翔ちゃん、翔ちゃん。ふわふわした意識の中、柔らかな声が俺を呼んでいる。わかってるけど目が開かないんだ。まだ、もうちょっとだけ寝ていたい。寝返りをうってシーツを握る。那月は俺を呼ぶ。頬を抓られる感覚がしてうー、と唸るとかわいい。なんてぽつり呟く声が聞こえた。かわいいって言うな! いつものように怒鳴ろうと思ったけどうまく力が入らず薄らと目を開くことしかできなかった。目の前には壁。窓から差し込む夕方の陽の色に照らされてオレンジになっていた。俺の握るシーツも、オレンジだ。
「翔ちゃん、やっと起きた」
 そして、頭上からは那月の声。仰向けになると那月はベッドの縁に手をかけて前のめりに俺を上から見下ろしていた。那月も、オレンジの光を浴びている。まだ眠いんだけど、と言おうとしたところで右手で髪を梳くように撫でられた。女扱いされてるみたいで不快だ。眉間にシワを寄せると、俺の言いたいことがわかったのかくすりと笑って違いますよ。那月が言う。
「翔ちゃん見てると、撫でたくなるんです」
 んだよそれ。男相手に気持ち悪い。そう言おうと思ったのに髪を梳く手があまりにも気持ち良くて消えつつあった眠気がまたやってきた。だめだ、ねる。せっかく開いた目を瞼で塞いで、心地好い世界へと行く直前、
「夕食前に起こしますね」
 そうして、唇に重ねるだけのキスをされた。



「ん……」
 目を覚ました時、オレンジだった室内はすっかり暗くなっていた。窓からは太陽ではなく月の光が差し込む。そこで、俺はがばりと起き上がった。
「那月……?」
 那月が、いなかった。夕食前には起こすって言ってたのに。壁に掛けられた時計はすでに七時を回っている。あれは、夢だったのか。いや、違う。俺は違う夢を見たんだ。
「…………」
 あいつは一人で食堂に行ったのだろうか。なんで、今はいいって時にいて、いてほしい時にいないんだ。
 カチカチ、時計の音が虚しさを煽った。この空間が暗いのがいけないのか、不安はどんどん増殖する。くそ、なんで俺がこんな気持ちになんねえといけないんだ。顔を手で覆って俯いた。一人でいると余計なことを考えてしまう。食堂に行こう。行けば、みんながいる。いつものように元気な音也。睨み合いをするレンと真斗。つんとしながら一人で食事するトキヤ。そして、何が楽しいのかずっと笑顔でいる那月。行けば、みんながいる。
「…………行くか」
 ベッドから降りて扉を開けると、廊下の明かりと、夕食の乗ったトレーを持った、那月。
「あれ、翔ちゃ……」
「那月!」
 俺は、那月が言いきる前に抱き着いた。背中に腕を回してぎゅう、と力を込める。とっさにトレーを持った手を上げたらしく夕食は無事なようだ。俺は戸惑う那月を無視して何度も名前を呼んだ。やがて、俺に抱き着かれたまま座り込んだ那月がトレーを床に置いて抱きしめ返してくれた。片手は背中に、そしてもう片方の手は頭に回されてまた髪を梳くように撫でられる。
「……どうしたの、翔ちゃん」
「……うるせ」
「どうしたの」
 何も答えようとしない俺を無視して腕に力が込められる。那月を見上げると、優しく微笑むような顔で俺を見ていた。喉が引き攣る。なにか言おうと口をあ、の形に開けるけどうまく出なくて震えた声が洩れた。
「翔ちゃん?」
「……お、前が、いないから」
 夢を、見た。気付くと俺は教室にいて周りには誰もいない。Aクラスに行っても、誰もいない。部屋に行っても、食堂に行っても、どこに行っても誰もいなかった。学園中を走り回ったのに誰一人いなかった。そして起きたら那月がいないから、ゾッとした。ほんとうに、いなくなってしまったのかと。
「ごめんね。何回起こしても翔ちゃん起きないから、夕飯取りに行ってました」
「……なんで取りに行く必要あるんだよ」
「たまには翔ちゃんと二人きりで、食事したかったから」
「……な、に言って」
 よく見れば、トレーには二人分の量の食事が乗っていた。まさか那月がそんなことを思っていたなんて。独占欲を……感じていてくれたのだろうか。
 俺は恥ずかしさや嬉しさで不安と虚しさなんてもう感じることはなかった。
 普段、今みたいなことを言われたとしてもはいはいで済ませるけど今この空気で言われると何故こうもドキドキしてしまうのだろうか。
「翔ちゃん、もっとぎゅーってしましょうか」
「はあ?」
「ぎゅーってすれば、幸せな気持ちでいっぱいになるんですよ」
 こいつ、俺の返答なんて聞く気ないだろ。構わず強く強く、今までにないほどにきつく抱きしめられた。苦しい。けど、今の俺にはちょうどいいくらいだった。俺も最大に力を込めて那月に抱き着く。まるで、縋り付いているような感じだ。
 肩越しに見える廊下。夢では、誰もいなくて恐ろしかったここも今では妙に安心できる場所だった。 幸せだ。ただ、純粋にそう思う。

 夕食を終えた面々にこの姿を見られるのはこれからのこと。きっと俺は恥ずかしくて俺から抱き着いたにも関わらず那月を突き放して、抱き着くなバカヤロー! とか叫ぶだろう。那月は笑顔で、翔ちゃんが可愛いから。って、いつものように言う。全部が、日常に戻る瞬間。
1108141717



拍手ありがとうございます!



レスはReにて。

「#オリジナル」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -