ふたりを引き離してはいけません











狗巻家は呪言師を代々排出する家系で、相伝の術式をもつ。術式は一般的に表に現れてくるものではないが、狗巻家の術式は一目で分かる。口の端と舌に呪印が刻まれるからだ。そのため通常であれば五、六歳に調べられる術式も、生まれてすぐに判明する。

狗巻棘はオギャアとこの世に生を受けた時から呪印があった。一族大喜びであった。呪言師として生まれた棘は直ぐに言葉で誰かを傷付けないように口元を覆われることになった。オギャアの鳴き声すらどんな影響があるか分からない、それが狗巻家の術式のやっかいなところでもある。

棘は物心ついて直ぐに言葉の力について理解をさせられた。それが今後の棘にとってハイハイや歩行訓練よりも大切なことだからだ。幸いなことに棘は素直な性格で、自分と他人の違いをあっさりと受け入れた。何か訴えたいことがあるときは、身振り手振りで伝えれば特に不便はしなかった。

普通であれば、喋らないどころか口元や舌に印のある子供は、違いを嫌う同年代の子供から浮く。棘も奇異の目を向けられるはずであった。
しかし、狗巻家には、棘よりも浮いている存在がいた。

狗巻楢は、棘の同い年の従兄弟にあたる。予定日では同日誕生のはずであったが、難産だったため誕生は一日ずれ、棘の方が一日年上となった。その子供は、オギャアとも言わず、静かに産まれた。口元にも舌にも、狗巻家の呪印はなかったが、棘にその印があったため大してそこは問題とならなかった。ちょっぴり残念には思われたが、一族全員に呪印がでると一切言葉での交流が出来ないことになるので、喋らない人間もそこそこに必要とされていた。

しかし楢が浮いていたのは呪印がなかったからではない。楢は産まれてからこのかた、全く言葉を話さなかった。赤ん坊のくせにオギャアオギャアと泣くこともなく、口は開くが何も言わぬ。それは何年経っても同じことで、心配し病院に連れていかれても異常なしであった。そもそも先天性で喋れないのかもしれないし、または喋れないのは天与呪縛の可能性もあった。少し様子を見ようという話になったが、呪印を持つ棘が限られた言葉を発する一方で、呪印を持たぬくせに静かな楢は浮いた。

楢に呪力がないわけでは無かったので、引き離されることなく、二人は兄弟のように育った。
棘は言葉を話さないが活発で、楢の分まで身振り手振りで大人と会話した。それに大人たちは苦笑いを浮かべる。喋ることができない棘の代わりに楢が活発に話すことを期待していたからだ。これでは楢が棘といる意味がない。

「聞いた話じゃ、楢は呪力も殆どないみたね…」
「呪術師に向いていないかもしれないわね、相変わらず一言も発さないし…困ったわ」

そんな会話をする大人に棘だけは毎回首を傾げていた。大人たちが何を言っているかさっぱり意味が分からなかったからだ。
この頃、棘だけが知っている楢の特徴があった。
まだ幼い棘は文字を自由に扱えず、限られた言葉しか発せないので誰にも伝えていないが。
楢は、喋れないわけでも、喋らないわけでもない。

『とげ、あそぼ』

めちゃくちゃ声が小さいのである。

楢の声が小さすぎる話は、棘が自由に文字を書けるようになってから明かされた。一族全員、目を剥くほど驚いていた。そんなことある?
今までもどうやら喋っていたが、傍にいて耳を近づけていた棘にしか聞こえていなかったようだ。本人もずっとそうだったので、てっきり棘にしか自分の声が聞こえないものだと思い込んでおり、初めて親子会話が成立した日は両親は号泣しホールケーキが用意された。狗巻家に語り継がれる笑い話となる。
しかし相伝の呪印を持たず、目立った才能も見つからなかった楢は、声が小さすぎるという理由により、はやいうちに呪術界から遠ざけられることになった。







狗巻楢は呪術師の家系に産まれた。産まれてからずっと呪術師の心得と、呪力の扱いを叩き込まれていた。それは従兄弟の棘も同じで、棘も同じことをしていたので、特に反発はなかった。辛いことがあっても楢には棘がいた。

棘は不思議な子で、言葉は発さないがジェスチャーは人一倍賑やかだった。言葉を音に乗せないのは、口元と舌に呪印というものがあり、喋ってはいけないかららしい。一度発すれば相手を呪ってしまうと。楢は幼かったので呪いというものがよく分からなかったが、へーそうなんだ、と思った。別に棘が喋っても喋らなくても、楢は棘が側にいてくれさえすればよかった。

楢にとって棘が自分の言葉を聞いてくれる唯一だった。
楢にとって棘は自分の手を引いてくれる唯一だった。
幼い楢の執着は全て棘へと注がれていた。
そんな楢へ、自我が崩壊そうなほどショックなことが起こった。

