過去









『三十六計逃げるに如かず』

そう言った本人は、そんなに足がはやくなかった。これならば甚爾が抱えて走った方がはやいと、早々に横に抱えて甚爾は走り出した。本人は抱えられたことにキョトンとして、そして楽だなぁと場違いに笑って甚爾に運ばれていた。何だか癪だ。

直ぐ真後ろの暗闇から、上半身が人間、下半身が蛇の呪霊が飛び出してくる。濡れた髪からびちゃびちゃと血が滴り落ちて地面を穢した。やはり天井のは釣りだったようで、ちらりと見上げれば羽化は途中で止まっている。
立ち止まれば死ぬ、そう直感が告げる。荊を抱えたまま全速力で来た道を走って戻りながら、甚爾は考えた。此処は生得領域だ。逃げる先などありはしない。ならばあれを祓うしかないが呪力のない甚爾がどこまで呪霊を相手にできるか。そして抱えた荊をどうするか、だった。その辺に落とそうものならば、こいつから狩られるだろう。そうすると報酬を払う人間がいなくなる。それは困る。タダ働きは御免だ。
今後の事を逃げながら悩む甚爾を裏腹に、ズドン、という重い音が骨の髄にいた。じんと振動に体が痺れ、そして甚爾は非難めいた視線を向けた。

「………、持ってんのかよ」

甚爾が小脇に抱えた男の手には硝煙の昇る小銃。抱えられた状態で撃つなと言いたいが、その弾は生得領域に当たり、見事にクモの巣を描くように生得領域を割っていたので小言は呑み込んだ。ただの弾丸では無さそうだ。

「持ってないとは言ってない」
「はやく出せっての」

残念ながら生得領域は一時的に穴が開いたのみでみるみるうちに塞がっていく。人ひとり通れるかどうか。小柄なこの男なら難なく出られるだろうから、先ずは足手まといだったこの男を外に出そうと甚爾は穴に近付いた。

「カードの切り時はいつかなー………ってね」
「ッ」

甚爾の小脇に大人しく抱えられていた男が、するりと見事なこなしで甚爾の腕から逃れた。そのままぐいっと甚爾は胸ぐらを捕まれ、不甲斐ない事に甚爾は投げ飛ばされた。

―――生得領域の外へ。

宙を飛び驚きで目を見開いた。甚爾は失念していた。この男がなにも出来ないなど、いつから思い込んでいたのか。

「おい!」
「事実確認は済んだから甚爾くんは外出てて」
「お前はどーすんだよ!」
「まだ俺はお仕事あるからさー、外出たらコンビニでおにぎり買って待っててよ」
「人の話を聞け!」
「俺、高菜ね。第二候補はツナマヨ。それの受け渡しが終わったら今回のお仕事終了」

甚爾が生得領域を外から破ろうとすると、先の小銃でダンダンと連発で足下を撃たれた。牽制。いや、甚爾が再びこの生得領域に巻き込まれないように下がらせたのだ。

「あー!クソ!ざけんじゃねーぞ!!」

甚爾が喚いても、男はいつもの調子でさらっと流した。雑談する気がない。

「じゃあそういうことでヨロシクー」

ずるりと空間が歪んで生得領域の穴が塞がり、男の姿が見えなくなった。






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