33

大きな安宅船の毛利本船。
弓隊に囲まれたその本陣で、総大将である元就は、激戦を繰り広げている前線を静かに眺めていた。
その背後から声が掛けたのは、本陣を囲む弓隊を率いる、桂 元澄である。


「元就様、貞俊殿が着いたようです」
「それで」
「はい、まだ船影は確認出来ないとのこと」
「……そうか、元澄」
「はっ」
「弓兵を見えぬよう、隠しておけ」
「御意」


気付かぬとは愚かな…と内心呟きながら、元就は激しい戦闘を繰り広げている前線を眺める。
度々上がる長曾我部方の歓声は、耳障りではあったものの、その士気の強さに溜め息をつく。
馬鹿馬鹿しい、と元就は思った。たかだか一人の娘で、これ程までに士気が上がり、ましてや、国が活気づくなど、と。
瀬戸海の先を見遣る。船影はない。
止む様子のない砲撃に、至るところで水柱が上がる。
"瀬戸海に舞い降りた宝"…その娘は普通ではない―――さすれば、


「排除するに限る」





別働隊である親貞達と別れ、侑果は鬱蒼と覆い茂る、薄暗い畦道を駆け抜けていく。
もう随分と走っているが、不思議と疲れを感じなかった。まるで、地面そのものが侑果の足を跳ね返すような、そんな感覚である。高い跳躍をして着地をしても、地面はクッションのように衝撃を吸収し、足が痺れる事も無い。
その時、後方から微かに気配を感じた。
風を切るような気配が徐々に近付いてくるのが分かり、侑果は足に力を込めて、速度を上げる。駆け抜けた後の木々の幹に、次々と苦無が刺さっていく。儀重に持たされた護身用の拳銃を懐から取り出しかけて、侑果は手を止めた。
伊予に置かれた長曾我部軍の本陣までは、あと少しというところまで来ている。そこまで行けば、流石に追っては来れない。
侑果は拳銃を懐へ戻し、木の葉がはらりと落ちていく、その軌道すらも変えずに駆け抜ける。
親貞から事前に教えられた伊予の本陣は、この林を通り抜ければ目の前――――の筈だった。


「っ!?」


侑果の目には、がらりと開けた沿岸の更地と瀬戸海がただ広がっている。そこには、船を繋いでいたと思われる杭がただ残されているだけであった。
ざり、と地を踏む音が侑果の背後から聞こえる。深緑色の装束を纏う忍は、刀をゆっくりと構えた。侑果が懐に伸ばしかけた手を下ろすと、忍はぴたりと動きを止める。
一瞬の隙をついて、侑果は崖へ向かって走っていく。そのまま杭を踏み台に、ひらりと崖から飛び降りた。
それに瞠目した忍は、素早く崖へ近付いて下を覗き込む。
そこには、岩肌を打ち付ける荒い波があるだけだった。




一方。親貞率いる別働隊は、讃岐の白地城を前に行軍していた。
その時、親貞に騎馬兵が向かってくるのが見える。


「親貞様ー!」
「おお、忠澄か!」


馬に乗っていたのは、親貞と同じような水色の陣羽織を纏った、忠澄だった。
阿波より岡豊城へ早馬を向かわせた、あの忠澄である。
馬を親貞に並行させると、忠澄は口を開いた。


「我が軍の本陣が、本船へ移されたようです。親貞様は、このまま指示された沿岸へ…」
「………忠澄、今なんと…?」
「ですから、このまま指示さ」
「違う、本陣を本船に移したとは本当か!」
「はい、豊臣の動きを危惧した元親様が本船に移すように、と親泰様に……親貞様、どちらへ向かわれるのですか!?」


忠澄から聞くや否や、親貞は列から抜けて馬を走らせ始めた。慌てて忠澄は親貞を追い掛ける。
隊の先頭を少し越えたところで、徐々に速度が落ちて、親貞の馬は止まった。その後ろから忠澄が追い付いて止まる。


「親貞様!一体、どうなさ「…忠澄、俺は…」
「…親貞、様…?」


俯く親貞は手綱を一層強く握り締め、風に掻き消えてしまいそうな程に小さな声を洩らした。


「宝を、失ってしまった…」





風の行方

101021:執筆

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