「おまえのおかげで今のオレがいるんだ」
聖司さんはピアノのコンクールが終わる度に決まってわたしにこう告げる。
彼がピアノを続けるきっかけはどうやらわたしみたいで。わたしと出会って避けてきたピアノと向き合う覚悟が出来たらしい。
わたしは特別何かをした訳ではないのに。ただ彼の繊細な指から奏でるピアノの音色が大好きで、その音色を聴けなくなるのは惜しいと思っていた。だから無意識の内に聖司さんとピアノを近づけようと努力したのかもしれない。
ピアノを弾く聖司さんに惹かれていたわたしは彼に会いたくて音楽室へ通っていた。
最初はわたしが近づくことを嫌がっていたけれど次第に心を許して、彼が高校を卒業をする頃には隣にいることが当たり前になっていた。
今でも気持ちが通じた日のことは鮮明に覚えている。これから先、彼の未来にわたしがいると考えただけで胸が震えた。あんなに幸福な気持ちで泣いた日は生まれて初めてだから。
だけど、わたしが高校を卒業して数ヶ月後。
聖司さんは留学先のパリへ旅立ってしまった。
大好きなピアノを弾く為に。
会えない時間は電話やメールをしたけれど、そんなのじゃ全然足りない。
たまに日本に帰ってきてもピアノばかり。
わたしはピアノを弾くことも出来ないし、楽譜をきちんと読むことすら出来ない。少しでも彼に追いつこうと必死に努力をしてもすぐに彼はわたしを追い越して前へ進んでしまう。
努力すればするほど彼とわたしの住む世界が違うと思い知らされて、いつの間にか彼の素晴らしい才能を嫉んでしまっていた。
確かにあの日、彼との距離を縮めたはずなのに。どうしてかな。聖司さんはわたしからどんどん離れていく。
ピアノを弾く彼が好きだったはずなのに。
ピアノを弾く彼が嫌いになっていた。
「ねぇ、聖司さん」
聖司さんと会うのは半年ぶり。少しづつ力をつけてパリでも名前が知られ、なかなか日本に帰って来れなくなったみたい。
最近では、電話もメールも少なくなってきた。会う機会なんて数える程度。
久しぶりの再開に嬉しいはずなのに、何度も唇や身体を重ねても全然満たされない。
聖司さんはわたしと会えなくて寂しくなかったの?
あっちにいる時わたしのこと少しでも思い出した?
…今、何を考えているの?
「聖司さんはわたしとピアノどっちが大切なんですか?」
なんて女々しい質問。
どうしてこんな事を聞いてしまったのだろう。
聞きたい事はたくさんあったはずなのに。彼の答えに何かを期待している。
その質問に少し驚いていた聖司さんは瞳を細め微笑みながらわたしの頭を指先で優しく撫でてくれた。
「そんなのおまえに決まってるだろ」
わたしを愛おしそうに触れるその指先はとても心地好くて安心する。もしかしたら、わたしは彼の指先に恋をしたのかもしれない。
その指先がわたしと同じようにピアノに触れてると思うと嫉妬でおかしくなりそうだ。
「聖司さん…わたし……」
「だから、おまえも早くこっちに来いよ」
わたしは一体何を期待していたんだろう。聖司さんがピアノを棄てるわけないがない。わかっていたはずなのに。
彼はまた、わたしをおいてパリへ旅立ってしまうのだから。
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今年初SS。
遠距離恋愛がテーマでした。
とりあえず、パリというオシャレな単語が使いたかった(´∀`)
(2011.1.7)