ーーー残念だけど、楢は才能がないから棘とは一緒に居られない

何を言われたのか脳が理解することを拒絶する。それくらい楢は放心状態だった。
今までずっと一緒に居たのだから、これからもずっと一緒にいると当たり前に思っていた。
その当たり前の未来が崩れていく。

棘が狗巻の呪言師になるから。
楢は狗巻の呪言師になれないから。

楢はそんな時でさえ、大声を出すこと、まして喚くこともしなかった。
それは諦めているわけでも失意しているからでもなく。

楢の中でバリンと何かが壊れた音がした。




静かに狂っていく。
誰もがその火種に気がついていなかった。

















「ねぇ楢!ちゃんと聞いてる!?」
「楢!」

甲高い女の声に、楢は閉じていた目を開けた。土足のままソファーに横になっていた楢は音もなく欠伸を漏らす。

狗巻楢にとって、従兄弟である棘がその場にいるかいないかが問題だ。楢にとって棘は特別以外の何者でもなかった。幼少期から唯一楢の声を聞き、いつだって側にいてくれた。棘が側にいない今は楢にとってどうでもいい世界だった。

眠っていたわけではなく目を休めていただけだが、楢を起こした二人は、なおも楢の寝そべるソファーの背もたれを挟んだ側に立って甲高い声で喚く。

「このままじゃ、夏油様が…」
「あんた本当にそれでも呪言師なの!?」
「あんなの……、あんなの傑様じゃない……!」

頭に響く声にうんざりして、楢は冷めた目をそちらに向けた。言いたいことは分かる、自分の絶対的なものを奪われた気持ちが楢には痛いほどに。しかしデカイ声を出したところで、喚いたところで、泣き叫んだところで、現実は何も変わらないのだ。
泣き尽くしてなお枯れない涙に目を腫らしながら、楢に八つ当たりをしてくる。

「なんでそんなに冷静なのよ!」
「本当にムカつく!!!」
「あの日あんたがこっちについてればって何度私たちが考えたと思ってんのよ!!!」
「裏切り者!!!」
「裏切り者!!!」

カチンと頭にきて、楢は横に置いてあったサイドテーブルを勢いよく蹴り飛ばした。鈍い音を立ててテーブルは向かいにある対のソファーにぶつかって動きを止めた。足癖が悪いとよく注意されるが、つい出てしまった。しかし八つ当たりして来る方が悪い。
それにあの日のことは、夏油が悪いのだ。楢が何よりも棘を大切にしているのを知っていてなお、棘がいる東京高専に手を出したのだから。棘が死にかけた瞬間、楢も夏油を殺そうかと思ったぐらいだ。結果として棘は死ななかったので手は出ししていないけれど。

『美々子、菜々子。誰に物言ってんの?』

楢が口を開くと、美々子と菜々子が驚いて両耳を抑えた。
まさか口を開くとは思っていなかったらしい。サンドバックにするだけして反撃されないと思っているならばお笑い種だ。

「っ」
「あんた、能力……!」
『声届けてるだけだよ。二人を操って何になるのさ』

二人には楢の声は届いていない。しかし楢の口の動きを見てしまったから、既に思考は楢の配下だった。

夏油の元に来てから判明したが、楢も呪言師としての才能があった。棘のように不特定多数への影響をもたらせるほどの力はなかったので呪印がでなかったのだろう。楢は、楢の口元の動きを見た相手を楢の支配下に置くことができる、所謂マインドコントロールの力を持っていた。支配下に置ければ強いが、扱い勝手が悪い能力のため戦闘には向かない、そんな使えない能力。

スムーズに会話するためにしか能力を使わないが、脳に直接話しかけるやり方は気持ちがわるいと言われる。しかし楢の声を聞き取れない奴が悪い。棘は、楢の声が聞こえているのだから。
ーーー棘、……棘に会いたいなぁ。
着火した怒りがふっとたち消えて、楢は溜息を吐いてソファーに沈み込む。

『はぁ、……分かってる。分かってるって』

目を閉じて、両瞼の上に腕を置いた。
楢も夏油が嫌いだったわけでないし、美々子菜々子の気持ちも分かる。

『でも、今直ぐに傑さんの中身をどうにかするのは無理』

死んだはずの夏油が姿を見せた日のことを思い出す。あの中にいる生き物に吐き気がするが、一朝一夕に手を出せる存在ではなかった。向こうが此方をうまく駒として利用するつもりなのは明白だが、ーーー周囲を固める特級呪霊の動きも気になる。

『動くとすれば、五条悟が封印されるとき、だな』

遠巻きに様子を見ている程度だが、アレに随分と固執しているようだった。封印の瞬間に隙ができるかもしれない。体は夏油だから、せめて中のものが分からないと楢の能力では手出しできなかった。歯がゆい話だ。





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