19

出立を明日に控え、山吹色の着流しを着た慶次が廊下を歩く。
庭から見える空はすっかり暗くなっていて、鋭利な細い月が輝いていた。といってもまだ就寝するには早く、あちこちの部屋から行灯の光がぼんやりと洩れている。
長い廊下をゆっくりと歩いていると、藍色の着流し姿が向かってくるのが見えた。


「あれ?政宗、お出かけかい?」
「お前を探してたんだよ」
「俺?」
「元親んとこ行くんだろ」


渡しといてくれ、と政宗は懐から一通の書状を取り出して、慶次へ手渡す。


「ああ、ちゃんと渡しとくよ」
「奥州まではお前に忍をつけさせるぞ」
「え?いや、そんなのいいって!流石に迷わないし!」
「…そういう意味じゃねぇ」


溜め息混じりに吐いた政宗の言葉に、慶次は怪訝そうに少しだけ首を傾げる。腕を組んだ政宗は、廊下の柱に寄り掛かって庭を見遣った。


「斥候がうろついてる」
「まさか…戦が始まるのか?」
「いや、そういう事じゃねぇ。あいつの事を嗅ぎ付けられちまったんだよ」


政宗がくいっと顎で示せば、それを理解した慶次は眉を寄せる。


「どっから聞きつけたかは知らねぇが…虎と呼ばれるだけあって、随分と鼻が利きやがるらしい」
「政宗は…どうするんだ?」
「Ah?」


慶次を見遣って、政宗は普段と変わらない不敵な笑みを浮かべた。


「どうも何もねぇだろ、手放すつもりなんざ更々ねぇよ」




――――――


「へえ、殿がそんな事を」


杯を呷る慶次に、宗時は少し目を見開いて驚いた声色をした。
元々余り動じる事のない宗時も、慶次から聞いた政宗との話には驚かされたようで、珍しく表情がはっきり見て取れる。
それに気を良くした慶次はにこりと笑って、宗時の杯へ注いだ。その満たされた杯を眺めた宗時は、ゆるりと微笑む。


「成る程。殿が政務を放棄しない訳だ」
「確かにちゃんと休憩してから顔を出しに来てたな…」
「米沢だけでなく、今は奥州の守備を強化までしてる。最近は、城下に行く暇すらない有様だ」


少しばかり残念そうな声色の割りには、相変わらず微笑みを浮かべている。宗時の言葉に、慶次が思い出したように声を上げた。


「奥州出るまで忍をつけてくれるんだって?悪いな、左馬之助」
「悪いと思うなら、あまり馬を走らせないようにしてくれ。お前の松風は、殿の馬に引けを取らない速さだからな。あいつ等だって楽じゃないんだ」
「あー…はは、気を付けるよ」


期待は出来そうにないな、と宗時が笑って言えば、慶次はへらりとごまかすように笑った。
宗時は杯に口を付けると、開いた障子から見える細い月を眺める。


「西の方も状況は良くない」
「…え」
「慶次が来る前の話だが…着々と領地を広げていく毛利に、豊臣が急襲をしかけた」
「急襲…?」
「ああ、動きを読み切れなかった毛利の被害はそれなりに大きかったらしい。豊臣にとっては牽制のつもりなんだろう。深追いせずにあっさり退いたとの事だ」


それに、眉を顰めていた慶次はゆっくりと目を伏せる。
織田は北を狙い、豊臣は南を狙う。
余りに大きな勢力は、隙あらばと互いの背後を狙ってはいるものの、領地拡大が優先なのは見て取れて、近隣の諸国の被害が増えるばかりであった。
織田と違い、今まで大きく動きを見せなかった豊臣も少しずつ動き始めている。瀬戸海を挟んだ毛利と長曾我部が睨み合いを続けているが、それも時間の問題となっていた。


「牽制にしても、あっさり退くってのは怪しいな」
「あの毛利だからな。案外、豊臣と手を組むという事も有り得ない話ではないだろう」
「そうなると……っ!」
「危ないのは長曾我部だ。まともに相対せば、全滅は免れない。
友好関係があるとはいえ、徳川は今や織田の傘下。伊達(うち)も近隣の動きが激しくて動けないのが現状だ」


悲痛な表情をする慶次は、杯とは反対の手を握り締める。宗時はそれを一瞥して杯を傾け、短く息を吐いた。


「これは俺自身の仮定の話だ。道中は気をつけて行けよ」
「…ああ、ありがとう」





鋭く光る、上弦

110214:執筆

top


「#エロ」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -