夏油の恋人(仮)










悟との任務を終えた傑は、偶には歩いて帰ろうという悟のいつもの我儘により、補助監督による送迎の車を返して、二人連れ立って歩いていた。都内での任務で片田舎の畦道を歩かされているわけではないため、傑もさほど文句は言わなかった。溜息は吐いたが。
夕方ということもあり、何処かで食事を済ませて帰ろうかという話になった。その、何処にするか物色している時だった。

「すみません!足はやいな!すいませんすいません!そこの!お団子ヘアーのお兄さん!」
「…傑のことじゃない?」
「ん?」

悟に腕を引かれて、傑は足を止めた。呼び止められていたらしい。自分のことだと思っていなかったため、気がつくのに遅れた。
促されるままに振り返ると、見たことのない青年が傑達の元へと走り寄ってきた。目の前で立ち止まり、肩を上下させて荒い息を吐いている。どうやらかなりの距離を追いかけてきたらしい、申し訳ないことをした。
白の長袖シャツに、黒のスキニーパンツ、黒いリュックを背負った何処にでもいる青年だった。平日のこの時間にもう私服でいるということは、大学生だろうか。
見覚えの全くない、どこにでもいる雰囲気の青年は傑の顔を確認するとパッと表情を明るくして、そしてきっちり三十度頭を下げた。

「あの!俺と恋人になってください!!!!」
「は?」
「ぶっ」

人を呼び止める理由は、向こうが一方的に傑を知っている、または落し物、百歩譲って何かの勧誘が筋だろう。初めてあった人間、しかも同性に急に告白された。
思わず傑が間の抜けた声を漏らせば、隣で悟が吹き出しそうになるのを堪える音がした。
あとで悟はしめるとして、傑は長引かせると面倒だと直ぐに余所行きの顔を作り温厚にお断りの言葉を伝える。

「私は異性愛者です。そういう趣味はないので」
「俺も無いです!別に貴方のことも好きじゃないです!」
「は???」
「ぶはっ」

優しく断ろうとしたのに、好きじゃないと言われ逆に傑が断られた。余所行きの顔が吹き飛んだ傑は理解できず間の抜けた声を再び漏らす。隣で耐えきれず悟が崩れ落ちた。
初対面の相手に告白してきたのは向こうなのに、何故か断られた傑は、頭の穴でハテナマークが飛び交い、背後に宇宙が広がった。
意識が宇宙にいったせいで黙りこくる傑と、足元で笑い転げる悟に、青年はしまったという顔をする。

「ハッ、すみません間違えました!お兄さんに俺の恋人のフリをして欲しいんです!!!」
「はぁ????」

フリだったとして初対面の相手に頼むことではない。
意識が地球に戻ってきた傑は巻き込まれたくなくて早々に立ち去りたかったが、青年が「話だけでも、お金は払うんで、話だけでも」と傑の足にしがみついてくるのでその場から動くことができなかった。
ちなみに悟は全く当てにならず、隣で過呼吸を起こしそうなほど笑い転げていた。






流石に周囲の目を引きすぎたため、傑は渋々ひとまず青年の話を聞くことにした。悟は置いてこようとしたが、笑いすぎて痛めた腹を抱えながら付いてきてしまった。
ファミレスに向かい合わせに座り、青年に理由を聞く。

「つまり、今日夜に田舎から出てくる君のご両親と、恋人のフリをして私に会ってほしい、と」
「はい」
「なんで傑なの?俺の方がグットルッキングガイなのに」

呼吸が落ち着いた悟が姿勢悪くソファー席に浅く腰掛けて、ドリンクバーから持ってきたメロンソーダをストローから啜っている。ガラが悪い。そして性格も悪い。文字どおり見た目にしか有効でないグットルッキングガイの称号を持つ悟が問うと、青年は後悔しているような声音で頭を抱えた。

「黒髪で前髪を左の一筋を残してオールバックにしていて、後ろ髪はお団子ヘアーで、ピアスをしていて、目が細くて、物腰良さそうだけど宗教家に将来なってそうな怪しげな雰囲気のある男、が恋人だって親に言っちゃって……」
「具体的すぎませんか?」
「ウウッ酒に酔った勢いでつい適当にペラペラと繋げたらこうなってしまって…」
「ぐっ、確かに宗教家に将来なってそうな怪しげな雰囲気は傑にしかないなー、俺には無い雰囲気だなー」
「悟」

悟の全ての語尾に草が生えている。大草原だ。他人事だと思って、と傑が非難めいた視線を向けても、悟の草原は除草できなかった。
机に額をピタリとつけて青年が頭を下げる。

