キスしないとぶつかった箇所が離れない呪い
これはなんだ。
俺は今ラノベの世界にでも迷い込んでしまっているのか。
それとも、日頃の行いに対して神様的ななにかが俺に制裁を与えているとでもいうのか。
…いやいやいやいや洒落になんないだろ。
ちょっとサボり癖のついた赤点常習犯ってくらいのレベルでこんな刑を受けなきゃなんないとか、どんな苦行なんだっつの。
「ちょ…カンベンして下さいよ…」
「…こちらの台詞だ。ふざけるのも大概にしろ」
目の前の神経質そうな男が、眼鏡の奥の鋭い眼差しをキッと向けてくる。
「コーサカー!まじでふざけてんの?」
周りのクラスメートからの声に「んなわけないだろっ!」と真剣に訴えかけるが、誰一人としてまともに聞いているやつはいなかった。
「……高坂…」
「いやいやマジですって!ふざけてないから!先生こそいい加減にしてくださいよっ!」
今にも怒りの沸点を飛び越してしまいそうな形相の高槻先生を負けじと見つめる。
――俺と高槻先生のガッツリ絡まり合った手は、どうにもこうにも離れる予感がしない。
キスしないとぶつかった箇所が離れない呪い
俺はほどよく手のかかる生徒だと思う。でも職員会議で議題に挙がる程の問題児ではない。そんくらいの位置だ。
一方高槻先生はうちの高校の数学教師で、スラッとした外見とノンフレームの眼鏡と細くて鋭い眼光と淡々と授業を進めるその様と…愛嬌や愛想などとは真逆の雰囲気から、俺らの間では鬼高槻…オニタカ、なんて呼ばれている。
逆に女子からはあの冷徹非道さがクールに見えるらしく、凄まじい人気を博しているが。
「ちょっ…どこ行くんすか!」
「いつまでもこんな状況であの中にいれるか!どうせお前が手に接着剤でも仕込んでいたのだろう」
んなわけないでしょう!と抗議する声も虚しく、先生はフンフンと鼻をならしながらおそらく保健室へと俺の手を引っ張りながら歩いていく。
通り過ぎ様に俺達の様子を目撃した生徒がこそこそとなにかを話しているのがひしひしと背中から伝わってくる。っひゃあ〜。オニタカと手繋いで歩くとかこれ明日からどんな噂が立つことやら、俺はヒヤヒヤしながらずっこけないように先生に引かれるままに足を出した。
「…は?取れない?」
は?などという普段の先生なら絶対使わないであろう言葉から、よっぽどこの人が切羽詰まってることが窺える。いや、俺もなんだけどね。
「そうねぇ…接着剤でくっついたのならこれで取れるはずなんだけど…それにしても貴方達…うふ、高槻先生がこんな事をするなんて、二人共仲が良いのねぇ」
四十そこそこのマダムのような保健医は、そう言って息子を見るような目でオホホホと朗らかに笑った。
はは…と二人して苦笑いしか出てこない。
どこをどう考えても、俺と高槻先生が仲が良いはずがないからだ。
よしんば仲が良かったのだとしても、繋いだ手を接着剤的なものでくっつけるなんてことは普通しない。そもそも接着剤とかつけてねーしな!
「高坂……」
「な、んすか…?」
ぐつぐつと静かに怒り狂うような震えた声に悪寒を覚えた。
とりあえず今が放課後で良かった。もし休み時間中の出来事だったら、俺はオニタカと仲良くおてて繋いで黒板の前に並んでどっかのクラスの授業に突っ立ってなければならなかったわけだからな。とんだ笑い話だ。
「図書室に行くぞ」
「は?何でです…ってちょっ…!急に歩かないで下さっ!」
保健医に一礼した先生は、俺の言葉なんて聞く耳持たずで一目散に図書室へとスタスタ歩きだす。
俺もその隣を歩幅を合わせながら必死で食らい付いた。
ことの始まりは放課後うちのクラスで流行っていた腕相撲で、その時の参戦メンバーが悪かったのか誰とのファイトにも勝てなかった憐れな俺への罰ゲームが、『次この教室を通りかかった人に腕相撲を申し込む』だった。
っで、察しの通り高槻先生が通りかかったわけだけど、『先生はナシっしょ?しかもオニタカ!』という俺の訴え虚しく『行け!』と全員から命じられ、俺は高槻先生と腕相撲をする羽目になった。
あのオニタカが普通に腕相撲の相手をしてくれたことも意外だったが、あの細腕からどうやって力を捻り出しているのか…瞬殺されたことも意外だった。
で、いつものノリで対戦相手の手を調べるべく手をぎゅっと握ったら、そのまま離れなくなっちゃったんだけどな。利き腕同士じゃなかったのが不幸中の幸いだけど。
「ねぇ先生、こーゆーってよくあんの?」
「…あってたまるか」
何やら分厚い本を真剣に片手でぱらぱら捲っている先生に聞いてみると、苛立ちのこもる返答が返ってきた。
「このまま元に戻んなかったらどうしよ」
「…こっちの台詞だ」
こんな非科学的な出来事の解決法が図書室にある本なんかに載っているとも思えないが、かといって直す糸口は俺だって欠片も持ち合わせていない。
「引っ張るのも叩くのも濡らすのも薬もやったし〜あとは〜…」
「…互いの手と手の間の皮膚を削ぐ」
「は?!」
悍ましい解決法が、うちの数学教師から挙がった。
「いやいや、いやいやいやいや!」
冗談でしょ、と空笑いを浮かべる俺を見遣った高槻の顔は、とんでもなく真面目そのものだった。
「ちょっ、ちょっと待ってよ早いって!そりゃあ物理的にそれなら剥がれるかもしんないけど、いたいけな生徒にそれは可哀相すぎないですか?」
「…なら他に手はあるのか」
先生ならもっと考えて案とか出してよ!という言葉を飲み込み、うむむ…と首を傾げ漸く真剣に悩んでみる。さっきまでの俺はこの状況を軽く考えていたフシがあるが、あんな提案をされたんじゃ俺も本気で考えるしかないだろう。
「じゃあ片っ端からいきましょう!」
マンガとかでよくみる不可解な現象の解決策を思い出し、指をぱちんと鳴らして先生を見上げた。
「はーっ、は…全滅かよ……」
階段落ちやキスなど思い付く限りひと通りの事柄を試した俺達は、もうすっかり日が暮れた学校の中、数学準備室でぜぇぜぇと息を吐いていた。
「…ならやはり削ぐしかないな」
もうこの人の中では手を削ぐことしか頭にないのか、勝手に決意を固めたらしい先生は真っ直ぐに俺を見据えてくる。
「ちょっと待って下さい。…まだもいっこ試してないこと、ありますよ」
「…なんだと?」
なら先に言えといわんばかりの低い声に気圧されつつも、ぶっちゃけ最初から頭にあった提案を掲げてみることにした。
「キス。さっきは頬にしかしてないでしょ?キスつったら口と口でしないと。だからたぶん、それっすよ、正解」
「…なに……」
ニヤリと笑えば、不機嫌そうな高槻先生は何かを考え込むように俯いた。
「いや、駄目だ。聖職である教師が生徒と唇を合わせるなど赦されざる「じゃあ先生は、生徒の手の平に傷を付けることを選ぶんですね?」う"……わ、分かった…」
俺だって男と喜んでキスする趣味はない。ただこの緊急事態に、なりふりかまってなどいられないのだ。
「教師からってんだとアレみたいですから…俺からしますね」
なけなしの優しさを口に乗せた俺は、意外とおとなしく黙ってこちらを向くクールビューティな男性教師に、そっと唇を重ねた。
***
「送っていく、乗れ」
結論から言うと、唇と唇を合わせた正式なフレンチキスを交わした俺達の手はいつの間にか外れていた。
いつの間にかっていう言い方をしたのは、思わずスイッチが入ってしまった俺が調子に乗ってキスを深くし何気なく手を先生の後ろ髪に回して指を絡めていたら、その回している手って元々くっついてた手じゃん!と後々に気付いたためである。
「…い、いいっすよ。歩いて帰るんで」
仕方なしに実行したキス、ただの事故、次はもう無い。
徒歩通学である俺はぐるぐると出口の見えない思考を巡らせながら校門を出てとぼとぼと歩いていた。
そしたら後ろから車のエンジン音が聞こえてきて、何の気無しにそちらに目をやるとそこには悩みの渦中である人物が乗っていた。
「…いいから乗れ、送る」
「……ありがとう、ございます」
高槻先生…オニタカなんて呼ばれているこの人の表面しかみていなかった俺は、冷酷で非道とかいう周りの刷り込みのおかげで、この教師とはぜってー仲良くなんねぇだろうと思っていた。
でも実際は…そりゃあ愛想はないし冷たい言い方ではあるけど、意外とノリが良かったり、真面目過ぎて考え方が古臭かったり、仕方がなかったとはいえ生徒からのキスを甘んじて受けたり、唇は意外と熱くてほんのり濡れてて気持ち良くて…舌までいれたバカな生徒に何故か応じてくれたり…あまつさえもう俺に用はないだろうにわざわざこうして送ってくれて……俺の想像をはるかに越える先生の知らなかった部分に、胸が不穏な動きを立て始めていた。
運転席を盗み見る。
そこには真っ直ぐ前を向いて慎重に運転をする、整った横顔がある。
俺からの視線に気付いたのか、赤信号で停止するや否やこちらも見ずに「なんだ」と短く問われた。
「いや…別に……」
「……そうか」
「……うん」
信号が青に変わる。ギアをドライブにカチャリと入れる音がして、まもなく乗り心地の良い車がゆっくりと発進する。
「ねぇセンセ、あれって結局なんだったんだろ」
「…そうだな、私にも分からない」
教師と生徒。
不可解現象。
…男同士。
起きたばかりの色濃く残る出来事がぐるんぐるんといつまでも頭を巡るのを感じながら、俺は明日から数学の授業だけはサボんのやめようとひっそり誓った。
--end------------
【あとがき】
お題 キスしないとぶつかった箇所が離れない(手とかいいですかね)呪い。
ということで承りました!
色々考えた結果、冷たくて怖い教師と軽度のチャラ男という組み合わせになりました〜(^O^)
ひょんなことがキッカケで今までまともに話すらしたことなかった二人の距離が縮まり、きっとこれからは数学の時間やけに目が合ったりなんかしちゃってね……!うふふ
お題提供ありがとうございました!
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