09

船の後方の建物――船尾楼を歩きながら、ばさりとはためく白い帆に模した、七鳩酢草の家紋が波打つ。それを眺めて、侑果はうんと大きく伸びをひとつ。
今日は風が強く、空は生憎の曇り空だが、船ではいつもと変わらず、あちこちから威勢のいい声が聞こえてくる。手すりに腕をついて見下ろした甲板では、船員達が忙しそうに作業をしている。その中で、船員と話している元親を見つけた。
まさか、本当に会えるなんてなあ…とぼんやりと眺める。侑果にとっては、もう既に"ゲームの中の世界"ではなく、自分と何ら変わりのない"人間"が生きている、もう一つの世界が広がっている。
それは視覚だけではない。
潮の匂いも、吹きつける風の感触も、はためく帆の音も、先ほど味わった新鮮な魚介料理も、どれもその感覚はよく知っているもので、日常そのものであった――船の上であることを除けば。
色鮮やかな鸚鵡が帆の間をすり抜けるように飛び上がっていく。視線を戻せば、元親と目が合った。

「侑果、そこ気をつけろよ!この前の大雨で、手摺りが腐ってっからな!」

「…?」

甲板から少し遠く高い船尾楼は、周囲を帆に囲まれており、強い風にはためく帆の音で掻き消されて、いつもの元親の通る声も上手く聞き取れない。
侑果は首を傾げると、手摺りに掴んで身を乗り出す。


「なにー?もう一回言ってー?」
「馬鹿!離れろ!」

「…は?なに言って……え」


嫌な音がして、侑果の身体はがくんと壊れた手摺りごと、前に倒れる。侑果の眼下には、数メートルも下にある甲板が映った。


「っ侑果!」


元親が槍を置いて走るも、元親の居る船首に近い甲板から、船尾楼までは遠過ぎる。無情にも侑果の身体は、手摺りの木片と共に落ちていく。
だが侑果には、落ちているこの刹那が、酷くゆっくりと一秒すらも長く感じた。
すると何処からか、淡い黄緑色の光を放った球のようなものが、元親を追い抜いて行った。それは侑果へ旋回して纏うと、同じような光が四方八方から駆け抜けていき、侑果の身体を包む。
光に包まれた侑果の身体は急激に軽くなり、近付く木目の床に恐怖すら抱かない。ゆっくりと着いた足は、木目の床をまるでバネのように跳ね返し、侑果は見張り台まで高く跳び上がった。


「な…!?」


上昇が止まると、侑果は帆柱を軽く蹴り、呆然とする元親の前に舞い降りるかのようにふわりと軽やかに着地した。
侑果を包んでいた光は消え、がくんと膝をついて倒れ込み、その身体を元親が受け止める。


「侑果!おい、大丈夫か!?」
「…だ、大丈夫…ちょっと、眩暈が……」


息を荒げていた侑果は自身の足を見つめ、確かめるように触る。


「なんで……、」


全く身に覚えのない侑果はさう呟くが、手を離しかけて、ふわりと何かが纏わり付くように擽る。それに、支えている元親も気付いた。


「なんだ…?風、か?」


周りを吹いている風とは全く別の、柔らかく穏やかな風が、侑果の身体を取り巻いている。
その風に手を遊ばせていた侑果は、びくっと身体を揺らして手を引っ込めた。


「……え」
「どうした?」
「なんか言ってる…?」


引っ込めた手を恐る恐る、先程と同じところへと伸ばし、風へと触れる。
触れた指先から、すうっと温かいものが伝わっていくような感覚がして、複数の言葉が断片的に侑果の頭の中に浮かび上がっていく。


「高い、波……強い、風、雨」
「侑果?」
「西……夜中…星?」


侑果が考え込むと、ばさりとはためく帆の音が耳に留まる。
もしかして、と侑果は元親を見上げ、その斜めに掛けているベルトをがしりと掴んで引っ張った。


「うおっ!?」
「まずい、元親様!嵐だって!急いで西に向かって!」
「は、はあ!?」
「いいから早く!野郎共、西に船を向けて!」
「「へ、へい!」」






風の加護



※船尾楼(せんびろう)…船尾部にある階層のある建物のこと。船首部には、船首楼(せんしゅろう)もある。

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