投げ出した左手にコツンとぶつかる物体。


「ホンマ苛つく……!」
「なまえ、ッ……ごめん、なさ……っう゛、ぐ!」
「心にもないこと言いなや」


ぴしゃりと言い放った冷たい言葉に背筋を戦かせながら、俺は再度謝罪を口にする。
ごめんなさい、別に心にもないことではなかった。
ただ意味合いが違うだけ。

余程俺の謝罪が気に食わなかったのか、険しかった表情を更に厳つくさせて力の籠った左手。
それに苦痛を感じる前にもっと強い衝撃が左側頭部付近を直撃した。

床の上には黒い固形物。
当然押し負けたのは俺の表皮。
砕けた破片が深く皮膚を抉って生温い体液が頬を伝い落ちる。


「――――ッ!」
「止め言うたやろ!」
「ご、め……っぁ゛!!」
「っは、謝ればええと思ってんちゃうか? あぁ?!」
「ひっ、……ぅ……ッぅ!」


威圧的な怒声が全身に降ってきて竦み上がる。
怖い。でも、ここで俺が恐怖を露にしてはいけない。
俺になまえを否定することは許されないのだから。


「どうせ自分も俺を憐れんどるだけなんやろ!! はっきり言うたらどや?!」
「ぁ、ぅ゛……ちゃ、ぅ……ちゃう、よっ……っぐ、ッ、」
「白々しいわ……!」


まるで物のように床に何度も叩き付けられて頭がぐわんぐわんと揺れる。
視界を妨げる赤が邪魔で上手く目が開けられない。
不意に俺の髪から離れたなまえの左手が自身の頭を掻き毟れば、霞んだ視界の先の痛々しい顔付き。
ごめんなさい。
なまえをそないに苦しめる原因を作ったんは俺なんや。




「同情なんかでッ……傍に、居んなや!」
「俺はっ、憐れんどらんし、同情もしとらん……ッ」




疑心と不信の眼差しが鋭利に今度は胸を抉る。

嘘吐き。

なまえの双眸が確かに言っていた。
確かに俺は嘘吐きや。
ごめんなさい。
なまえから小柳さんを奪ったの俺やねん。

事実を知らないなまえと事実をひた隠しにする俺。
きっと辛くて苦しいのはこの人だから。

また降り下ろされた拳と脚。
せり上がってくる吐き気。



そして俺は全てに蓋をする。




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