津美紀が泊まるということは必然的に恵も泊まる。榧もそれは了承しているようで、特に確認もされずに風呂を促された。いつの間にか用意された服を着て、適当にタオルで拭いただけの濡れた髪のまま戻れば、榧は呆れた顔をして、ドライヤーを持ってきた。床に座るように言われて腰を下ろすと、膝立ちになった榧が後ろからドライヤーを当ててくれる。いつもは髪が濡れていることを津美紀に言われても受け流すが、榧に言われるのは心地いい。榧に背中を預けると、重たいと心底嫌そうに文句を言われたが無視した。

榧の部屋は一階にあり、そして殺風景だった。制服と学用品ぐらいしかものがない。恵も読書以外に特に趣味はないので物を持たないが、それよりも持っていなかった。必要ないのではなく、切り詰めているような、そんな寂しさのある部屋だ。

「………うちもう布団余ってないから、伏黒悪いけど俺の布団で寝て。俺」
「別に一緒に寝ればいいだろ」
「は?」
「一緒に寝ればいいだろ」

ぽかんとしている榧を置いて、恵はさっさと布団を引くと電気を消してその中に榧を引きずり込んだ。榧は嫌そうだったが、疲れ果てているようで抵抗するのも面倒なのか表情の割に大人しく布団に潜った。ただし顔は見たくないのか背中を向けられ、恵はムッとして、その腹に腕を回して背後から抱き締めるように閉じ込めた。嫌がって身じろいだが、恵の筋肉で覆われた体を動かすことは榧には至難の技で、早々に諦め腕の中で大人しくなった。榧の髪に鼻先を埋める。

「伏黒」

だいぶ疲れたようだったので直ぐ寝るのかと思っていたが榧が口を開いた。恵は返事をする代わりに、榧の手を探り当てて指先を握った。

「……今日、ありがとう。俺じゃ、きっと弟を見つけられなかった」

ぽつりと零された言葉は、寂しさや無力さ、自虐が含まれているようで、恵は堪らなくなった。容易に今の榧の気持ちがわかる、榧は恵とよく似ている。恵は榧をあやすように、握った指先を、指の腹で撫でた。

「俺のところは、母親も父親もどこの誰で、今生きてるのかも分からない、津美紀も親父の再婚相手の連れ子で俺とは血が繋がってない。…津美紀と正直未だにどう接していいのか分からないから…だから、お前の妹がいてくれて助かった」
「……そう、なんだ……。…俺も、伏黒と一緒」

暗闇の中、榧が自分のことを語り出す。きっと今でないと榧の心を解きほぐすことは出来なかっただろう。

「俺の母親は俺を生んで直ぐに死んで。妹と弟は同じ母親だけど、俺だけ腹違いでさ。…妹と弟の母親は弟生んで直ぐに居なくなっちゃって、って言っても碌に家に居ない人だったから、父親が本当に同じかは分かんないけど」

榧の家も中々に面倒臭い家のようだった。恵と同じく、いない親を思って悲しみを感じている様子はないのがまた恵と似ているなと思った。ただ、恵と違って榧は幼い妹と弟を華奢な背中に背負っている。

「親父は……偶に帰ってくるけど、殆ど家にはいない。あんな奴居ない方が良いんだけどさ……。でも保護者が居てくれないと保護されて俺ら離れ離れになっちゃう。俺じゃあ父親にも母親にも、姉にも、保護者にもなれない。俺なりに頑張ってるつもりだけど……無力すぎて、あいつらに申し訳なくて堪らなくなる、はやく大人になりたい」
「榧」
「変なの、なんでこんなこと、伏黒に言うんだろ」

泣いているのだろうか。そうであれば涙を拭ってやりたい。こちらを向かせてもいいだろうかと恵が悩んでいると、榧が体勢を変えた。
向かい合わせになる。呪術師なんてものをしているせいか恵は夜目がきくので、榧の顔もよく見えた。涙は溢れていない、だが、きっと泣きたいのだろう。

「榧、名前。恵って呼んでくれ」

榧の目尻に口づけを落とす。泣けない榧の目を労わるように、何度も口付けて気持ちを溶きほぐしてやる。

「……めぐみ」
「ん」

少し舌足らずな榧は、眠気が訪れているようだった。走り回って、ずっと不安に苛まれていたのだ、疲れて眠くなるのは当然だろう。榧は寝言のように、確認するかのように、恵の名前を何度か呼んでそしてふっと綻ぶように笑みをこぼした。

「めぐみ、いい名前だな。きっとお前の名前をつけてくれた人は、お前に沢山幸せが降りますようにって思ってくれたんだよ」

予想外のことに、恵は胸が苦しくなった。女みたいな名前で、境遇の皮肉のような名前をつけられて、いい名前だと思った事など一度もない。しかし、今榧は恵の名の真意を悟ったかのように、穏やかに笑う。初めて榧が自分から恵の頬に触れて、優しく撫でた。祝福するみたいに、何度も恵の名を呼ぶ。

「……榧」
「恵、お前いつも一人だけどさ、そんなに世界のはみ出し者みたいな顔しなくても、ちゃんとお前の居場所あるよ」

それは榧の隣だと思ってもいいのだろうか。聴きたかったけれど榧は微睡んでいて、起こすのも忍びなく、またこの甘く穏やかな時間をもっと味わいたかった。恵は頬に添えられた榧の手に、己の手を重ねる。細い手はすっぽりと恵の掌に収まった。愛しい気持ちがさざ波のように恵の中を埋め尽くす。

「榧、好きだ」
「…………」
「返事は良い。俺がただ、言いたいだけだから」

榧は目を閉じて眠ってしまう。穏やかな寝息に、恵も目を閉じる。今この瞬間がずっと続けばいい。




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