「お願いします!!!俺の恋人になってください!!!」
「いやフリっていうのを付けてください。それ大事ですから」
「こんなおもしろ……必死なんだから傑、恋人になってあげなよ」
「面白いって聞こえているからね?」
「お金ならいくらでも払いますからァアアア」
「お金の問題じゃ無いんですよ、私の気持ちの問題です」
「俺だって男の恋人は嫌なのに我慢してるんですよ!!!???」
「そうだそうだー!傑も我慢しろー!」
「ーーー二人とも呪霊の餌にされたいみたいだね」

悟は完全に青年側に付いたらしい。傑の隣に座っていたはずが、いつの間にか青年の隣に座って、傑を説得する側に回っている。面白そうな方についたらしい。やっぱり後でしめよう。

「本当にお願いします!!俺の妹達のためにも此処で生活の拠点を作る必要があって、俺は田舎に連れ戻されるわけにはいかないんです…!!」

言っていることはおかしいが、青年の声は最初からずっと、真剣だった。冗談やからかいならば青年もきっと楽だったろうにと思うほどの必死さ。見ず知らずの傑に恋人のフリをお願いしなければならない青年は、藁にもすがる思いだろう。

「俺の恋人になってください!」

宗教家に将来なってそうな怪しげな雰囲気、というのは認めたくないが。

「はぁ、分かりました。貴方の恋人のフリしますよ」

青年のあまりの必死さに、無下に断ることもできず。今日の夜だけの我慢だと自分を無理矢理納得させる。
傑は深く溜息を吐いて、どうにでもなれと半ばヤケクソになるしかなかった。




* * *




地図にも載っていない片田舎。呪霊の調査で訪れた先で見せられたものは、非呪術者による術者への虐待。座敷牢に捕らえられた二人の少女。
憎しみで、目の前が、赤く染まった。

「え、夏油さんじゃないですか!?」
「ッ」

一瞬憎悪と嫌悪で目の前のことに気を取られていた。何かが崩れ落ちる音がして、焦って振り向けば、傑を此処に案内した男女が床に沈んでいた。
その傍に、片手にパチパチと光を放つスタンガンを持った、見覚えのある青年。

「君は……」
「お久しぶりです!すみません夏油さんちょっと急いでるんで!」

青年はスタンガンをその場に捨てると、傑の隣を通り過ぎる。

以前傑に恋人のフリをお願いしてきた青年だった。あまりにもインパクトがあり過ぎる出来事だったのであの日のことはよく覚えている。青年の両親を騙し、恋人のフリは無事に終わり、特に連絡先を交換していなかったのでそれっきりの縁だった。
まさかこんなところで再会するとは。

「美々子、菜々子!遅くなってごめんな!」
「お兄ちゃん!」
「おそい!おそい!!!」
「ごめん!!本当に怖かったよな、怖い目にあわせてごめんな!」

青年が牢の古めかしい鍵を開けて、そして中にいる少女たちを抱きしめた。
わんわんと泣き出した少女たちもまた青年を強く抱きしめ返しており、その光景に青年が以前言っていた事を思い出した。
ーーー妹達のためにも田舎に連れ戻されるわけにはいかない

「こんな村にいちゃダメだ。俺、二人みたいに何か見たりとかそういうこと全然できないけど、でも、俺がんばって稼ぐから、二人とも養うから、二人とも守るから、俺と一緒に逃げよう」

青年と傑の付き合いは半日にも満たない。人となりを知るには短すぎる時間。
ただ、少女たちはともかく、彼自身は非術者で何の能力もない一般人だという事は知っている。少女たちを迫害したこの村の非術者である猿と同じだ。彼も無能な猿だ。
しかし、少女たちを救おうとするのもまた、無能な猿である彼だ。

「お兄ちゃんが一緒なら何処だって行く!」
「地獄だって一緒にいく!」
「お兄ちゃんがいてくれたらいいの!」
「私たちを置いていかないで!」

心に降り積もっていた埃がふわりと飛んでいくような、頭の中にかかっていた靄がすーっと消えていくような、そんな感覚。
少女たちと手を繋いでこの場を去ろうとする青年の背に、傑は反射的に声をかけた。

「ーーー待って」

足を止めて振り返る青年の不安そうな顔。
警戒と怯えの表情を浮かべる少女たち。
非術者と、術者。

「その子達は術者だ。君が一人で育てるのは並大抵の苦労じゃ無い」
「苦労は承知してます、でも連れていく事に後悔は絶対しません。大切な、家族ですから」

猿は嫌いだ。選ばれなかったものたちだから。
猿は嫌いだ。他を排除することしかできない。
猿は嫌いだ。考える力すらもない。
猿は嫌いだ。猿は嫌いだ。猿は嫌いだ。
猿は嫌いだと、これからもきっと何度もそう思うことがあるだろう。

「私も、協力させてほしい」
「え?いや、え?で、でも、夏油さんは他人で」
「他人?」

少女たちと青年の互いに固く繋がれた手に、傑はふっと笑みを漏らす。
今度はヤケクソになったつもりはない。

「私は君の、恋人だろう」




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