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榧の家のリビングで、津美紀と向き合う。一先ず、落ち着いた。

「…………一体、何が」

津美紀が困惑を逃すように声を漏らした。何が起こっているのかわからないので、警察を呼んでいいものか判断できない。恵は黙ったまま拳を握った。憤りが身体中を支配しているが津美紀に当たるわけにはいかない。

「私が、話します」

部屋で寝かせていた妹がいつの間にかリビングへとやってきた。津美紀が慌てて駆け寄り、声をかけて顔色を確認する。恵は自分からは妹へは近付かなかった。

「あの、お兄ちゃんは」
「部屋で寝かせてる」
「そう、ですか」

ほっとしたように妹は肩を撫で下ろした。恵の斜め前へと腰を下ろし、津美紀に背中を撫でて励まされている。恵はなるべく感情的にならないように気を付けながら声をかける。

「何があったんだ」
「父親が、帰って来て」

あの夜に榧が語った話を思い出す。『あんなやついないほうがいい』そう言っていた。ロクデナシなのだろうとは察していたが。

「いつも家にいないんです。たまに帰って来たときは大体、酒に酔ってて、帰って来たときは私と弟は部屋に逃げるようにお兄ちゃんに言われてて。父のことはお兄ちゃんが……で、でも昨日、お兄ちゃんが居ないところに急に帰って来て、わ、私」
「言わなくていい!言わなくていいよ」
「………」

榧は妹と弟を守るために、一人で父親を相手していたのだろう。それで表面上は綺麗にしていたつもりだろうが、綻びがおきた。榧たちの父親が自分の子供に何をしているかは明白だ。

「席を外すか?」
「……ううん、恵くんは、あの人とは違う、から、大丈夫」

自分に言い聞かせるようにそう口にした妹に、恵は目を細めた。場違いにそういう所は榧に似ているなと思った。

「直ぐにお兄ちゃんが戻ってきて、私からあの人を引き離してくれたから………でも変わりだってお兄ちゃんを………わ、私助けを呼びに行かなくちゃいけなかったのに、うごけなくて」
「すごくショックなことがあったんだから、直ぐに動けないよ、私だったらきっと今こうやって話すこともできなかったと思う。何も出来なかったなんて、そんなことないよ」
「津美紀ちゃん………」

リビングが開いた。全員がそちらへ顔を向ければ、自室で寝かせていたはずの榧がいた。どこかやつれたような様子に胸が痛む。
妹が立ち上がり、榧へと縋り付いた。

「お兄ちゃん!!」
「!お前、最後まで……!」
「されてないされてないよ!お兄ちゃんが、お兄ちゃんが助けてくれたから!!!でも、お兄ちゃんが!!!」
「俺はいい、俺は何も失わないから……ほんとうに、よかった……」

榧が妹を抱きしめる。献身的な犠牲により最悪は回避できたが、だからといって榧が何も失わないなんて、そんなことはあるわけがない。恵が榧へと手を伸ばす。

「榧」
「ッ、あ、ごめ………」
「……いや、悪い、俺が無神経だった」

触れる直前に榧に手を払われた。榧自身も驚いた顔をしていて、バツが悪そうな顔をする。そんな顔をしなくていい。見つけた時の榧の状況を思えば男に触れられることにナーバスになっていて当然だ。
榧は一度床をみて、そして津美紀へと声をかける。

「津美紀ちゃん、泊まって行ってくれないかな。妹、心配だし……親父は、今日は絶対帰ってこないから安心して」
「勿論だよ!むしろ泊まらせて。心配なの」
「ありがとう」
「榧くん、榧くんのことも、私すっごく心配だからね」
「……ありがとう」

津美紀の言葉に榧は弱く笑みを浮かべた。津美紀が妹を連れて部屋へと戻って行く。榧と二人きりになると榧は恵を見ることなく床へと視線を落としていた。

「恵、ごめん……ひとりになりたい」
「…嗚呼、俺は弟とリビングにいる。……でも、いつでも呼べ。何かあっても、何もなくても。俺がそうされたい」
「……ん、ありがとう」

今は弟の面倒をみるのもしんどうだろう。一晩だけでも一人で傷を癒す時間が必要だろうと恵は気を遣った。今思えば、無理やりにでも一緒にいるべきだった。




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