二人は早乙女学園に入学した。

「翔ちゃーん! ついに同じ学校ですね。しかも部屋も一緒!」
「いててて、抱き着くな! ……って、まじかよ」
「可愛い翔ちゃんとずっと一緒にいられるなんて幸せです! これからよろしくね」
 早乙女学園に入学した初日。入学式が行われる場に那月と翔はいた。
 翔はすっと差し出された手を戸惑いもなく、困ったような、でも嬉しそうな笑顔で握った。

 二人の生活がこれから始まる。一年間、ずっと一緒だ。
 しかしそれは那月と、だけではなかった。



「さて、そろそろ寝ようか」
「ああ、ちょっと早いけど初日だし疲れたからなー」
 んー、と欠伸をして翔はベッドに横になった。
 すでに霞掛かる意識の中でぼんやり掠れていく那月を見る。那月は、寝る前にと眼鏡を外した。

「あ」
 そこで、はっとする。

 眼鏡を外してしまえば那月は全くの別人格、砂月になる。彼は、少し俯いてから顔を上げて翔を見た。
「……なんだよ、あほ面しやがって」
「……砂月?」
「……そうに決まってんだろ」
「ああ、そっか、だよな……」
 感心したようにうんうん頷いた。
 風呂はバラバラだったから気付かなかったものの、就寝前に眼鏡を外すのは当然だ。つまり、砂月になる。
 そこまで考えて翔は起き上がった。
「じゃあこれから一年間、お前とも一緒ってことだよな」
「嫌だろ」
「んな訳ねーだろ。捻くれてるなー」
 苦笑いして、立ち上がった翔は砂月の元へ真っ直ぐ歩み寄る。ベッドの縁に腰掛けた砂月はそんな翔をぼんやり眺めていた。

 二人が和解したのは昨日の話だ。約十年掛けて、やっと翔の思いが砂月に伝わった。
 しかし今までまともに人と関わり合ったことがない砂月はどのように人と円滑に関わればいいかわからない。
 那月の時の記憶はあるものの、砂月が那月のような性格であるわけもないからあのように明るく、という訳にもいかなかった。
 砂月は思う。
 もう暴力は、振らないと。
 それは当然のことだ。
 しかし暴力以外で翔と関わったことのない砂月は指先一つ動かせないでいた。

「これから一年間、よろしくな」
 だが翔は、砂月の戸惑いを無視するように手を差し延べた。
 ぼんやりとしていた砂月ははっとして、目の前にある手を少し見つめてからぶっきらぼうに仕方ないとばかりにその手を取った。
 翔は笑っていた。
 これから、砂月との仲もどんどん深めていけたらいいな、と。

 そうして始まった学園生活。
 那月と翔は部屋が一緒ということもあれば昔から一緒ということもあって常に二人で行動していた。
 朝、目が覚めて二人で食事を取って、休み時間には那月からSクラスに翔に会いに行って、昼も夜も食事を共にして同じ部屋に帰る。

 そして寝る前の少しの時間、砂月と翔の二人だけの時がきた。
「なあ砂月」
「……なんだ」
 翔はゴロゴロとベッドに寝転がりながら昨夜と同様に砂月と話す。砂月は、部屋にある椅子に座って楽譜を眺めていた。
「お前さー、ずっとそんな目つきでいたら疲れねえ? まあお前の性格で那月みたいに真ん丸い目されてもアレだけど……」
「結局どっちがいいんだよ。……別に疲れない。これが普通だから」
「お前と那月は性格だけじゃなくて顔つきも違うんだな」
 砂月がふと、翔に視線を向けると翔は目を細めて笑っていた。
 ドキリ、心臓が高鳴る音を聞いた。思わず楽譜を置いて立ち上がり、翔の顔まで布団をかぶせる。
「おまっ、なにすんだよ!」
 翔は布団をひっぺがしてベッドに膝立ちになった。
「いいから寝ろ。早寝しないと身長伸びないぞ」
「うるせー! お前がでかすぎるんだよ」
 ギャーギャー文句を言う翔をそのままに、砂月は部屋の電気を消す。そしてさっさと自分のベッドに潜り込んだ。
 そんな砂月を見て翔は頭に疑問符を浮かべる。
「なに焦ってんだよあいつ……」
 小さな呟きは砂月の耳に届いた。
「……お前のせいだ」
 砂月の声は、翔には届かなかった。



