五条悟にとって、五条椋は自身が人間でいる理由そのものだ。

産まれつき六眼と呼ばれる特別な瞳を有した悟は、産まれてすぐは隔離されて育った。ある程度自我が芽生えるまで狭い世界で育った悟にとって、人間はただの情報の塊でしかなく、頭が疲れる生き物だった。

その日は、朝から周囲が騒がしかった。選ばれた数人の世話係と五条家当主と両親しか知らなかった悟だが、廊下を通る世話係から『椋様』という名を何度も耳にした。その人間がどんな奴か分からないが、周りの様子から特別な人間である事は知れた。ただ悟にとっては、他の人間と何も変わらないと、そう思っていた。通された部屋で、両親、当主同席の元、顔を合わせた時、悟は目を疑った。

術式が呪力が、水の流れのように整っている。無駄が何一つない。呪力や術式からある程度相手の力量を測れる悟にとって、それは衝撃だった。
六眼を持たぬ人間は自身の呪力の制御は感覚で行わなければならない。五条家の当主もそこそこ強者であったがそれでも呪力が100%整っているとは言いがたい状況であるのに。この男は、一滴も無駄にせず、絶えず呪力を循環させ、呪力を制御している。それはある意味外に漏れる呪力を抑えるせいで弱者に感じさせることもあるだろが、そういった印象は受けない。洗礼されている。才能なのか、はたまた努力で身につけたのか。
六眼からの情報の後に、悟は漸く真っ向から相手を見た。悟と同じ髪色、容姿も鏡越しの自分と似ていると思う。そしてどこか力とは別に存在の希薄さがあり、まるで他者との間に膜が一枚貼っているような感覚がした。

「椋は悟と同じ無限の持ち主だ。呪力の扱いも五条家、いや今の呪術界で頭抜けている。椋の元、学びなさい」

当主のその言葉がなくても、悟は椋に付いて行く気だった。高みを目指すというより、ただ椋の元にいれば、疲れないと思ったから。

それは、当時の悟にとって蜘蛛の糸のようなものだった。




共にいる時間が長くなるにつれて、悟は椋に惹かれていった。椋と悟は容姿が似ているが、性格は似ていない。悟はその体質と性質故に孤高であったが、椋はいつも孤独であった。特定の誰かに入れ込むこともなく、肩入れすることもない。しいて言えば、禪院にいる出来損ないと呼ばれる椋の幼馴染を気にしているようだが、それもはたから見て報われているとは言い難かった。椋が唯一気にかけているのにそれを信じきることができないなど、贅沢な奴だと顔もしらない相手に何度も腹が立った。椋が、悟だけを見ないのはそいつのせいだ。悟は椋に、時間が許す限りべったりとくっついた。当主の命令もあり周囲もそれを良しとし、段々と依存するように椋の側へ居座った。

「悟、殺すなよ」
「なんで」

椋は悟の無限の師でもある。椋に与えられた任務に同行し、無限の扱いを実地で覚えさせられた。これに関しては、無限の力の強さもあり実地でしか身につかないものなので仕方がない話だが。椋は、悟とそう年齢が離れていないにも関わらず、椋は既に高レベルの任務に当たっており、そして呪詛師の案件も請け負っていた。呪術師をしていればいつか人間も殺さなければいけない日が来る。悟は、その時既に人間全般に何の感情も持ち合わせていなかったので殺すことにも抵抗はなかったが、呪詛師を追い込む作業をさせても、手を下すのはいつも椋だった。命を狩る直前で、椋が制止をかける。それがいつも理解できなかった。椋がやるなら、悟がやってもいいはずだ。むしろ、無限で返り血を浴びないといっても、椋が穢れる気がして嫌だった。それなのに椋は、椋の目の届く範囲では絶対に悟に殺しはさせなかった。

「お前が殺さなくても、いつか死ぬんだ。ならわざわざしなくていい」
「……俺がしたって良くない?」
「いつでもできるからこそ、しないんだよ。しなければいけない、その時まで」
「なんで?」

