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「どうだい……、様子は…」
「…変わらず……よりは、顔色が……」


微かに話し声が聞こえてきて、意識が少しずつ浮上していく。
ゆっくり瞼を開くと、見馴れた天井と波模様の欄間が映る。視線を少し横に動かせば、千と慶次が目を丸くしていた。


「っ侑果様!」
「俺、皆に知らせて来るよ!」


慶次が慌ただしく障子から出て行き、廊下を走る足音が響き渡る。
それを見送って、侑果は上半身を起しかけると、千が布団へ戻そうとして肩を押さえたが、大丈夫と返す。その手が背中に回って支えられ、侑果は楽に上半身を起こす事が出来た。
目に見えるような傷は無かったものの、身体の節々が重く、鈍い痛みが走る。


「侑果様、お体の方は?」
「少し筋肉痛ですかね。ここはもしかして…」
「はい、岡豊城ですよ」
「そうですか……あ、戦はどうなって…!」


そっと右手を包むように握られた手に侑果が目を丸くすると、千はぽろぽろと泣き出した。


「え、お千さん!?」
「本当に、心配しました…っ」
「!」
「あの後…こちらにも、っ本陣が移されたとの…連絡が届いてっ、行方が分からないと…聞かされた時にはもう…千はっ、千は…!」
「…っ、ごめんなさい」


千の背中を撫でようにも、握られた右手では無理があり、その上から左手を重ねて撫でる。
顔を上げた千の、きっと睨むように涙目で見つめられて、侑果はぱちぱちと瞬きを繰り返した。


「謝るよりも、先に言わなければならない事がお有りでしょう!」
「…え」
「ご帰還したのなら、何と?」


侑果は意味がよく分からず、ぼんやりした頭を少しだけ働かせると、その意味に気付いて声を上げた。


「ええと、ただいま…戻りまし、た…」
「お帰りなさいませ、侑果様」


改めて言う、その言葉に何だか照れくさいような、むず痒いような気がしたが、それでもほわりと侑果の心は温かくなった。
涙ぐみながらもにこりと笑った千に、侑果もにこりと微笑み返す。すると、どたどたと足音がたくさん近付き、障子が勢いよく開いた。


「目を覚ましたって本当か!?」
「侑果…!」
「心配しましたよ、侑果殿!」
「おい、大丈夫なのか?」
「本当に良かった、良かったあ!」
「キキィー!」
「ユウカ、ユウカ!」
「何処か痛いところはないか?」
「「「アネゴおおおー!」」」


なだれ込むように部屋に入って来たのは、元親、親泰、儀重、親益、慶次の肩に夢吉、親貞の肩には鸚鵡がとまっていて、廊下には涙ぐむ可之助と兵達が並んでいた。


「そんな一気に言われても…大丈夫だよ、ちょっと筋肉痛ではあるけど」
「大丈夫じゃねぇだろ。暫くは、寝てろよ」
「んな大袈裟な…重病じゃあるまいし」
「何言ってんだよ、侑果!もう、かれこれ三日は寝てたってのにさ!」
「………うっそ」


むうっと頬を膨らます慶次に、侑果は驚き余って、ぽかんと口を開ける。そんな侑果の様子に、横で胡坐をかいて座っている元親は、安堵したような表情を見せた。


「豊臣は撤退したぜ」
「勝った、の?」
「ああ。少し怪我人は出たが、野郎共は皆無事だ」
「そっか、良かった…」


侑果は元親に微笑むと、反対側に座っている親貞が、申し訳なさそうに口を開いた。


「済まない、侑果殿。本陣が移動していたとは知らず…」
「いえ、謝らないで下さい。ちゃんと本陣に行けたんですから」
「そういや、侑果。お前どうやって親兄のとこまで行ったんだよ?」
「え、跳んで」
「はあ!?」


頑張ったら海面でも跳べたんだよねー、とへらりと笑った侑果に、なんだよそれと親泰からは呆れたような、困ったような笑みが返って来て、部屋の中が一気に賑やかになる。以前のような穏やかな雰囲気を感じ、侑果は安堵の息を吐いて微笑む。
その時、一人の兵士がばたばたと慌ただしく走ってきた。


「ア、アニキー!」
「どうした?」
「それが…」


兵士が言葉を濁らせて、ちらりと慶次を見遣る。それに皆が慶次へ視線を向けると、慶次は目をぱちくりさせている。
すると、廊下の奥から声が聞こえてきた。


「まあ、やはりこちらに!犬千代様!」
「よし!マグロ…じゃなかった、慶次いいいー!」


その聞き覚えのある二つの声に、慶次が焦ったように顔を引き攣らせる。


「……げ」




――――――


「「慶次が、ご迷惑をお掛け致しました」」


目の前の夫婦が、揃った声で頭を下げた。
慶次の叔父、前田利家とその妻、まつである。
脇に居る本人の慶次は、居心地悪そうに気まずい表情をしており、元親は苦笑を浮かべた。


「まあ顔を上げてくれよ、お二人さん。迷惑なんざ掛けてもらっちゃいねぇぜ、どっちかって言やあ大助かりだ」
「元親…!」
「おお!やはり、長曾我部殿は寛大だなー!」
「まあ、いつもいつも……慶次!長曾我部殿に甘えてはなりませんよ!」
「分かってるよ!」


きっと慶次を睨んだまつは、元親へ視線を向ける。


「先日、戦だったようで…」
「まあな。気にする事ァねぇさ、渡航は大変だったろ?」
「某が船を漕いだのだ、楽しかったぞ!」
「そうかい、前田の兄さんには船乗りの素質があんだな」
「まつ、某褒められた!」
「流石は犬千代様でございまする!」


相変わらずの和やかな雰囲気が流れていたが、まつは立ち上がりながら慶次に声を掛ける。


「さて、そろそろお暇致しまする。慶次、帰りますよ」
「え、今!?」
「当たり前です」
「待ってくれ、お二人さん。
悪いんだが…うちは今、怪我人で手ぇ一杯でよ、野郎共の為に滋養のある飯を作っちゃあくれねぇか?
勿論タダとは言わねぇ。居る間中は、好きなだけ釣っていきゃあいい」
「釣り!マグロ!」
「ですが…」
「ほら!戦が終わって間もないし、やっと侑果が目を覚ましたばっかりなんだ。頼む、二人とも!この通り!」


利家とまつの二人は、頭を下げている慶次に目を丸くして、互いに顔を見合わせた。





待ち望んでいた日常

110321:執筆

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