外伝/Azul route

 メルフィの故郷では人魚は特別な存在だ。今となっては立派な貿易都市と発展し、様々な国籍や種族の人々が行き来するようになってもそれは変わらない。
 かつては人魚が人間を捕食し、それが人間が人魚を狩る形に変化して、互いに不可侵条約をとったあと、共通の外敵を退けるために手を取るようになった。そのおかげで互いの平穏を得たけれど、どちらも随分と自分勝手な話である。
 とはいえそんな過ぎた歴史にとやかく言っても仕方ないことはメルフィも分かっていたし、自分が直接何かされたわけではないのだ。むしろ現代の人魚は友好的だし、船乗りにとって彼女達は航海安全の象徴だ。
 それでもオクタヴィネルに人魚が多いと聞いたとき、メルフィはほんのわずか身構えた。同じ学園に通っている以上人間と人魚が種族的戦争状態にあるとは考えにくいが、実際問題この世界の人魚がどこまで人間に好意的なのか分からない。イソギンチャク騒動のときは知らぬ存ぜぬを貫き通したかったが、グリムの馬鹿と学園長の実質的脅迫ゆえ関わらずをえなかった。その時のサバナクロー寮の協力には感謝するばかりだ。メルフィは野宿にも慣れているが、鶏の解体処理に目眩をおこすユウが平気とはとても思えない。
 その結果分かったのは結局どの世界であれ人魚も人間も人それぞれだってことだった。オクタヴィネルの寮長及びウツボ兄弟は喰えぬところがあるが、人魚の全員が全員胡散臭いわけではない。珊瑚の海で出会った人魚はむしろバルガスのような快活さがあった。それは外面による第一印象にすぎないと言われたらそれまでの話ではあるけれど。
 それに相変わらず商売根性は逞しいが、オーバーブロッド後ユウと話しているうちにアズールの憑き物も落ちたようであった。猛獣使いの称号は伊達じゃない。

「メルフィさん、取引しませんか?」
「あれやそれやらがあって尚、先輩と交渉する人なんていないと思います。」

 そう思っていたのに契約書片手に話を持ち掛けてくるのだから、メルフィの顔から感情が消えうせる。あの時は人質がいたから乗っからざるをえなかったが、胡散臭い商人の話に乗るほど無警戒ではない。

「僕はただ貴方の力になりたいだけなのに酷い言い様ですね。」
「わざとらしいため息をしないでください。」

 スカラビア合宿乱入事件を思い起こす嘘っぽい嘆きにメルフィが絆されることはない。それに騙されるのはナイトレイブンカレッジだと1人しかいないだろう。

「まさか本当に自力で元の世界に戻れるとでも?」
「別に、全てが独学というわけでもありませんよ。学園長はあれですけど、トレイン先生やクルーウェル先生にも相談しています。」

 ああ、やっぱり。それが目的かとメルフィは冷めた声で返す。おそらく狙いは錬金術だろう。むしろそれ以外にアズールが自分に近づく目的は思い当たらない。

「ならその一員に僕も加わるというだけです。遠慮することはないでしょう、僕と貴方の仲なら。」
「それが本当に善意によるものなら。」
「全ては慈悲の心から、ですよ。」

 くいっと眼鏡を治しながら言うアズールはまさしく悪役のそれである。ジャミルが煙たがるのもよく分かる。もっとも彼も彼で悪どい顔をするので同族嫌悪だろうが。

「そうですか、なら必要なときに相談します。」
「……いつでもお待ちしておりますよ。」

 あっさりと引き下がるアズールにメルフィは少々勘繰るが、彼女としても彼とはこの手の話はあまりしたくない。失礼しますと彼に背を向けその場を立ち去った。

「分かってはいましたが、こうも信用されてないとなると……。」

 そうため息をこぼす彼の真意を彼女は知らない。




 アズールからしてみればメルフィの錬金術は彼女が思っているほどの価値はない。確かに場所を選ばず発動でき、触媒もなく分解するそれは一つのユニークの魔法として成立している。ただしその能力の真価を発揮するには知識や環境に左右されるところが多く、彼女自身元の世界とは勝手が異なるここでは一から研究しなおしているようだった。そんな能力を奪うよりメルフィにイソギンチャクを生やし自分の駒にする方がずっと有用だ。
 言葉にしたところで信じてくれると思えないが、アズールはメルフィが嫌いではない。監督生が不運の中の幸運を掴み取る人間ならば、彼女は地道に積み上げる人間だった。オンボロ寮を担保にしたとき見た、アトリエの研究資料はアズールの興味をそそるものがあった。生憎あの短い期間では異世界語で書かれたそれを解読することはできなかったが、入学してたった数か月の学生にしてはその量は決して少なくない。最近はお得意の錬金術で作った鍵付きロッカーで保管しているようだが、機会があれば再度拝見したいところだ。
 ともかく淡々と研究を重ねていく彼女をアズールを好ましく思っていたのだ。口だけの、生産性のないことばかりして、人をコケにするしか能のない輩と比べたらずっと信用に足る。

「それが本当に善意によるものなら。」

 ただ気に入らないとすれば、いつまでもこちらの信頼してくれないその声だ。
 アズールだって自分が胡散臭い人間だってことはとっくの間に自覚している。素直なだけでは踏みにじられ続ける人生だったし、人に恨まれること承知のうえで上り詰めた。それは彼女に対してでも同じで。

「分かってはいましたが、こうも信用されてないとなると……。」

 それでもこの虫の居所の悪さは一体なんなのだろうか。

海の歌声は弛んで歪む


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