「やめろ!」
 那月に、キスされた。
 咄嗟に突き放して逃げるように部屋を出た。まさかキスされるなんて思ってなくて、混乱する。



「……あー、やっちまった」
 はっとなって足のペースを緩めたのは今。戻ろうと思ったけど戻ることができなかった。那月、傷付いた顔してた。そりゃそうだよな。付き合ってる相手にキスするのは当たり前のことで、それを拒まれたら傷付くに決まってる。でも俺だっていきなりのことで驚いたんだ。
 夜、就寝前のつかの間の時。涼しい部屋で床に俯せになって雑誌を読んでいたら、脇の下に手を入れられて持ち上げられた。そして胡座をかいた那月の上に座る体制となった俺はいつものことだと気にせず雑誌を読み続けていた。翔ちゃん、と声を掛けられても適当に答えるだけ。全てがいつも通りだった。それなのになんか苦しいと思ったら那月の腕の力が強くなっていて体が圧迫されていた。
「那、月……きついんだけど」
「ねえ、翔ちゃん」
「なんだよ……」
 てか、俺の言ってること無視かよ。首をひねって後ろにいる那月に目を向けようとした、ところで、キスされた。
 あまりに不意打ちであまりに予想外。だっていつも抱きしめてくるだけだからキスとかはしないと思ってたのに。別に俺はそれ以上をしたいと思ってないからされなくてもなにも不満なんてなかった。那月だって、それを思わせる言動をしたことがなかったから、やっぱり男同士だし抱きしめるくらいがちょうどいいものだと那月も決めてるのかなって。それに少し安心している俺だっていた。なのになんでいきなり。ショックだったり罪悪感だったりで体から力が抜けてしまってその場にしゃがみ込んだ。そうだよな、するよな。付き合ってるから当然だよな。しないっていうのは俺が頭の中で勝手に決めたもので、那月は言葉に出さないだけで本当はしたくてたまらなかったのかもしれない。そうだったら、俺はとんでもなくひどい誤解をしていたような気がした。
「……翔?」
 ため息をついていると上から声が降ってきて顔をあげる。そこには、外出でもしていたのかキッチリとした私服を着てズボンの裾を少し濡らしたトキヤがいた。そういえば今日は一日中雨が降っていて地面は水溜まりでたくさんになっていた。
「トキヤ……」
 こんな時間になにをしていたのか、そんなことは聞かない。あまり口を開かなくて自分のことを話さない奴だ。それよりもずっとこんなところでしゃがんでいたら俺がなにをしているのかと思われる。ここは既に消灯されてしまった校舎、Sクラスの傍の廊下だった。
「どこまで走ってんだか……俺」
 ぽつり呟く。那月に追い掛けられるのが怖くてとにかく遠くに、遠くにと思っていたらこんなところまで来てしまっていたなんて。外は、すっかり雨が止んで月や星が見える。今は真っ暗な廊下をその光が照らしてくれていた。じんわり暑い。
「…………」
 なんか、こんなところで会ってしまったからだろうか。気まずくて目を逸らした。
「……那月と、何かありましたか」
「……なんで知ってんだよ」
「そう思っただけです」
「…………あっそ」
 当てられた。そして自分で肯定してしまった。あー、もう。なんか楽しいことねえかな。俺はもう一度大きくため息をついて教室に入った。窓の縁に手をかけて、空を見上げる。いつもは人で溢れてなにかしら音がするここも今はトキヤと俺だけで、音は、トキヤが教室に入ってくる足音と虫の鳴く音しかしない。普段と全然違った景色を見せる教室に新鮮味を感じていると、少し距離を取ってトキヤも俺と同じように窓の縁に手を掛けて、空を見上げていた。
「……どちらが悪いのですか」
「……俺だよ」
「なんで、喧嘩したんですか」
「……那月が、いきなりキスするから」
「キス、ですか……」
 違和感。トキヤとこんなに話すのも、話の内容も。そういやクラス一緒だってのにあまり話したことなかったかもしれない。部屋が一緒ということもあってか、音也からよく話は聞いていたけど。
「初めてだったんですか」
「……悪いかよ」
「誰も悪いなんて言ってませんよ」
「そーかよ…………なんで、拒んじゃったかな。キスくらいでビビるとか俺だっせえ」
 独り言のように言う。いきなりキスされれば驚くのは当然だ。でも、突き放すなんてことしなくて受け入れればよかったのに。なんで手が出てしまったのか。
「……俺勝手に、キスはしないものだと思ってたから……驚いちゃって」
「……表が同じでも、裏は違うということはよくあります。それに、初めては誰でも驚くものでしょう。反射的に抵抗するのは仕方ないことです」
「仕方ないで済ませられたらいいよ。でも、那月は傷付いたから……そんな簡単に済ますことなんてできない」
