「四ノ宮那月が退学?」
 いつも通り朝起きて、那月がいないことに違和感を感じつつどうせどっかで遊んでるだろうと思って食堂に行くと、ざわざわみんなが騒いでいた。もはや定位置と言えるテーブルの側にいる音也の元に行けば、俺に気付いた音也が両手で両肩を掴んできて、焦ったように言った。
「那月が退学するって!」
「は……?」
 なにを言ってんだこいつ。おかしな夢でも見たのか。でこを小突いて馬鹿にしてやろうとしたところにレンがやってきて苦笑いしながら言った。
「あいつも天然に見えてやるねえ」
「はあ? なにがだよ」
「シノミーの奴、恋愛禁止っつーのに女とキスしたんだってよ」
「…………は?」
 レンまで、なにを言ってるんだ。怪訝に顔を歪める俺を見てか、音也の手の力が強くなった。なんだこの空気。からの冗談でした。なんて言える雰囲気じゃなくなってきてるぞ。那月ファンらしき女子の団体は泣いていた。耳を澄ましてみればそこら中この話題でもちきりだった。
「いや、でも……女とキスしただけで退学って」
「日向先生がその場面を目撃したらしくてさ、二人にどういうことかって聞いたんだって」
 音也から説明を受ける。相手はAクラスの女子。時間は深夜三時。教室の並ぶ廊下に那月と女はいたらしい。日向先生は夜の見回りで偶然二人を見つけて尋ねた。どういうことだ、と。那月はその子の肩を寄せて、見ての通り、付き合ってるんですよ。と言ったらしい……ってそれ、
「那月じゃなくて砂月じゃねーの……」
 那月がそんなことをしたり、そんな台詞を言うなんてどうしたって思えなかった。ならば、考えられることはそれしかない。――なんだよ。焦って損した。一気に肩から力が抜けて、音也の手を払って椅子に座った。今日の朝食はなににしようかな。
「ずいぶん余裕じゃねーの」
「だって那月じゃないからな。砂月が人と話すってのも珍しいけどまあ、どうでもいいってことだ」
「翔! 那月だろうと砂月だろうと退学には変わりないんだよ。どうするんだよ」
 俺の座ってる椅子に手をかけて顔を覗き込んでくる音也。……そうか。退学には、変わりないんだ。どうしよう。つーかどうするつもりだよ那月。てかあいつ今どこにいるんだよ。
「日向先生に説明すればなんとかなるかも……とりあえず那月に連絡してみる」
 ポケットから携帯を取り出して電話帳を開く。那月那月……あった。プルルル、プルルル。機械的な呼び出し音が響く。もしも、砂月のままだったらどうしよう。絶対出ないよな……。そんなことを考えてすぐ、プッという音がしてうざったいほどに聞いてきた那月の声がした。よかった、出た。
「翔ちゃーん! おはようございます。翔ちゃんから電話してきてくれるなんて僕は朝から幸せ者ですね!」
「……お前今どこにいる」
 変わりないその声に少し安心して、那月の言葉を無視して場所を聞く。とりあえず合流して、事情を説明して日向先生に謝りに行って……
「今部屋に戻ったところです。もう聞いてると思いますが退学することになって、今日出ていくので荷物を纏めようとしていたところです」
「……あ?」
 どういう、ことだ。那月があまりにも淡々と話すものだから日常会話をしているような気分になって、はっとする。いやいや、おかしいだろ。那月は砂月の時の記憶がないはず。それに退学をあっさりと受け入れるなんて。
「ごめんなさい。心配させちゃいましたか? 退学しても連絡は取れますから、大丈夫ですよ」
 那月はきっと苦笑いしながら言っている。意味わかんねえ。説明が足りねえんだよ説明が。これだから天才肌は……って関係ねえか。
「……お前、そこにいろよ」
 それだけ言って、電話を切った。耳を寄せて会話を聞いていた音也は険しい顔をしている。
「どういうことだろう……那月は退学してもいいのかな」