 朝、翔が目を覚ますとすでに部屋のカーテンが開かれていた。
「あ、おはよう翔ちゃん!」
「……おう……ねむ」
 那月は昨日も翔より早く起きていた。砂月が早起きして眼鏡を掛けているのだろう。しかし、何故だろう。
 翔は思う。
 ――ずっと、砂月でいたいとは思わないのか。砂月として、毎日を過ごしたいとは思わないのか、と。
 一日で砂月でいる時間はとても少ない。
 風呂に入る時、寝る前の時、朝起きた時。合計一時間くらいしか砂月でいる時間がなかった。
 ――それは、ものすごくつまらないことじゃないのか。
 ――なんで砂月は自ら眼鏡を掛けるのだろう。
「翔ちゃん、着替えたら食堂に行きましょうね!」
「ああ、お前もう着替えてんのか……ちょっと待ってて」
 だがそんな考えも、那月の声に一瞬で消された。

 朝食を取って、授業を受けて、終わって。なにげない日常が続く。
 一週間もすればそれは当たり前の毎日になって翔にとって、寝る前に砂月と話して朝に目が覚めたら那月がいるのが当たり前となっていた。

「よし、寝るか」
 今日もいつも通り、夕食と風呂を終えて寝る準備に入っていた。翔はすでにベッドに横になって那月を見る。
「はい、そうです、ね……」
 砂月に変わるのかな。
 そう思っていたところで、那月がくらりと揺らいで地面に膝をついた。
 驚いて起き上がり那月に駆け寄る翔。那月は、頭を抱えて苦しそうに呻いた。
「お、おい! どうしたんだよ、大丈夫か!」
「すいません……少し、疲れてるみたいです」
 はあ、と息を吐く。
 疲れるのも当然のことだ。今まで生活してきたところとは全く別の環境。毎日が厳しい授業にレッスン。周りの人間と競い合う日々。うまく行かないことだってたくさんある。表に出さずとも一人一人がストレスを抱えているだろう。
「那月……お前みたいな奴は特に疲れやすいんだから、無理すんなよ」
「……ごめんね翔ちゃん」
「…………、那月……」
 ゆっくりと起き上がった那月は、翔の肩に頭を預けるようにして寄り掛かった。
 その行動に驚きつつもそっと背中に腕を回してさする動きは優しかった。
「今日はもう寝ようぜ。明日、体調良くなってなかったら無理にでも休ませるからな」
「……はい」
 翔から離れて、立ち上がった那月は眼鏡を外す。
 砂月にも休むように言っておこうと立ち上がった翔はしかし言葉を交わすことができなかった。
「っア……!」

 殴られた。砂月に。
 勢いで倒れて地面に背中を打つ翔を砂月は冷たく見下ろす。
 ――なんで、どうして。
 翔は殴られた頬を抑えて混乱していた。
 砂月とは、普通に話せるようになったはずだ。気持ちが通じたはずなのに、どうして。
 ――なにかあったのだろうか。
 ――なにか、傷つくようなことが。
「……お前に殴られるの、久し振りだな」
「……手前が俺に優しくしてたのは那月のためだったんだな」
「は?」
「那月が好きだから、俺に取り入ってたんだろ!」
 ドカッ、砂月は、倒れている翔の腹を蹴った。
 ――砂月は思う。
 先ほど那月が倒れて、気に掛けた翔。那月に寄り掛かられると背中に腕を回してさすっていた。
 二人は昔からの友人だ。それくらい当然のことだが那月の中にいる砂月は気付いてしまった。
 翔の心臓が尋常じゃないほど音を鳴らしていたことに。
 ――ああなるほど。
 ――こいつは一切俺を見ちゃいなかった。いつも、俺じゃなくて俺の背後を見てたんだ。
 砂月はまるで裏切られたようで、ムカついてムカついて悲しくて虚しくて、翔が気絶するまで殴り蹴った。







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