部屋から、那月がいなくなった。 「…………」 部屋だけじゃない。学園から。 今日は散々な一日だ。きっと俺のここまでの人生の中でも一、二位を争うくらいには嫌な思いしかしてない。 気付いた時には昼を過ぎていた。授業に出ないと。俺はのろのろ歩いて教室に入る。そこにはおもいっきり眉間にシワを寄せた日向先生がいて、後で俺の元に来いと呼び出された。 授業の終わった教室。扉は閉めきって憧れの日向先生と二人。でも全然喜べなかった。那月のことで頭がぐちゃぐちゃだということもあるしこれから日向先生のする話がいい話とは思えなかったから。 「来栖」 「……はい」 「覇気がないな」 「すいません」 「芸能界はもっと厳しいからな。同室の四ノ宮がいなくなったからっていちいち項垂れてるようだったらトップアイドルにはなれないな」 「…………はい」 「しっかりしろ」 ポン、肩を叩かれる。日向先生の俺への優しさはこれだけだ。むしろ肩を叩いてくれただけいいほうだ。そんなに、駄目に見えたかな俺。クーラーの消された教室は冷気を失っていく。黒のシャツにじんわり、汗をかく。 重たい気持ちのまま部屋に行くと、さっぱり綺麗に那月の物はなくなっていた。そこを夕日が照らす。ミーンミーン、蝉の泣き声が遠くから聞こえた。ぽっかり、穴が空いたように那月がいた場所だけ空間がある。――なんで、こんなことに。 「……翔」 呆然と立ち尽くしていたところに偶然だろうか、部屋の前を通り掛かった音也が開け放しの扉から俺の部屋を見て足を止める。眉を下げて、悲しそうに顔を歪めていた。 「……本当にいなくなっちゃったんだね」 呆気なさすぎる。今朝退学のことを知って、放課後にはもういなくなってるなんて。そしてどうしても納得がいかなかった。那月に直接言われたというのに、那月が女に手を出して退学する。なんておかしいとしか思えなかった。だって、あいつは音楽が大好きで、天才で、アイドル目指してこの学校入って、俺と同じ学校ってことに馬鹿みたいに喜んでた。俺と同室と知った時には抱き着いて離れなかったくせに。それからも翔ちゃん好きだ可愛いとか、一日十回は軽く越えるくらい言ってきたのに。 「これからここは、翔の一人部屋になるのかな」 それは有り難い。広く自由に使えて、気を遣う相手なんていない。笑いたい時に大声で笑って歌いたい時に好きなだけ歌えるんだ。いいじゃねえか。 「……良くねーよ」 広すぎる。 元からあいつに気なんて遣っちゃいねえ。むしろあいつがうるさくて堪らないくらいだったんだ。だから俺だって存分に騒いでやった。一人で騒いだってなんも楽しくねえよ。 「那月……」 拳を握る手が震えた。歯を食いしばる。全てが一瞬のことすぎて意味がわからない。展開についていけない。なんでこんなことに、昨日まではなんの変わりもなかったのに。 「……那月に電話する」 「へ?」 あいつは言った。連絡ならいつでも取れるからって。それは取っていいってことだよな。朝、俺を冷たく突き放しておきながらも繋がりだけは作っておいてくれた。その唯一の繋がりを耳にあてて、プルルルという機械音から変わるのを待つ。 「……――翔ちゃん?」 「……那月」 良かった。出てくれた。ほっと胸を撫で下ろしてまず疑問に思ったことを問い掛けた。 「お前今、どこにいるんだよ」 「はい、僕は今自宅にいます。さきほど着いたところです」 「怒られたか?」 「まあ、それなりに……」 これは、相当きつく言われたんだな。それがさらに那月が女に手を出したことに現実味をくわえていた。ぴり、と胸が痛む。 「なんで、女に手出した」 音也が身じろいだ。緊張した空気が流れる。 「それは朝説明したと思いますが」 「納得いかねえ」 「うーん、困りましたね。ほかに言いようがありません」 「おかしいんだよ。今まで俺以外に大して興味示さなかった奴がいきなり女に欲求を感じる? 納得いかねえ」 「…………」 那月が黙り込む。こんなこと言うなんて、どうやら俺は自分に相当自信があるらしい。那月の俺に向ける好きや可愛いなんてただのおふざけかもしれない。親友同士のスキンシップの一つかもしれない。そう思うのに思い込めないのは、やっぱりあの時の那月の言葉が俺の中で強く残っているから。 「……そうですね。僕は翔ちゃんが大好きで、翔ちゃんばかりを構ってきました。……翔ちゃんちっちゃくて可愛いから」 「ちっちゃい言うな!」 「はは……じゃあ、僕からも一つ質問してもいいですか」 「は? なんだよ。つーかまず俺の質問に答えろ」 「翔ちゃんはなんでそんなに僕に構うんですか」 俺の言葉を無視して投げ掛けられた質問。ズキン、胸に、なにかが強く突き刺さるような衝動。なんで、って、なんでそんなこと聞くんだよ。右手を心臓の上にやって少し力を込めた。俺の様子に心配そうな顔をする音也には笑いかける。そんな余裕作るのもギリギリだったけど、笑ってないとやってられない気がした。 「親友だから」 「……ふふ」 「……なんだよ」 「翔ちゃんこそ、嘘ついてる」 声が裏返ってしまった。那月に指摘されて、ドキドキしてるのも事実だ。那月の言う通り俺は嘘をついた。親友であることに間違いはないけど女に手を出したと知って、退学になって、こんなに不安になってショックを受けて、そんなの親友だからってわけじゃない。 「僕のことはもう心配しなくていいですよ。たまに会おうと思えば会えるだろうし」 「……そうだな」 「連絡も、こうして取れるし。翔ちゃんにはなんの問題もありませんよ」 「ああ……そうだな。もういい!」 ガンッ、携帯を地面にたたきつける。夕日の色に染まっていた地面はすっかり色が濃くなっていて、もうすぐ陽が沈むことを知った。――もういい。なんだよ、変に俺を庇うようなこと言いやがるくせに俺の言葉には耳すら向けなくて苛々する。 「翔……いいの?」 「知らねえよ。あいつは学園に戻る気ないんだろ。それなら俺が干渉する意味もねえ」 「だからって……」 音也を無視して部屋を出る。もういい。どれだけ引き止めようとしても戻そうとしてもなにも聞いてくれないならどうしようもないだろ。 それなら俺は那月のことを忘れよう。話は聞かないくせに会える連絡はできるとか言ってくるけどそんな中途半端になるくらいなら忘れたほうが楽だ。 那月に、好きと言われた分俺も那月が好きだった。そんな芽生えつつあった気持ちも全部忘れてやる。 1108202231 |