「は? どんな様子だったんだよあいつ」
 音也の言葉にレンが反応する。どんな様子って、俺もよくわからねえよ! と叫んでから走った。ちっくしょ今日は朝食なしか。その分、昼大量に奢らせる。那月に。部屋まで走って勢い良く扉を開けると、既に荷物をまとめはじめている那月の姿があった。ダンボールに詰められていく那月の私物。部屋は閑散としているように見えた。
「お、前……なにしてんだよ!」
「なにって、荷物を纏めて……」
「馬鹿! アホ! 退学するつもりか!」
「先ほど、校長の部屋で退学手続きをしてきました。あとは出ていくだけで」
「馬鹿!」
 なんでそんな、何事もないようにしてるんだ。苛ついて思わず襟を掴んで引き寄せる。那月は、嫌なくらい真面目な顔をしていた。
「誤解を解きに行くぞ。今ならまだ間に合う」
「誤解? 翔ちゃん、噂聞かなかったんですか」
「お前が女と付き合ってるって肯定したって……どうせ違うんだろ」
「……どこが違うということでしょうか」
「何言ってんだお前」
「全部、事実ですよ」
「…………へ?」
 カーン、頭にたらいでもぶつかったような衝撃。那月の目が細められて冷たく俺を真っ直ぐに見つめる。那月は、こんな目で俺を見たりしない。
「……おっ、お前砂月だろ!」
「は?」
「那月のフリしやがって……実は砂月なんだろ!」
 立ち上がって指を差す。きょとんとした顔で那月は、言った。
「翔ちゃんは僕を誰と勘違いしてるんでしょうか。僕は、僕ですよ」
「じゃあなんで、女と付き合うなんてことしたんだよ。退学になるってわかってんだろ」
「なんで? 翔ちゃんはおかしなことを聞きますね。僕も男ですよ。人並みに欲というものはあります」
 笑った那月が、まるで俺のことを馬鹿にしているようで頭にきた。あー、もうだめだ。俺は那月を殴っていた。その衝動で地面に倒れ込んだ那月は殴られた右頬に手を添えてぼんやりと天井を眺めている。
「お前がそんな奴だったなんてな。見損なった!」
 言い捨てて部屋を後にした。出る時に、那月がなんか言ったような気がしたけど聞こえなかったし聞き直す気もしなかったからそのまま歩いた。いや、走った。食堂に戻るわけでもない、教室に向かうわけでもない。行き先を決めずにただただ走った。やがて足は疲れを訴えて勢いを無くし、普通に歩くよりも遅くのろのろと草村を進んでいた。
 ここは、裏庭だ。いつの間にこんなところまで来ていたのか。空を見上げると真っ青で、太陽はカッと音を立てていそうなほどに眩しく照りつけていた。だから、帽子を少し深めにかぶった。目前に広がる湖は太陽の光を映してキラキラ光っていた。俺はなんだか体から力が抜けてしまって崩れるようにその場にヘタり込む。
「……那月」
 自惚れていたわけではない。でも、確かに那月は言った。何度も何度も、俺に好きだと。その好きが、どんな意味か聞いたことがあった。その時那月はライクでありラブでもあるんですよ。と、めずらしく目を逸らして照れ臭そうに言っていた。俺は、あっそ。と、普段と同じように流したけど実はドキドキしてしまってどうしようもなかった。好きというあの言葉は所詮からかうものでしかなかったのか。でも、好きの意味を言った那月はどうしたってふざけているようにも嘘をついているようにも見えなかった。
 ……なんで俺こんなこと考えてんだ。馬鹿らしい。なんで、こんなに胸が痛むんだ。ああ、俺はショックを受けているのか。勝手に勘違いして裏切られたような気持ちになって、傷付いてるのか。なんで俺はこんなに那月のことを――

 どこからかピアノの音がした。とっくに、授業は始まっていた。







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