38

ごろりと寝返りをうって、軽く息を吐く。
暇だな、と侑果は横に置いてある水差しをぼんやり眺める。侑果が目を覚ましてから、四日が経っていた。
まだ少し身体の節々は痛むものの、日がな一日ただ布団に寝かされて看病を受けているのが現状である。それもこれも元親の配慮なのだが、侑果には苦になってきていた。
眉を寄せてまた寝返りをうつ。脱出しようかな…と侑果は思いながら瞼を閉じたが、ぱちと見開く。


「そうだ、その手があった」


勢いよく起き上がると、あちこちが痛んだが、横に置いてあった薄紅梅色の羽織を肩に掛け、侑果は布団から出る。障子を少しだけ開けて覗き、誰も居ないのを確認して、ひっそりと廊下へと出た。
足音を立てないように静かに廊下を歩いていると、角から書類を持った親貞がこちらに歩いてくるのが見えて、侑果は慌てて身を隠す。まずい、どうしよう!と思った矢先、誰かが走ってくる足音と共に儀重の声が聞こえてきて、侑果はこっそり覗き見る。


「隼人か、どうした?」
「先日の戦の損害について、お聞きしたい事がございまして…」
「ああ、帳簿が手元にないな…済まないが、部屋まで来てくれるか?」
「はい」


こちらに向かって来ていた親貞が、踵を返して反対方向へ歩いていき、侑果はほっと息を吐いた。すると、二人の会話が聞こえてくる。


「元親様はまた釣りですか?」
「利家殿と慶次殿を連れてな。怪我してる野郎共の為、だそうだ」
「果たしてそれだけの理由なのでしょうか」
「そうでは無いことは確かだな」


そう笑う二人が去って行くのをこっそりと見送る。
釣りに行っているという事は今は居ないのか…と自然と口角が上がったのが、侑果でも分かった。辺りを伺いながら、そろりそろりとまた廊下を進み始める。
周りから見えにくい角で袖に隠していた靴を出して、庭へと降り立つ。厨から少しばかり離れた、洗濯物が霹いている物干し竿が見え、あと少しというところで、横の障子が開いた。
桶を抱え、桃色の着物を纏った、肩ほどの髪をした女人は、驚いたように目を丸くしている。侑果は女人に少し見覚えがあるような気がしたが、侍女ではない事だけは何となく分かった。


「あ、の…ええっと…」
「もしや、侑果殿でございましょうか?」
「はい、そうですけど…?」


不思議そうに見つめる侑果に、まあ!と何やら嬉しそうに声を上げて、持っていた桶を横に置くと、女人はにこりと微笑んだ。


「お会い出来て、嬉しゅうございまする!もうお体は大丈夫なのですか?」
「は、あ…はい、大丈夫です。ええと…?」
「失礼致しました。
私は、前田利家が妻、まつにございまする」
「ああ、前田のまつさ………え、ええええ!?ま、まつ姉ちゃんですか!?」


一瞬きょとんとした後、はいと微笑んで答えたまつを侑果は改めて見つめる。そうか、着物だから分からなかったのか…とぼんやり思った。


「何やら、慶次がお世話になったようで…」
「え、いえいえ!全くそんな事はないですよ!寧ろ私がお世話になってますし!ああっ、頭なんて下げないでください…!ちょっ、だめですって!」


侑果がまつの肩を起こそうとすると、くすくすと笑い声が聞こえて、まつは下げていた頭を上げた。


「慶次からお聞きした通りのお方でございます」
「え…?」
「侑果殿からは、武家の妻として同じ匂いを感じまする」
「…そ、そうですか?」
「家を守り、この戦乱を生き抜く…その覚悟を感じまする」


まつのその瞳に宿る覚悟が垣間見え、侑果は視線を落として、ゆるゆると首を振った。


「私は、あまりよく考えていないだけなんです」


侑果は、呆れたような自嘲するような曖昧な笑みを浮かべて、ゆるりと目を伏せる。


「皆で船に乗ったり、この城で穏やかに過ごしたり、賑やかな城下へ遊びに行ったり…私は、一緒に笑い合ってくれる優しい皆を、この場所を、ただ守りたい。それだけなんです」

「それで良いのですよ」


優しい声に侑果が顔を上げると、まつの美しく強い瞳と視線が合う。


「大切な者を、大切な場所を守りたいと思えてこそ、そこに覚悟が生まれるのです。それはきっと、侑果殿の御力になりましょう。それを、いつまでもお忘れなきよう…」


そう微笑むまつの言葉は、侑果の綯い交ぜになっていた心にすうっと染み込んでいき、侑果は柔らかく微笑み返す。
その時、侑果達の方へと幾つかの声が聞こえ、二人に見覚えのある姿が荷車を引いて近付いてくるのが見えた。


「皆様、お帰りになられたようでございまする。
犬千代様ー!慶次ー!」
「まつ!帰ったぞー、大漁だ!」
「ただいま、まつ姉ちゃん!」


侑果は、一行が近付いてくるのをぼんやり見つめていたが、はっと思い出す。慌てて直ぐ傍の、物干し竿に干している洗濯物の陰に身を隠した。


「皆様、お帰りなさいませ!まあ、これ程に!」
「この大物、前田の兄さんが釣ったんだぜ」
「流石は犬千代様にございまする!」
「へへ、照れるなあー!」


まつと利家の二人の光景に、慶次が苦笑いをして、後ろに続いた兵達も微笑ましそうに見ている。元親もその一人だったが、ふと、近くの物干し竿を見遣る。洗濯物が霹く中、ちらりと見えた薄紅梅の色を怪訝に思って、物干し竿へ近付き、干してある白い敷布をめくった。


「あ、あはは…お帰りなさーい?」


侑果は目を泳がせながら、苦笑いを浮かべる。元親は徐々に眉を寄せて目を細めていき、それを見た侑果はやばい!と少し後退った。


「お前……侑果!!」
「ぎゃあっ!ごめんなさい!」
「なんでこんなとこに居るんだよ!部屋で大人しくしてろっつったろ!」
「だからもう大丈夫なんだってー…ただの筋肉痛だよ?」
「それでも三日も寝っぱなしだったじゃねぇか!」
「ちょっとそれ、まだ言ってんの!?もう四日だよ、四日!動かないでいる方が余計に治らないでしょ!」


二人は暫く睨み合っていたが、元親が溜め息と共に肩を落とす。
元親は何か考えるように、がしがしと後ろ頭を掻きながら、心配そうに侑果を見つめる。


「……絶対無理はしねぇか?」
「しない!しません!」
「…分かった。いいぜ」
「やったあー!」





守りたいもの

110615:執筆

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