25

日が経つにつれて、城内は慌ただしさを増していた。
侑果が厨で支度を手伝っていたところ、親貞に声を掛けられる。
侑果は、その時点で既になんだか嫌な予感はしていたが、用件を聞いてにこりと頷くと、部屋の方向へと向かう。
見送る親貞の双眸に、少しの期待と憂いのようなものが混ざり合っていた事を侑果は知らない。

部屋へと着いた侑果は声を掛けると、中から入るように促す声が掛かって部屋へと入る。戦装束を着た元親が珍しく机に向かっていた。
机の上には、広げられた地図や書状などが置かれていて、読んでいた書状を畳むその表情には、些か疲れが見え隠れしている。
それを見て、少しずつ緊張してきた侑果は、座る事も忘れて立ち尽くす。動かない侑果に、元親は首を少し傾げて怪訝な表情をする。


「侑果?どうした?」
「………え、あ、ごめん。ぼーっとしてた」
「…ん、ならいいが」


我に返った侑果が漸く座ると、元親は立ち上がって侑果と向かい合うように腰を下ろした。
お互い、板の目に視線を落として暫く沈黙が続く。ちらりと元親を見遣ると、その隻眼とゆっくり合わさり、一息入れて元親が静かに口を開いた。


「もう気付いてると思うが…近々、戦が始まる」


いつもより静かな部屋に、いつもより低く抑えた声が広がる。
やっぱり、と侑果は思った。そして、その相手も何と無く分かっていた。


「相手は中国安芸の毛利だ。
戦場にお前を連れて行く訳にはいかねぇ。分かるな?」


こくりと侑果は小さく頷く。
侑果には、今の自分に戦闘能力などないと分かっていた。唯一の望みでもあった、船に居た時に感じていた風は、城で生活していくうちにいつの間にか無くなってしまっている。それに空手や柔道といった武術を嗜んでいない自分は、本当にただの非力な一般人でしかない。なんでこんなに無力なんだろうと、侑果は着物の裾をきゅっと握り締める。
元親は身体を捻って、机に置いてあった何かを取ると、すっと侑果の目の前に置く。
それを見た時、どくんと心臓が大きく鳴った。


「……こ、れは…」
「懐刀だ。ガキの頃に持ってたもんなんだが、お前に渡しておく」


七鳩酢草の家紋がついた、その懐刀を侑果は呆然と眺める。
侑果は生まれて初めて、戦の恐怖を感じた。
乱世に来たからには、戦が起こる事は免れない。それは分かっていた事ではあった。
だが、侑果には穏やかな城での生活からして、絵空事のような感覚がしていたのだ。
女の身で、名ばかりとはいえども、正室候補という身になってしまっている以上は、敵方に狙われる可能性は少なくはない。戦中となると、城の守備は基本的に戦力を最低限にしか備えない為、その手薄さを狙って襲撃される事もあるのだ。
もし、万が一の事があれば。
例え刺し違えたとしても、自刃するという選択肢を少なからず持たなければならなかった。
乱世故に、自分の身は自分で守らなければならない。この懐刀には、そういう覚悟が込められているのである。
皆が無事に帰って来て出迎えて、いつものようにご飯を作ろうと…そう思う以前の問題じゃないかと侑果は自身の考えの甘さに下唇を噛んだ。


「出来る事なら、こいつを抜く様な事になって欲しくねぇんだがな…」


そう言った元親の、懐刀を見つめる右目は微かに揺れていて、痛々しい程に悲哀の色を浮かべている。それに侑果は目を瞠った。
一番大変なのは戦へ向かう自分だというのに、この人は…ここに残る私や皆の身を誰よりも一番に案じているんだ――…戦を知らない侑果には、この懐刀の意味を改めて痛感する。
この時、侑果は国を、民を思う心というものを初めて知った。
ゆっくりと懐刀へ視線を落とす。怖い、と思う。嫌だとさえも思う。それでも、侑果は目を逸らさなかった。
微かに震える手を伸ばして、懐刀を掴む。鍔のない柄と鞘は木製で、家紋がただ彫られているだけの簡素な懐刀は、思ったよりも軽くて手に馴染んだ。それを脇に置いて、しっかりとその右目を見つめる。


「……きて」
「…?」
「生きて、帰ってきて…私も…生きて迎える、から…」


普段と変わらないように努めた声でも少し震えていた。微かに震える手は握り締める事で何とか耐える。
瞠目した元親は、その握り締めた両手を一瞥し、侑果を真っ直ぐに見つめ直す。


「必ず、生きて帰る」
「…はい」
「必ずだ」
「はい…っ」


侑果の頬を伝ったそれが、握り締めていた手に落ちて弾ける。
ぽたぽたと落ちて、着物へ広がっていき、慌てて目を拭おうとした手首を掴まれた。侑果は驚いて、掴んでいる元親を見上げるが、不意に伸ばされた手が後頭部に回り、そのまま引き寄せられる。


「すまねぇ…」


そう呟くように、掻き消えてしまいそうな小さな声を聞いて、侑果はゆっくりと目を閉じた。





おもう、心

100826:執筆

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