翔ちゃーん可愛いよー! どこか遠くから叫び声と走る音が聞こえる。うつらうつらと目を覚ました那月は声の元、廊下を覗くべくそーっと扉を開いた。赤い絨毯に壁に設置された落ち着いた色の電灯。花瓶に入った花は艶やかな雰囲気を醸し出していた。なんだ、誰もいないじゃないか。静かな廊下に聞き間違いかと部屋に戻ろうとするが廊下の奥から人が走ってくる姿が見えた。
「……ん?」
 それは、女とも言えるし男とも言えるような可愛らしい容姿をした人物。目は大きく青空をそのまま映したような色をしていた。そして綺麗な金の髪に白い肌は、とてもその人物を美しく見せていた。可愛い、一瞬見とれてしまった那月はしかしおかしいと気付く。その人物の様子がただごとではなさそうだったから。まるで、何かから逃げているように見えた。
 金髪の人物はハッと物置であろう壁と同じワイン色の扉を開けて、慌ててその中に入っていった。あまりに一瞬のことで呆然としていると後から続くように三人の肥満体型の男が汗を浮かべて走ってきた。周りをキョロキョロ見渡し、那月の姿を見つけてものすごい剣幕で迫る男達に慌てて扉を閉めようとするが止められる。
「おい、ここに金髪の男が来なかったか」
「さあ……見てませんね」
 ――男だったのか。
 ぼんやり思う。男達は那月の部屋に彼がいないかと隙間から見て、チッと舌打ちをして廊下の先へと再び走っていった。あっちに行けばエレベータがあるはずだから別の階にでも行ったのだろう。男の姿が見えなくなって部屋から出た。コンコン、物置きの扉をノックする。しかし反応はない。開けようとノブに手を掛けるがどうやら鍵をかけられているようだ。回らなかった。
「……先ほどの方々はもう行きましたよ。僕は無関係です」
 なるべく優しい声で言うが疑われているのか反応がない。
「……偶然、様子を目にしました。あなたを追い掛けてた方々は多分別の階に行ったと思います。いずれ戻ってくるだろうから、とりあえず僕の部屋にいたほうがいいかな、って……」
 事情はよくわからないけど、最後に付け足した。しばらく反応がなかったが、やがてガチャッと鍵が開けられる音がして、男は少しだけ開かれた扉から那月を覗いた。そして安心したのか、扉を全て開けると倒れるように那月の胸に顔を埋めた。
「! 大丈夫ですか」
「ごめん、ちょっと力入らなくて」
「僕の部屋すぐそこなので、行きましょう」
「ああ……悪いな」
 力が入らない彼を抱き上げるようにして那月が泊まっている部屋へと運んだ。彼をベッドへと寝かせると、一応、とチェーンも掛けた。
「なにか飲みたいものはありますか」
「じゃあ……水もらえるか」
「はい」
「……あんた、ここに泊まってんの」
「何日かこの辺で仕事があるので、泊まってます」
「……へー」
 ここは都内にある小さなホテルだった。彼はベッドから起き上がると、サイドテーブルに置いてある台本を見つけて手を伸ばした。台本が置いてあった空間に水の入ったコップを置く那月は、苦笑いしていた。
「僕の、仕事です」
「……俳優やってんのか」
 感心したように言う彼に、眉間にシワを寄せて始めたばかりですが。と言った。しかし彼が開いた台本に丸が付けられている役名はどうやら重要な役だ。これは期待の新人というやつか。彼は思った。
「あ、水ありがとな」
「はい、お腹は」
「空いてない。気分が悪くて食欲わかないから」
「……そうですか」
 彼はこくりと喉を鳴らして水を飲んだ。動く喉仏が何故だろう、妙な色気を放っていて那月は思わず目を逸らす。
 先ほど彼を追っていた男共が言っていた通り彼は男だ。綺麗な顔に白い肌をしているが声は男のものだし、ちょっとした仕草もそうだった。しかし思う。部屋まで連れてくる時に抱きしめた腰はあまりにも細かった。
 コップ一杯の水を飲み終えた彼が小さく息をつく。もう一杯ついでおこうと那月がコップを手にした時だった。
 翔ちゃーん、どこにいるのー! 先ほどの、三人組の声だ。また戻ってきたのか。――まあ、部屋にいれば通りすぎるだろう。そう思って水を注ぎに歩きだそうとする那月の袖を、彼が掴んだ。
「……あの、」
 どうしたんですか。振り返ると不安げな瞳が那月を見上げていた。思わずコップを置いてベッドに腰を掛ける。彼の横に座ると、彼は那月に抱き着いた。震えていた。
 三人組の声が遠くなるまでしばらく息を潜めて、いなくなったであろう頃に彼がぽつりと声を出す。
「俺、さ……AV男優やってるんだ」
「はっ?」
 ――AV、男優?
 いきなり告げられた言葉に那月は目を丸くして腕の中にいる彼を見る。彼は、俯いたまま続けた。
「来栖翔って、本名なんだけど結構人気なんだぜ」
「……え、と、じゃあさっきの人達は……」
「追っ掛けみたいなもんかな。ちょっと異常でさ、一度レイプされそうになったんだよ」
「れ、レイプ!?」
 淡々と告げられる内容は驚くことばかりだった。レイプされそうになった時は路地裏だったらしく声を上げて通りすがりの人に助けてもらった。しかしそれ以外にも何度か危ない目に遭ってるらしく翔はなるべくマネージャーや誰かと行動するようにしていた。しかし今日、このホテルで撮影があって疲れてそのまま泊まることに決めた翔が一人になった隙を狙われたそうだ。
「……それは、大変ですね」
「……まあ、一種のトラウマになってるかな」
「このホテルにいるのが知られてるなら、すぐにでも帰ったほうがいいのでは」
「うろうろしてる中で下手に出られねえだろ」
「ああ……そっか」
 翔の震えは止まっていた。少し離れて顔を覗き込むと申し訳なさそうな表情をしていて、ああなるほど、と思う。
「泊まって、いきますか」
 ――僕も泊まってる身ですけど。
 翔は少し笑って頷いた。那月も翔に笑いかけて、ホテル側に許可を取るためにベッドから立ち上がってベッドサイドにある電話を取った。
 翔は思う。俳優である彼はとても整った顔をしていた。背が高くてたくましく男らしい体。物腰柔らかな姿勢に一緒にいると心地好く感じる。追われていたところを助けてくれたし、何か礼をしてやりたい、と。
「よし、と……許可取れました」
「おお、ありがとな」
「いえ、あー、じゃあシャワー浴びますか?」
 翔はここで仕事をしていたという。AV男優が職業という彼だ。つまりそういうことをしていた、ということになる。だから気を遣って言ったつもりだったが自分でそんなことを思っておきながら翔が乱れる姿を想像してしまってパッと目を逸らした。
 あの白い肌が、汚されているのか。あの可愛らしい顔が快楽に歪むのか。想像しただけで体の奥の熱が疼いたような気がして頭を左右に振った。
「なあ、そういえばあんたの名前聞いてなかった」
「僕は、那月って言います」
 顔を向けないまま言う。ドクン、ドクン。心臓が大きな音を立てる。
「那月」
「……はい」
 肩に手を置かれたと思えば、ベッドに膝立ちした翔にキスされていた。
「…………あ、え……?」
「那月、助けてくれてありがと」
「え、え……」
 そのまま腕を引かれて、ベッドの縁に座る。翔はベッドから下りて那月の前に立った。ドクン、――ああ、音が止まない。
「俺にできることって、これくらいかなって思って」
「あの、……翔、くん」
「男だけど、そこら辺の女より全然うまいからさ」
 襟元を引かれればまた唇を重ねた。でも重ねるだけじゃない。翔が舌を差し出して那月を誘う。
 ――那月は、目を閉じた。こんな魅力的な彼を前に我慢できるはずがないだろう、と。そしてキスが終われば那月の足元に跪く翔がいた。







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