ポケットからどうやって鍵を出そうかと玄関前で悩んだのも一瞬だった。目の前で玄関が開いた。津美紀が先に帰っていたらしい、ナイスタイミングだ。

「あ、恵おかえ……え!?」
「ぇ、ぁ…」

津美紀は伏黒の腕の中の榧に驚いて、榧も津美紀に驚いた声を漏らした。一瞬場に沈黙が落ちて、そして津美紀がバッと顔を恵へ向けた。

「め、恵!!!??攫ってきたの!!!???」
「何でだよ」

思わず冷静に突っ込んでしまった。どういう思考回路を経たらその回答が出てくるのか。恵が呆れながら事情を話そうとすると、先に榧が口を開いた。

「と、突然すみません。伏黒くんのクラスメイトの榧と言います。僕が足を挫いちゃって、伏黒くんが助けてくれて……」
「あ、そうだったんだ!クラスメイト…!直ぐに救急箱持ってくるね!」
「すみません!お構いなく!」

飛ぶように部屋の中に騒がしく戻っていった津美紀に、恵は溜息を吐いて、そして室内に入る。狭い玄関にある恩人の手により勝手に置かれたスツールが役に立つ日が来るとは思わなかった。スツールの上に榧を下ろす。榧は、津美紀がいるせいか大人しくなっていた。借りてきた猫か。

「………」
「なに」
「別に、何にも言ってねーよ」
「……今のお姉さん?」
「嗚呼」
「ふーん、美人だね」

榧の声音が少し柔らかくなっていて、恵は目を細めた。程なくして津美紀がパタパタとスリッパを鳴らしながら戻って来る。

「お待たせー」
「すみません。伏黒くんが大袈裟なだけで大した事ないと思うので」
「駄目だめ、ちゃんと手当しておかないと」
「…ありがとうございます」
「俺がやる。何か飲み物あるか?」
「うん、ちょっと待ってて」
「あ、いや本当にお構いなく」

恵は片膝をつくように榧の向かいに腰を下ろした。榧の足首に触れると、榧が僅かに片目を引きつらせる。靴と靴下を脱がせて、足首を触診した。恵の指が回りそうなぐらいに細い足首だ。

「………ッ、……」
「痛むか?」
「…平気。足首動くし、テーピングで充分」
「無理に動かすな」
「いや平気だって」

ぐるりと足首を回して見せるので、大人しくしろと太腿を軽く叩く。津美紀が置いていった救急箱から湿布を取り出して、足首に貼り付ける。榧は湿布の冷たさにほっといた様に息を吐いた。熱を持ってはいたが、今の所腫れた様子はなかった。テーピングをすれば充分で直ぐに歩けるだろう。包帯を取り出して足の甲から足首へと巻きつけていく。

「お茶しかなくてごめんね」
「あ!いえ全然。突然お邪魔したのにすみません……」
「いいのいいの。榧くん、だっけ。恵とクラスメイトなんだよね?私は恵の姉の津美紀。三年生」
「津美紀さん」

津美紀がグラスに入れたお茶を榧へと差し出した。榧は両手でそれを受け取り、口をつける事なく膝の上に乗せる。津美紀に対してはしおらしく、恵に対する態度とは全く違う。津美紀はそんな事は知らず、恵の手元を覗いた。テーピングは終わっている。

「榧くんの足どう?」
「今の所腫れては無さそうだな」
「そっか。よかった。あ、でも親御さんのお迎えとか呼んだ方がいいかな?」
「いえ」

強張った声。足首から顔を上げると、榧はにこりと笑っていた。しかし声音は酷く硬く、熱を失っている。強い拒絶の声だ。

「それは大丈夫です。一人で帰れます」
「え、でも心配だし………」

あたふたと戸惑う津美紀を他所に、榧は靴下を履き直して靴を履き、立ち上がった。手にしていた口をつけていないグラスをスツールの上に置く。

「大丈夫です。心配してくださってありがとうございます。そろそろお暇しますね」
「え、もっとゆっくりしていきなよ!」
「妹と弟がいるんです。遅くなると困るので…」
「そ、そっか……」
「お茶、ご馳走様でした」

ぺこりと榧が頭を下げた。明確な線引きを感じながらも、そんなもの知ったことかと恵は腰を上げた。

「恵、送って行きなよ」
「へ!?」
「そうする」
「うぇ!?」

津美紀は榧の拒絶に気が付いておらず善意からの提案だろう。丁度いいのでその提案に乗っておくと、榧が素っ頓狂な声をもらした。まさか拒絶が伝わらないとは思わなかったのだろう。両手をぶんぶんと横に振って全身で拒絶しだす。

「いいです!一人で帰れますので!!」
「駄々こねるな。また抱き上げるぞ」
「何でなの!?横暴なの!?」

今度は喚いている榧の腕を掴んで家を出る。榧はたたらを踏みながらも、こけない様に足を動かした。後ろで津美紀が見送りをしているようだが、足を止めずにズルズルと榧を引きずった。榧は津美紀が見えなくなったところで、恵の手を引き離そうとするが、鍛えている恵には猫がじゃれついている程度にしか感じなかった。諦めたのか、溜息を吐く。

「最悪……もう帰れよ」
「送ってくって言っただろう」
「もう此処で充分」
「家まで送って行く」
「何で???」

どちらに向かうのか分からず足を止める。だが、腕を掴む手は離さなかった。榧はぶすくれたように口を尖らせながら、渋々足を動かしはじめた。




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