そう言って千石は笑った。
薄暗い影を湛え憂いを押し込めた、そんな儚げな笑み。
それに驚いて、又は困惑して――みょうじは酷く曖昧な表情で相槌を打った。
彼らしからぬものだったのだ。顔付きも雰囲気も。そのなにもかもが。
テニスに向かう真剣な眼差しではなく。女子に向けたふしだらな物言いではなく。
ただ本当に思っているような。端的に言えば、みょうじの知らない表情だったのである。
「……意外と、お前、乙女だな」
「乙女じゃなくてピュアって言ってくんない?」
「ピュアとか……っは、一番似合わない奴がよく言うわ」
呆れたと言わんばかりに首を振って、みょうじは携帯に視線を落とした。
直視は避けたい。その一心での行動だ。
恐らく動揺を隠しきれていないことは聡い人間でなくとも一目瞭然だろう。
そのような、みょうじにしてみれば情けない姿を容易く晒したくはなかった。
意味なもく携帯を弄って、次の話題を必死に探す。
これは触れてはいけない話題であったのだ、忘れよう、何度も言い聞かせるけれど。
耳に残って離れない。だから、出来心故に先を促してしまった。
「で? どうしてそう思うんだ?」
「人間は汚く都合が良いからね。深く知り探れば醜い面を見ることになるかもしれないし、嫌な思いもするかもしれない」
誰だ、こいつは。
目の前で滔々と喋っている彼が余りにも今までの千石とかけ離れ過ぎて、理解が追い付かない。
「なら、それらに汚されてしまう前に全てに蓋をしてしまえば――――良い思い出で済むじゃないか」
「……それは、逃げじゃねぇの」
「だろうね……でも、そこらへんの女の子に振られるのとは訳が違うんだよ。俺は、弱いから」
そうするしかないんだ。そう言いながら小さく頭を振る。
千石がそれに滲ませたのは諦めで、決してみょうじを視界に入れようとはしなかった。
これから街に繰り出していつもの俗に言うナンパをしようと思っていたのに。
空気がその行為を拒んでいる。気分も然り。
正直、みょうじは頭を抱えたい、否、それをしなければやってられない心境だったのだ。
隣をゆっくりと歩く千石はどこか遠くを見つめたまま、緩く笑った。
「だから、俺にとって良いことは全て、思い出なんだよね」
みょうじは何も返せずにいる。
返す言葉が全く以って思い浮かばないからだ。
何も彼は正しい返答をしようと意気込んでいるわけではない。
だからなのか。なんとなしに零れ落ちた言葉は本人自身も思わぬ言葉だった。
「なら、俺も……その、思い出の一つなのか……?」
「……」
「だったら、俺は――寂しい、」
千石は答えなかった。みょうじもその先は続けなかった。
ただ、俯いた視線を曖昧な笑みを伸びた影法師だけが見ていた。
こくはく
-酷い伝え-
(深くはならないと言われたも同意ではないか)
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