#1

▼村はずれの崖
 目覚めた。眼前に岩人形(ゴーレム)。大口が、闇が、僕を飲みこむ――
 直前まで眠って――気絶の可能性もあるけれど――いたからか、なにも状況がわからない。しかしこれだけはわかっていた。今、僕は魔物に襲われている。理解したうえで、イーリアスは逃走した。イーリアスの背丈を遥かに上回る怪物は、イーリアスの腕では到底かなわないと判断したからだ。そもそも己の腕前すらわからない。
 誰か助けて。助けてくれる人はいませんか。逃げ惑いながら叫んでいると、一閃。なにかが煌めいた途端、岩人形は崩れ落ちていた。イーリアスは、崩れ落ちる岩の間から一人の少女を捉える。
 桃髪緑眼の美少女が大剣をしまっていた。きん、と頭痛がした気がした。

「……だれ?」
「誰――って。もしかして、僕?」
「……」

 無言で頷く少女。彼女の行動をきっかけにして、イーリアスは気づく。

「えっと、――あれ」

 崩れ落ちてしまったのは岩人形だけではなかった。記憶喪失。イーリアスは、名前以外の全ての記憶をなくしてしまっていたのだ。

「ど、どうしよう……わからない。僕、誰なんだろ。あはは……」
「……」
「って、きみに聞いたって困るだけだよね。ごめんね」
「……お腹、空いた」
「へっ」
「貴方も?」

 少女が首を傾げる。
 どうやら、彼女は自分の分の食事も用意してくれるらしい。感謝の気持ちを伝えると、彼女は薄く笑った。

▼はじまりの村 クレアシオン
 崖を下りながら少女は名乗った。セニ・レイメントという名前なのだと、表情を変えずに口に出して。
 自己紹介のあと少しの間を置いて(その間、沈黙が場を支配したため、イーリアスは困惑していた)、セニはゆっくりと素性を語り始めた。ここの崖に群生している花を見にいこうとしていたこと、崖を下りると自分の故郷があること、故郷はずいぶんと寂れた村で、廃村といっていいほどらしいこと。イーリアスが尋ねると、セニ以外の村人がいないのだと語ったものだから驚いた。――そうして雑談しているうちに、セニの故郷クレアシオンに辿り着く。
 セニが話したとおり、クレアシオンには人影ひとつ見えなかった。あたりできゃっきゃと騒ぐのは可愛らしい野生動物ばかりで。そのうちの一匹だったうさぎに触れあい、微笑むセニを見つめながら、セニが話したことは事実なのだと噛みしめるイーリアス。しかし、イーリアスは疑問を感じていた。それにしたって、ちょっと村の風景は小綺麗すぎないかな? 考えるも、今の自分は記憶喪失。判断材料に欠けるため、浮かんだ疑問は心の奥にしまわれた。
 セニの家にて、彼女が作った料理を頂いた。温かいスープ、ふかふかのパン、新鮮な野菜。パンを何口か齧ったところでイーリアスは問う。

「ご飯、とっても美味しい! これ、どこから調達してきたの? 行商人さんがきてたりするのかな」
「……こない。多分、もうここには人がいないって……思われてる。これは、元々ここにあったもの」
「人がいないのに?」
「うん。新鮮なまま保たれていた理由は、わからない。けど……ここにあったの。昔から」

 今度はセニが問う。貴方はこれからどうするの?
 イーリアスは迷ってしまった。どう返答すればいいのだろう。どこか、人がいる場所へ行って手がかりを得るしかないのは確かだ。……僕は記憶喪失をどうにかしたいのかな?

「迷ってるなら、迷ってる間、ここで暮らしても……大丈夫」

 ……ひとまずは、一日だけお世話になろう。そう決めて、部屋を借りたいと頼むイーリアスだった。



 翌日。食料を少しだけわけてほしいとイーリアスはいった。ここでお世話になるのはセニの迷惑になると考え、他の町や村で情報を集めようと考えたのだ。
 セニはそれに頷いた。赤の他人とはいえ、寂しいとは思わないのだなとイーリアスは不思議そうにする。こんな寂しい場所でひとりでずっと過ごすなんて、僕なら泣いてしまうのだけど。
 旅立つ前に見てほしいものがある、とセニは村の奥を指差した。そのまま歩いていくセニのあとについていく。整えられた土の道がだんだんと消えていき、森にさしかかり――辿り着いたところには巨大な結晶があった。

「うわあ、綺麗……!」
「きれい、でしょ? イーリアスに、これを見てほしかったの。いい思い出に……なったら、って……思って」

 しかし。結晶は確かに美しかったが、気になる点があった。結晶は割れてしまっていたのだ。
 どうして割れてしまったのかと問うと、セニはわからないと答える。そのまま話を続けていると、彼女がぽつりと呟いた。

「わたし、この近くで倒れてたの」
「え、」

 途端、きた道のほうから物音がした。振り返ると、見知らぬ人間数人がこちらに武器を掲げている。イーリアスたちを見つめるその目も敵意が溢れている。――二人のどちらかを狙っているのだとイーリアスは悟る。
 見つけたぞ、〈叙事詩(イーリアス)〉。人間――僧兵たちが放った言葉に驚くイーリアス。彼らは自分のことを知っている!


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