 今のトキヤの台詞を、那月が言ってくれたなら俺も仕方ないで済ませただろう。でもだからって傷付いたことに変わりはないから、結局どうしようもない。
「あー……困ったな……」
「翔からキスしてあげるっていうのはどう?」
 は? トキヤと二人だけの空間に、三人目のからっとした明るい声が入る。振り返ると教室の入口に音也が立っていた。いつからいたんだ。てか、なんで夜にここにいるんだこいつらは。
「トキヤがさ、いつもだったら二十一時くらいには帰ってくるのに一時間経っても帰って来ないから少し心配になって探したんだ。そしたら、二人が話してるから盗み聞きしちゃった! なんでトキヤここにいるの?」
「……私は楽譜を取りに来ただけです」
 トキヤが頭を抱えてわざとらしく大きなため息をついた。音也はテヘッとでも言ってしまいそうな笑顔だった。
「翔からキスしてあげれば、那月も安心するんじゃないかな」
「……なんでそれだけで安心するんだよ」
「するよ! 好きな人がキスしてくれるってことは、自分を受け入れてるってことでしょ。一度拒んじゃったのはもう終わったことだし、翔からやり直せばいいと思うよ」
「そんなこと……」
 そんなこと言われたって。口にできてもなかなか行動には移せないものだろう。
「音也、それは無理だと思います」
 ほら、トキヤだってそう言ってる。無理なんだよ。いくらそれでうまくいくからって俺からするなんてできねえんだよ。
「それじゃあどうすんの。謝るだけじゃモヤモヤしたままじゃん」
 できねえから、もうなかったことにするしか
「……音也」
 ああちくしょう。付き合ったら楽しいことでいっぱいじゃねえのかよ。なんでキス一つでこんなに悩まないといけねえんだよ。
「これでうまくいかなかったら、三日連続で奢れ!」
 教室を抜けて走り出す。部屋には、きっと那月が一人で俯いてる。俺に突き放された体制のまま考え込んでる。あいつ楽観的に見えてたまにものすごくマジな顔してるから、だから、放っておけねえんだよ。
「那月ぃ!」
 ガンッと壁に扉が当たって音が鳴るほど勢いよく開いて予想通りの体制でいた那月に歩み寄る。そしてペタン、俺も地面に座って両手で俯いてる那月の顔を上げた。
「翔ちゃ……」
 全く、なにしてんだか。俺の覚悟が込められたキスはうまくいかなくてカチリと歯が当たった。でも唇の感触はしっかりと伝わってくる。恥ずかしい。マジで那月とキスしてんのか俺。
「ん、……那月、ごめん。別に、嫌だから拒んだってわけじゃないんだ」
「……わかってます。それに、謝るのは僕のほうです。いきなりキスしてすいません」
「いいんだよ。俺が悪かった。付き合ってから結構経つけど、なにもしてこねえからそういうことはしないのかって勝手に思ってたんだ」
「……本当は、翔ちゃんを抱きしめる度にしたいと思ってました」
「え?」
「でも、翔ちゃん求めてこないからしたくないと思って……我慢してました。だから今、翔ちゃんからキスしてくれてすごい嬉しいです」
「なっ……」
 お互い、したいことをしなくて思ってることを言わずに誤解していた。ってことか。なんだそれ。
 トキヤが、表が同じでも、裏は違うものと言っていたけど俺達は言葉にしてなかったからすれ違っていただけだったんだ。お互い同じ誤解をしてたんだ。
「……俺さ、キスしなくていいと思ってたんだよ」
「……はい」
「でも、一回すると、どんどんしたくなるな」

 人間って、貪欲だ。もっともっと求めるんじゃなくてもっと自分を抑えることはできないものか。でもキスの感触を知ってしまった俺は、どうしようもないくらいにキスしてほしくてたまらなかった。



「トキヤから聞いたよ。うまくいったんだってね」
「ああ」
 次の日、相談に乗ってくれたということもあってトキヤに報告した。それを聞いてめずらしく少しだけ笑ったトキヤの顔はなんかいいなって、思った。そして夕食、食堂で音也も嬉しそうに笑って成功を喜んでくれた。巻き込んで悪いと思う。でも、相談に乗ってもらわなかったらあのようにうまくはいかなかっただろうからごめんはやめて素直にありがとうとだけ言っておいた。これは、逆に俺が奢るべきだな。
「翔ちゃーん!」
「ん? ――っむ」
 後から来た那月や真斗に、目を向けると那月が走ってきて、そのまま、キスをしてきた。
「っ……てめえ」
「翔ちゃんキスたくさんしたいって言ってたでしょ!」
「場所を選べー!」

 それから、レンに場所を選べば何回したっていいのかと言われて反抗できず逆ギレすることになった。
 ああ、その通りだよ!







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