26

甲斐武田軍の本拠である、躑躅ヶ崎館に着いたのは、夕方になってからだった。
悠自身も慣れない遠出で疲れていたし、明日は謁見だということもあり、今日はゆっくり休むこととなった。
湯浴みを終えて廊下を歩きながら、悠は見慣れない庭を眺める。池には半月ほどの月が映っていて、風で微かに水面が揺れていた。
勝手も違ければ、雰囲気もまるで違う城だが、映るそれは米沢の自室から見るものと何ら変わり無い。それでも何故だか少し寂しくなって、政宗の部屋にでも寄ろうかと思ったところで、角から現れた姿にぶつかった。


「ああっ、すみません!」
「おお、すまぬ。儂も余所見をしておった。お主は大丈夫か?」


ぶつかった拍子に、よろけてしまった悠の身体を、相手は直ぐさま支える。その咄嗟の行動にも驚いた悠は、相手の男を見上げた。
坊主頭に髭を生やし、蘇芳色の着流しを着た、大柄なその初老の男は、心配そうな表情で見つめている。


「はい、大丈夫です。ありがとうございます。私も余所見をしていたもので」
「何じゃ、お主もそうであったか」


悠が体勢を立て直して礼を述べると、男はその見た目に似合わず、まるで悪戯をしたかのように笑った。


「月見酒でもしようかと思ってのう…つい、気が緩んでおったわ」
「月見酒ですか?まだ半月ですけど…」
「望月も良いが、これから満ちていく月を眺めるのもまた良いものじゃ」
「確かに良いですね。私は池に映る月も好きです」
「ほう、お主も分かっておるな」


少し驚いたような、それでいて嬉しいような、そんな表情をした男に悠は微笑み返し、池に映る月を見遣る。
同じように男も見つめていたのだが、少しばかり湿った悠の髪に気付いた。


「む、湯上がりであったか。女子は湯冷めせぬようにな」
「はい、ありがとうございます。あまり飲み過ぎないよう、お気をつけて下さいね」


そう言われては敵わぬな、と男は笑って去って行った。
こうしたやり取りから、やっぱり武田軍らしいと悠はしみじみ思っていれば、廊下の先から政宗が現れる。


「どうした、何処か行くのか?」
「ちょうど政宗のとこに行こうと思ってたところ」
「そりゃあgood timingだな。お前の部屋に行こうと思ってたところだ」


政宗はそう言って、何かに気付いたように僅かに目を見開き、お前な…と少し呆れたような溜め息混じりの声が返ってくる。悠が不思議そうに首を傾げていれば、政宗は左の袂を漁り始めた。


「暖かくなってきたとはいえ、髪くらいちゃんと拭かねぇと風邪引くぞ。ほら」
「ああ、ありがとう。なんか高そうなハンカチ…」
「はんかち?」
「ええと、ハンカチーフだっけ?あ、手拭いのこと!」


変なところで略すんだな…と政宗は言いながら、悠の部屋の方へゆっくり歩いていく。
まだ少し湿り気を帯びている襟足の髪を、藍色の手拭いで押さえると、微かに政宗の纏う香の匂いがした。




――翌日。
本丸の広間に案内された政宗達は、静かに城主を待っていた。
政宗は慣れたように腕を組んで胡座をかいており、小十郎と綱元はいつものように静かに正座している。悠は伊達とは違う雰囲気と広い屋敷に、ちらちらと見回していたが、上座の横で控える幸村へ視線を移した。
もう少し子供らしく天然で、女子と相乗りとは破廉恥だなんだと叫んだりするのではないかと悠は思っていたが、どうやらその予想は外れていた。道中、まともに言葉を交わしたのは最初の紹介以来ではあったものの、馬で遠出に不慣れな悠を気遣ってか、何度も休憩を取ってくれていたのだ。
思ってたよりもしっかりしてるんだな、と感心していた悠の視線に気付いてか、幸村と目が合う。幸村は少し目を丸くすると、小さく会釈をし、悠も同じように返した。
程なくして、城主で武田軍大将の信玄が広間へと入り、腰を下ろす。ちらりと見た悠は、どこかで見たような…と思いかけて、昨夜に廊下で会った男を思い出し、目を見開いた。


「……あ」


小さな声ではあったが、静かな広間には十分に響き渡る。
呆然とする悠に目が合った信玄は笑んだ。それは、昨夜に会った男と同じ、悪戯をしたかのような笑みであった。


「"竜の姫君"とは、やはりお主であったか」
「き、昨日の…!」
「あれは偶然でな、騙すつもりは無かったのじゃ。お主、あれから風邪は引いておらぬか?」
「はい、大丈夫です。
申し遅れました、悠と申します」
「お、お館様…?」
「Wait…どういう意味だ」
「なに、昨夜に廊下ですれ違うただけよ。のう、悠?」
「はい」


信玄と悠とのやり取りを各々がそれぞれの表情で見つめていたが、その二人の返答に幸村は困惑しつつも、何とか納得したようだったが、政宗は納得できないと言わんばかりに怪訝な表情をしている。後ろに控えた小十郎は深く溜め息をつき、綱元は苦笑を浮かべていた。


「まあその話は後から聞くとして……上杉との同盟はどうなってる」
「昨夜、承諾の書状が届いた。
北条や徳川にも共闘して貰いたいところだが、既に徳川は織田の傘下になっておる。北条からはまだ返事が来ておらぬな」
「徳川、か…」
「徳川と言えば、四国の長曾我部と通じておったな。お主も、長曾我部と親交があるようじゃが…」
「正式ではねぇが、ほぼ同盟のようなものだ。互いに書状のやり取りはしてる。
先日、毛利が襲撃にあったと聞いた。
豊臣は南下をするつもりなんだろう。それには、瀬戸海を挟んだ長曾我部と毛利が邪魔になる。
傘下か、死かのどちらかだろうが…どうだかな」


四国の長曾我部と聞いて、悠は少し不安になったが、不敵に笑う政宗からは心配そうに伺えない。寧ろ悠には、そうくたばる野郎じゃないと思っているように感じた。
もし、侑果が自分と同じような境遇で長曾我部にいるのなら、きっと何とかする筈だろう。それに先日、慶次が土佐へ向かったばかりだ。例え侑果が居なくても、相手が豊臣ならば、慶次も黙ってはいられないと悠は思った。


「北条がどう動くか、だな。
小田原を取られては、北上の足掛かりになる事は目に見えてる。
北条の返事次第では、小田原を攻めざる負えねぇな」
「堅牢な小田原を攻めるのは容易ではない。出来れば、そうならぬようにしたいものよ」





甲斐の虎、武田信玄

120521

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