過去 沈み込む感覚がなくなり、地面に足がついていることを確認し、掴んだ荊の腕を離す。荊は周囲を見回しており、甚爾も直ぐに周囲を伺った。先程まで都内で有数の墓地にいたはずだが、景色が一変している。墓も桜もない、真っ暗闇だ。 「此処は……」 「飛ばされたってーより入り込んだ感覚だったな」 「生得領域ってやつ?」 「だろうな」 残念ながら互いに呪術師ではないため知識としてしか知らない。甚爾は人間相手の仕事が主で、人間が領域展開の手前とはいえ生得領域を会得するのはかなりのセンスが必要で、そんな相手に出会ったことが今のところなかった。荊も、呪術界から離れた生活をしているわけではないようだが、今まで経験の無いことだろう、物珍しそうな表情を浮かべている。 「一緒について来るだけで終わらなさそうだ、ごめん。もうちょっとだけ付き合って」 「追加で金は寄越せよ」 「それは勿論、労働には適正な対価を払わないとね」 冗談のつもりだったが、くれるというのであれば貰っておいて損はない。荊の中で仕事の難易度が上がったと判断したのだろう。生得領域を扱えるほどとなれば納得ではあるが。相手は一級か、特級か。 「目覚めてるのかな、分かんないな……進もうか」 「そろそろ目的のもんの話をしろよ」 荊は少し考えるそぶりをしたが、結局退路は塞がれているので進むしかないと足を動かした。甚爾がそれに離れすぎないように気を付けながら付き添う。生得領域では相手が有利だ、いくら甚爾の身体能力が人並みはずれていてもどこまで通用するか分からない。そもそもこの男がどれぐらい役に立つのか甚爾には未知だ。 「呪物の回収だよ。墓の中に封印されてずっと眠っていたみたいだけど、最近どうやら封印に綻びが出てるみたいでね」 「……呪術師に来させる案件だろ」 「俺みたいな一般人には、呪術界は一筋縄じゃいかないよねー」 「…………胸糞悪りぃ。爪弾きにしときながら、こき使いやがって」 「えっ俺はとーじくんを爪弾きにしてないよ?」 「こき使ってんだろ」 「適材適所」 「便利な言葉だな」 つまり戦力として当てにするなということか。いつも依頼ばかりしてくるので荊の力は未知数だが、体格も恵まれているとはいえず、呪術師ではないとくればほぼ無力だ。護衛と言われているが、遂行できるかどうか、今の段階ではなんとも言えない。死にそうになったら甚爾だけでも離脱したいところだが、生得領域は一朝一夕に出ていける空間ではない。少なくとも今は甚爾より多くの情報を持つ荊と行動を共にしたほうがいい。いざとなった時のことを考えて荊をちらりと見たが、荊は平素とそう表情は変わらない。 明確に確認したわけではないが、荊の立場を思えば上層部としても利用価値が高いとみえる。それでもこんな、死にに行くような任務を課せられるとは、この男何をやらかしたのだろうか。 「そんで、この生得領域はその呪物が目覚めたからだってか?」 「うーん、どうだろうね。その呪物の影響なのか、その呪物に誘われた別の呪霊のものなのか。俺は呪術師じゃないからあんまり正確なことは分かんないなー」 「……犬死は勘弁だぞ」 さっぱり分からないとあっけらかんと言う荊に、甚爾は深い溜息を吐いた。いつも甚爾へ仕事を下ろすときはやたら親切なお膳立てをしている癖に急に雑だ。わざわざ死ににきたのか、または甚爾に語っていない手が他にあるのか。 「死なせはしないから安心してよ。死にかけはするかもしれないけど」 「弾めよ」 「そこは働き次第だなぁ」 荊はある意味報酬形態がはっきりしていて、感情論で金額が変わる事がない。その点は信頼が置けるし、ご機嫌とりをする必要がないのも楽だ。 ポケットに入れっぽなしになっていたゴミを取り出して暗闇へと蹴り飛ばす。何処かに飛んで行って、そして音もなく消えた。一寸先は闇、というが本当に周囲は闇だ。あの中に入ればどうなるか分かったものではない。行燈が所々に設置されて誘い込むように道となっている。進みたくはないが、進まないと何の進展もない。 無駄話をしながら、ある程度歩くと、四隅に灯火があるだけのだだっ広い空間に出た。そして見上げると、恐らく天井からぶらさがる、巨大な虫型の蛹。パキリ、と音がして蛹にヒビが入る。嫌な気配に顔を顰める。 「おい、アレ」 「いやー…参ったね。俺かとーじくんどっちかがツイてないみたい」 「それなら俺か?」 「逮捕されかけてるんだからとーじくんかなと俺も思う」 否定出来ない。今日馬に行かなくて良かった。 パキパキと蛹が割れて、濡れた翼が見え、羽化が始まる。この段階で殺してしまうのが良いのだろうが、生憎周囲は灯火以外真っ暗闇で足場が確認できず蛹まで届きそうにない。呪具を投げてもいいが、通用するか分からないし、今の段階で闇雲に武器を手放すのも得策とは言えず。そもそもアレが本当に羽化か判断出来ない。罠、アレに気を取られ誘われて、本命が別にいる可能性もある。 荊が蛹を見上げて、そして甚爾に潔く提案した。 「とりあえず三十六計逃げるに如かず、といこう」 |