怖くて苦手に思っていた上司が実は恋愛にはうぶで、そんな上司の一面を見て何故かきゅんきゅんする部下


「久野、図式がなってないとか誤字が目立つとかそもそもファイル形式が間違ってるとか多々あるが…とりあえず却下だ。今すぐ作り直せ」
「え…徹夜して作ってきたのに没っすか…?」
「時間をかけてこの出来とは笑わせるな、反論する暇があるなら手を動かせ」

眼鏡の奥に光る傲慢な瞳がキッと俺を睨み上げる。
ワカリマシタ…と意気消沈の趣で踵を返し自分のデスクへ戻ると、同期の吉田が憐れむように肩をポンと叩いた。



鋭利な刃物か何かを彷彿とさせる冷たくて鋭い見た目や雰囲気もさることながら、一城課長は社内でも確実に上位ランク入り決定というレベルで怖くて厳しいと有名だ。
目を開ければ睨まれる、口を開けば部下への罵詈雑言。一城課長が椅子から立ち上がるだけで、我々社員一同の背筋はピンと伸び緊張が走る。

「課長こえぇよな…」

隣で吉田が耳打ちしてきた言葉に全力でうんうんと頷けば、地獄耳なのかそれとも恐ろしく勘でも働いたのか…一城課長の凄まじい視線が俺達に注がれていた。



怖くて苦手に思っていた上司が実は恋愛にはうぶで、そんな上司の一面を見て何故かきゅんきゅんする部下



二月の凍えるような寒さだというのにマフラーを忘れてきた俺は、首元を吹き付ける容赦ない風に身を縮こませ駅まで歩き、満員電車でぎゅうぎゅうに挟まれながら通勤し、やっとの思いで着いた駅では定期入れを出そうとして小銭入れの中身をぶちまけ、ようやく会社に着き建物の前で手袋を外そうとしたら誤って水溜まりに落とした。

…そんな早々の運の無さにうなだれながら会社のドアを開いて、空調の整ったロビーへと足を踏み入れた時だった。

「久野さぁん!お早うございますっ…てなんですかそれ!」
「んあぁアキちゃんお早う、はは…ま、見ての通りだよ」

仲の良い女性社員が、手に持っている泥だらけの手袋を見て可哀相なものを見る目を向ける。

「あ!じゃあそんな久野さんにテンションの上がる品を!ハイ!」

笑顔で渡されたのは、可愛くラッピングされた小さな包みだった。…あ、

「バレンタインね。サンキューです」
「あれ〜あんまテンション上がってなくないですかっ!?」

アキちゃん毎年恒例のばらまきチョコを鞄に仕舞い、いやいや嬉しいよと笑ってみせ、エレベーターのボタンを押した。



***



今日はそういやバレンタインか…。すっかり忘れてた。っだあぁ別にテンション上がるイベントでもないしな……

昼休みに近場のカフェでカツサンドとコーヒーを食しながら、意識して周りを見てみればなるほど街はバレンタイン一色になっていた。

「……ま、俺にゃ別に関係ねーしな…」

ぽつりと独りごちて、絶品カツサンド最後の一口を放り込んだ。




「…………?」

まだ始業まで時間があった為、社内の休憩スペースのソファーで同期と談笑していると、俺達の前を気難しい顔をしながら通り過ぎる一城課長の姿が見えた。

何となくその姿を目で追うと、一城課長は手に何かを握りしめていて、自販機でコーヒーを買ったと思えば一人傍らのソファーにぽすんと力無く腰を降ろしてため息をつきながら、そろりと手の平を広げた。

…ってあれ、アキちゃんのばらまきチョコじゃん。
アキちゃん一城課長にまで義理チョコ渡したのかよ。ったく恐れのない女だな……。

…つか。
もしかしてあの人義理チョコって気付いてない?だからあんな悩んでますオーラ振り撒いてんの?まさかとは思うけど、どう返事をしようかとか悩んじゃってる?

「……っふっは」
「?どうした久野?」

急に笑い出した俺を、同期の吉田が不思議そうに見てくる。吉田の視線は置いといて、ちょっとこれは面白いかも知んねぇな……幸い吉田は一城課長の存在にすら気付いてないっぽいし。

「なぁ、そーいやアキちゃんばらまきチョコすげー配って回ってるよな?」

先程より音量を上げて、一城課長にも聞こえるようにわざとらしく“ばらまきチョコ”のアクセントを強くする。

「アキちゃんて…あぁ、遠藤さん?」
「そーそー遠藤亜希さん!義理チョコ配りまくってるけどあれ全っ然ヘンな意味じゃないんだよなー!だから吉田もあんま気にすんなよー?」
「いやまぁ知ってるけど…いつものことだしよ」

なんなんお前?と不審気に首を傾げる吉田の相手もそこそこに、一城課長はどんな反応をするのかと意識を集中させる。

一城課長は俺の声に耳を傾け「…なに……?」とボソッと零した後、鬼のような形相でスタリとソファーから立ち上がってコツコツ足音をさせながら去っていった。

うっは。超面白ぇ。

「すんげー顔ニヤけてるけど何、なんかあった?」

不思議そうに顔を覗かせる吉田に何でもないと答え、そろそろ時間だなとソファーから立ち上がった。
今俺の頬の筋肉は、自分で思ってるより随分と緩んでいるらしい。



***



あの鬼課長の意外な一面を見れたことで、はからずも今年のバレンタインは収穫アリかな…と今だ思い出し笑いをする三月のある日。

「……好きです!」
「…っ!…き、君…」

とんでもないところに遭遇してしまった。

おとなしめゆるふわ美人の新入社員の加瀬さんの後ろ姿が見えて、野次馬根性で当事者達に気付かれないように相手を確認しようと顔を覗いたその先に見えたのは、またもやはからずも一城課長だった。

「あの…付き合ってもらえませんか?」

バレンタインの日、アキちゃんのばらまきチョコを握りしめながら悩んでいた時と全く同じ顔で、一城課長は困ったように新入社員を見下ろす。

と、その時。
ふと一城課長の視線がふらふらと泳ぎだし、きっとこれ何言うか迷ってんだろうなぁと心の中でほくそ笑んでいると、その視線は何故かぴったり俺と重なった。やっべぇ見つかった…!っと思った時にはもう俺の足は後ろへと駆けていたわけだけど。

いくら目が合ったとはいえ、確実に見物してたのが俺だとバレたといえ、というかだからこそ、あの状態で二人の前に登場できるわけがないだろ。どのツラ下げて出て行くんだ。上手く場を取り持つなんてことが出来る程、大した人間じゃないぞ、俺は。

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