31

人手が少ないせいか、普段よりも静かな城内の廊下を侑果は歩いていた。
ふと足を止めて、向かい側の部屋を見る。障子は閉まっており、ひっそりと静まり返っていた。
西の方へ見遣ると、鬱蒼と覆い茂る木々の隙間から突き抜けるような青空が見え、風が頬を撫でるように吹いていく。
その時、侑果の耳に聞き慣れた声が掛かる。
淡い水色をした波模様の陣羽織を纏っている、親貞だった。
親貞の戦装束を初めて見た侑果は、少し驚いて目を丸くする。


「ああ…この姿を見せるのは初めてだったか」
「はい、ちょっと驚きました。もう出立ですか?」
「まだなのだが、頼まれた荷の様子を見ようと思ってな」
「そういえばさっき、慶次が積むの手伝ってましたよ」
「今は人手が少ない。慶次殿が居てくれて本当に助かるな」


そうですね、と微笑む侑果の纏う雰囲気に、親貞は何処か違和感を覚えた。
不思議に思った親貞は、さりげなく一歩近付く。すると、ふわりと自身の羽織の裾が揺らめいた。


「……侑果殿、貴女…」
「はい?」

「親貞様!」


侑果が少し首を傾げた時、その背後から孝頼と儀重が足早に向かって来た。
何やら焦ったような二人の様子に、親貞と侑果は顔を見合わせると、二人へ近付く。


「どうした?」
「阿波一宮より、早馬が」
「一宮?忠澄からか」
「はい」


親貞が儀重から書状を受け取り、目を通していたが、瞠目して眉を寄せた。その様子に孝頼と儀重も少し眉を寄せる。


「…豊臣が動いた」
「な…!?」
「関船数十艘、安宅船十隻、巨大な戦艦が一隻………兵力は約八万だ」


それを聞いて、孝頼と儀重、侑果の三人が瞠目する。


「毛利方が約三万五千。
我等、長曾我部は私が率いる二千を足しても約四万ほど…」
「…敵方は、約十一万五千という事ですか」
「そうなるな。例え毛利方に勝てたとしても、損害を多く見積もって約二万は削がれるだろう」


二万で八万を相手にするには、誰が見ても無謀である。
だが、豊臣が動く事を毛利が知らない筈がない。それに何より、毛利方が三万五千であることにも疑問があった。
毛利と豊臣が組み、四国を狙っているとすれば、十一万弱の圧倒的な兵力によって、長曾我部が落ちるのは必定だろう。
だけどもし、毛利が豊臣と組んでいないとしたら…と侑果は思いかけたが、豊臣と毛利の動向を知らない侑果には、為す術が思い当たらず、眉を寄せる。


「親貞様、毛利は先日豊臣から侵攻を受けたばかり。それに、毛利が大坂に向かったとも、豊臣が安芸に向かったとも、無いご様子。双方は組みしていないかもしれませぬ」
「だが、相手は毛利だ。人目につかずとも、幾らでも上手くやれるだろう」
「そうでしょうか。
ならば、何故今になって長曾我部に戦を仕掛けるのでしょう?毛利とて、中国と瀬戸海を容易く渡すつもりはありますまい」


孝頼の進言に、侑果ははっと気付いたように俯いていた顔を上げた。


「…だが、」
「親貞さん、毛利と一時休戦をして、共に豊臣を追い払いましょう」
「侑果殿…?」
「大丈夫です、必ず出来ます」


そう言い切った侑果からは、突如巻き上がるように風が吹く。
それに孝頼と儀重、侑果自身も驚いたが、親貞だけは微笑んだ。


「侑果殿は、やはり婆裟羅者だったのだな」
「ばさら、もの…?」
「目にした事はあると思うが、兄上なら炎、慶次殿なら風といったような力の事だ。侑果殿は、風なのだろう」


その言葉に、侑果は自身から巻き上がる風に触れる。手に纏わりつくような柔らかいそれは、船に乗っていた時に感じたものと同じであった。


「兄上や野郎共から聞いた話によると、船にいた時は並外れて高い跳躍ができるとか」
「はい…でも、何故か城に来てからは全く出来なくなってしまって…」
「それは侑果殿に、危機意識が無くなっていたからだろう」
「…危機意識?」
「侑果殿のその風は、危機を察知した場合のみ力を発揮する。以前の慶次殿との稽古の時も、無意識に危機を感じると、そのような風が出ていた」


親貞の言葉に、侑果は思い当たる節があった。
侑果にとって、城での穏やかな生活は、"戦乱の世"であることを忘れさせ、力もまた眠りについていた。だが、戦が始まると聞き、忘れていたそれを漸く思い出す。それに加えて、護身として習った武術は、侑果の中に眠っていた力――風を呼び覚まさせるきっかけとなっていたのだ。


「侑果殿にお願いがある」
「何ですか?」
「我が軍の本陣まで、向かってくれないだろうか?」


親貞の言葉は侑果だけでなく、孝頼と儀重をも驚かせた。


「親貞様、何を…!」
「そうです、何も侑果様で無くとも…」
「分かっている。だが、早馬よりも早く本陣に向かえるのは、侑果殿しか居ないのだ」


そう親貞は侑果を見つめ、侑果は頭の中で、先ほど見つけた紐を確認するように手繰り寄せる。綯い交ぜになっている糸から織り成したそれは、侑果の中で確信へと変わった。
もしかしたら、とふと頭を掠めた一本の糸も織り成すと、風が髪を遊ばせるように吹いていき、侑果は親貞に向き直る。


「分かりました、行きます」





――その頃。
風が吹き付ける中、波に揺れながら、長曾我部と毛利の船団が静かに対峙していた。
その毛利方本船の本陣では、椅子から立ち上がり、輪刀を手にした元就が進み出る。
元親は碇槍を肩に担いで、甲板から毛利方本船を見据えて指した。


「撃てー!」「撃て!」


その声を合図に、両軍の船の大砲が次々に火を噴く。
長曾我部対毛利の戦いが、瀬戸内海で幕を開けた。





瀬戸内対決、開戦

101011:執筆

top


「#エロ」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -