「来週、留学組が帰ってくるらしいで」
出会い頭にそう言われた。にやにやとした嫌な笑み。
その伊達眼鏡を叩き割りたい衝動に駆られる。
帰って来るから、何だ。
今目の前に現われる訳じゃないのに。
「そうですか」
「なんや……おもろない返事やな」
「俺に面白い返答を求める方が土台無理な話です」
そうやって無関心を装い鼻で笑ってやった。
本当は若干気になっている。
だって、留学組にはあの人が居て。
それでも虚勢を張ったのは、単純にプライドの問題。
この人の前で本心を晒すのは耐え難かった。
「……の割には、浮き立っとるみたいやけど」
「……忍足さんの勘違いでしょう」
「ま、そゆことにしとこか」
したり顔の忍足さん。
まるで俺の言わんとしていることが全て分かっている。
そう言っているみたいで。ああ、苛々する。
「というより、知ってますし」
そう言い放ったことに少なからず驚きを覚えたようで。
目を丸くする忍足さんが可笑しかった。
だけれど、驚愕の色を見せたのはほんの数秒。
直ぐにつまらないとでも言うかの如くわざとらしく息を吐く。
「つまらんわ」
「それは結構なことですね」
「……ほんま可愛ないやっちゃな」
大きなお世話です、声と目付きを鋭くさせながら一睨みして背を向ける。
こんなところから一分一秒と早く立ち去りたい。
勇み足に突き進んで部室から出る、というその時にまた声をかけられた。
「せや。今日なまえの奴電話する言うてたでー」
「!」
それに、不覚にも脚を止めるという反応を返してしまって。
忍足さんの含み笑いが癪に障る。
耳に付く笑い声を振り切るように今度こそこの場を後にした。
今日、なまえさんから電話が来る。
それだけのこと、なのに。
あの人の言う通り浮き立つのが悔しくて堪らない。
堪らないけれど。
「(……早く聴きたい)」
楽しみにしているのは事実なのだ。
最後に聞いたのはいつだったか。
少なくとも日単位ではない。もっと長い。
ぼんやりと脳内でなまえさんの姿を思い浮かべれば、かあっと顔が熱くなる。
あからさまな自身の反応が恥ずかし過ぎて、片手で顔を覆いながら帰路に着いた。
***
「それでは……おやすみなさい」
家族に挨拶を済ませて、怪しまれない程度に素早く自室に籠もる。
さっきメールが合ってこっちの都合が付いたら電話するとのこと。
携帯を握り締め「空きました」の一言。
その一言を送って布団にうつ伏せる。
早く、早く早く。声を聞かせて。
「、っ!!」
手の内の媒体が震えた。
ディスプレイには"なまえさん"の文字が表示されている。
慌てて通話ボタンを押して通話口から漏れる喧騒。
そうだ。向こうはまだ昼間。
『もしもーし……若?』
「っぁ、なまえさん……!」
『あー……うん。久し振りの若の声だー……』
脱力したその喋り方。鼓膜に心地良い低音。
どれも久方振りのもので、自然と頬が緩む。
やはりこの人と話をするのは落ち着く。
そしてそのまま時間は刻々と過ぎていって、それは突然起こった。
『……ッ、あー……やべ』
「?何がですか」
『……聞いたら、若絶対引く……』
と言い淀むなまえさんに眉が寄る。
今までこんなことはなかったのに、どうしたというのか。
「何なんですか」
『いや、マジで……聞かない方が……』
「……引きませんから、はっきり言ってください」
『……勃った』
「は?……――…ッ!!」
ワンテンポ遅れてなまえさんの言葉を理解して、言葉を失う。
電話口の向こうで「ほら、やっぱりー…」なんて間延びした声が聞こえて。
別に引いたわけではないと弁明する余裕もなく、ばくばくと激しく脈打つ心臓を収めるに必死だった。
『暫くしたら収まると思ったから黙ってたんだけど』
「……」
『あー……ごめんな? 俺も男だからさー欲求不満に若の声はちょっと……こう……ムラっと』
「……帰って来るのは、来週でしたよね」
『え? ああ……そ、だな』
困惑した声色。
いきなり黙りこくった俺に戸惑っているようだ。
「ああ」という何気ない感嘆詞にさえ、意識した所為か情欲が孕んでいる気がして。
全く反応を示していなかった下半身が熱くなる。
なまえさんが帰国するのは来週。
なまえさんが留学したのは先月。
つまり、丸一ヶ月。
部活に専念し過ぎて忘れていたがそんなに事に及んでいなかったのか。
「なまえ、さん……」
『ん、どした?』
「俺で、ヌきますか…?」
『っ、ちょ……若! そゆ台詞ヤバいって……!』
珍しく焦った声を少し嬉しく思う。
いつも余裕綽々でちょっとやそっとのことでは焦らないあの人が。
俺に欲情して、それを覚られて狼狽えるなど。
どくり、本能に従順な性器が脈打った。
それを認めた途端にじわじわと理性が食い破られていくのを感じて。
恐る恐る、前に手を伸ばす。
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