何度問うても、椋はそれ以上を口にすることはなかった。椋は、戦う方法を教えても、いつだってそれ以外のことを教えようとはしてこない。




椋は、五条家では腫れ物の扱いだ。勿論無限の持ち主で、たまに嫌そうな顔をしているが間違いなく人格者で、特別な存在であることは間違いない。けれど、それ故に扱いに困っているようだった。次期当主は、同じ無限を持ってもさらに六眼をもつ悟だと既に決まっていて、確固たる地位ではなかったこともあるかもしれない。椋と悟で明確に序列をつくる様が嫌で、挨拶回りなどは悟を後回しにし必ず椋からするようにと、悟が椋の顔を立てた。椋はそんなこと拘らなくてもと呆れた顔をしていたが、悟は椋の扱いが本気で嫌だった。えらいとかえらくないとか、そんなことは関係なく、椋を蔑ろにされたくなかった。後に先にも立場の話をしたのはそれきりだ。



六眼の捉える情報量の多さに酔うことが多々あり、幼少期の悟は体調を崩しがちだった。倒れる悟の術式が暴走すると、いつも椋がかけつけてくれる。それが嬉しかったのでその時はラッキーだとしか思っていなかったが。

ぐらりと、身体が揺れて。げほっと肺から押し出されるような、むせこんだ咳のあとに、口元に当てられた手の隙間から、零れ落ちる赤い血。堪らず座り込む、止まらない咳と、溢れ続ける血。畳に落ち血は、空気に触れて黒ずんでいく。その一瞬、時が止まり、次には周囲を囲む女中の悲鳴が響いた。悟は、何が起こったのか理解ができずに、棒立ちだった。慌ただしくなり、医者が呼ばれて、直ぐに抱えられてどこかに連れていかれた。
―――椋が、血を吐いた。

入院することもなく、椋は自室で寝かされた。その時にはじめて知ったが、椋は度々こうして倒れているらしい。悟だけが知らなかった。知らされてもいなかった。椋が、悟の精神の安定のために口止めをしていたらしい。悟は椋が寝込む姿を一度も見たことが無かったので、見た目の割に頑丈なのだと思っていたが、そうでは無かったらしい。知らされていなかったことに裏切られたと思うことは無かった。ただ、すっと納得がいった。最初に顔を合わせた時に感じた希薄さはこれか。

「美人薄命ってやつだ」

椋が横になるベッドの端に座ってそう思わず零すと、目を覚ましていた椋が何を言い出したのかとぱしぱしと長い睫毛を持て余しながら瞬きをした。

「は………………………?????」

何を言っているのか意味がわからないという顔をしている。自分のことに疎い椋には懇切丁寧に説明したところで通じないだろう。悟は寝ている椋に抱き着いた。布団を捲り、服の上から胸元に耳を当てて、鼓動の音を確認する。真っ青な顔に、冷たい肌。鼓動の音で漸く生きている事を実感できた。悟は不安を吐露する。

「……死んじゃうかと思った」
「殺すのに躊躇わない奴がこのぐらいで怖がるなよ」
「椋は違う!」

有象無象が死ぬのとは違う。生死に関しての感慨が浅い悟だが、椋に関してだけは違う。命どころか、肌に傷がつくことも、服に汚れひとつつくことも許容できない。
悟が椋の肩口にぐりぐりと擦り寄ると椋がくすぐったそうに身をよじった。人体の急所である首が無防備に晒されて、白い肌に血管が浮く。

「生きてればいつか死ぬ」
「それは今じゃない。それに」

悟は吸い寄せられるままに、その血管に口付けを落とした。噛めばきっと血が出るのだろう。だが悟が欲しいものは物言わぬ人形ではない。

「椋は、俺が生かす」

椋は、悟にとって人間である執着そのものだ。誰にも渡したくない、例えそれが椋の幼馴染であったとしても。椋の隣に立つのは、悟だけだ。悟がその青い瞳で椋を見上げると、椋はふるりと長い睫毛を揺らして、そして薄く笑った。

「なら俺も、悟を生かすよ」

声にもならないような、囁くような呪いが、悟と椋を繋いだ。




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