生家



※主が加茂家にいたときの話です













袖に隠していたナイフを取り出して輸血パックの封を切る。中身をそのまま空中に投げて、広がった血を凝固させる。ガキンッとまるで金属がぶつかるような音が響いた。

「チッ……」
「噂に違わないな、ゼンイントウジ」
「こっちの台詞だってーの」

一歩遅ければ向こうの持つ呪具で身体を抉られていたかもしれない。相手に呪力がないとこんなにも索敵に戸惑うのか。
飛び退いたフィジカルギフテッドに、櫟はさてどうしたものかと目を細めた。






* * *






古くから続く家というのは、伝統を守ることに固執するからか頭が硬くなりやすい。特に呪術なんて閉鎖的な分野を家業にするせいか、時代錯誤が甚だし、今尚妾なんてものを作る。その癖、血筋を重んじるとか何とかで、妾を受け付けようとしない。

妾の子は本家に入る資格がないのに、誰かがそうひそひそと噂していた。しかし、術式が全てとされる加茂家では、術式さえあれば本家の敷居を跨げる。ただし、それは本人のみ。妾は敷居を跨げない。

「憲紀」
「はい」

本家の敷居を跨げるのは憲紀のみで、産みの母は敷居を跨ぐことは許されない。

加茂憲紀は、櫟の親戚だ。家系図を辿ると複雑になるが、間違いなく血縁関係にはある。櫟自身は直系というわけではないが本家の人間で、自由に出入りできる立場だった。一方で、相伝の術式を受け継いだものの憲紀は妾の子。待遇は酷いものだったが、本家の直系に相伝の術式を持つものが出なかったので、このままいけば本家へ養子に入ることになる。櫟は憲紀の術式が分かる前から妾の母子を心配しており、何かと手助けをしていた。それは当主の知るところでもあり、憲紀の術式が判明してからは同じ術式を持つもの同士鍛えるようにと公に言われている。まぁ鍛えるようにと言われても櫟は子供をビシバシ扱く趣味がないので、やんわりと受け流して、母子の待遇がこれ以上悪くならないように庇っていた。

今日も本家での鍛錬が終わり、憲紀を母親がいる離れへと送り届けているところだった。差し入れ用に作った煮物は、まずまずうまく作れたと思う。加茂の家は名の知れた家で、女中が多く、料理をはじめとした家事全般を櫟はしたことが殆ど無かった。しかし憲紀のことを知ってから、櫟は家事を急ぎ覚えた。妾の住む離れには女中がつけられておらず、憲紀の母親は体があまり強くない上に本家の圧力が加わって寝込みがちだった。そのため憲紀を面倒見る人間が必要で、櫟がそれを引き受けた。幸い憲紀は聡明だったので、拙く家事をする櫟をフォローしてくれている。

櫟が足を止めると憲紀も足を止めて不思議そうに首を傾げた。目線を合わせるようにその場にしゃがむ。煮物をいれたタッパーを憲紀に差し出した。

「憲紀、一人でこれ持ってお母さんのところに戻れるね?」
「櫟さんは?」
「俺は一緒に行けそうにないな」

ちょっと野暮用ができて、と笑って見せると憲紀は逡巡した後、両手でタッパーを受け取った。いつもは家まで送っていくし、何だったら一緒にご飯も食べるのだが、今日は難しそうだ。安心させるように憲紀の頭をそっと撫でてやる。

「櫟さん、明日も、会えますよね?」

尚も不安そうな声音。子供ながらに何か感じるものがあるらしく、将来有望で喜ばしい。櫟はぎゅっと腕の中に憲紀を抱き締める。小さな身体で、重圧に耐えて鍛錬を行い、母親を気遣う優しい子。

「ーーー勿論」

加茂の家を憲紀のような子が継いでくれたら、きっとこの呪われた血も活きるだろう。









憲紀がその場を離れて姿が見えなくなると直ぐに櫟は空へと飛び上がった。何も感じないが、確かに何かいる。直感に任せて体を捻ると、先までいた場所に男が一人現れ、そして地面が割れた。

「…別れの挨拶は済んだのか?」
「っ、お気遣いどーも!」

呪具を構え、櫟へと向かってくる。見た目から鍛え上げられた体を持つことが伺えて、接近戦は不利だと判断して距離を取るために飛び退いた。しかし大人しく下がらせてくれるわけもなく姿勢を低くし加速する相手に、逃げ切れないと判断した櫟は体内の血を操り一時的に肉体の強化を行う。容赦無く飛び蹴りが繰り出された。腕で受け止める、打撃が重い。それがブラフであることは分かっていたので、相手が呪具を振りかぶってくるのを反対の手で受けた。そのまま真面目に受け止めると肉体強化していても力負けすることは明らかだったので、相手の体重を利用して横に流す。その動きに相手が驚いて一瞬目を見開いた。その程度で殺せると思っていたのだろうか。

地面に着地すると同時に持ち歩いている輸血パックを取り出す。術を使うことを警戒した相手が距離をとって下がった。相手の出方を伺いながら、櫟は観察する。顔を見て一目で何処の人間かは分かった。あそこの家系は皆顔が似ている。

「お前、禪院の人間だな?」
「……」
「呪縛による呪力のない体、天与のフィジカルギフテッド」

その中でも、これだけの動きができる人間は限られており、かつ呪力で気配が探れないのは一人しかいない。

「ゼンイントウジか」

肯定も否定もされなかったが、絶対に間違いない確信があった。加茂と禪院は呪術界では御三家に数えられる有名な家だ。櫟は禪院の家に出入りすることも多く、そこでトウジの話を聞いたことがある。印象に残る話だったので、顔を知らずとも特徴だけで直ぐに本人だと分かった。禪院家の、出来損ない。

「誰に依頼された?」
「言うわけねーだろ」
「……意外に律儀だな」

顔を見たのは初めてだ。境遇からもっと荒んでいるのかと思ったが、噂ほど落ちぶれているようにも感じない。ただ他人に期待していないのだけは、その瞳が雄弁に語っていた。
ゼンイントウジの噂は天与呪縛に関することだけではない、その薄暗い仕事についても有名だ。呪術師殺し、つまり櫟を殺すように依頼されてきている。御三家に、相伝の術式を持って生まれったものは大なり小なり命を狙われる。櫟とて、自身の首に懸賞金がかけられているのは知っていた。懸賞金目当てかそれとも雇われてきたのか知りたかったが、先の返答からして後者だろう。
御三家でかつ呪術師なんて仕事をしていると私的な恨みは数え切れないほど買うので心当たりがありすぎた。手っ取り早く教えてくれれば良いものを、律儀に殺そうとしてくる。対話する気がないやつは厄介だ。



凝固させて作った血の壁を力任せに破って距離を詰めてくるトウジに、輸血パックに残った血を再度凝固させて、踏み台にして距離を取る。トウジの攻撃は自身のフィジカルを生かした接近戦だ。距離さえ保てばそう怖いものではない。

「クッソ!」
「………」
「ちょこまかと……!何で撃ってこねーんだよ」

トウジの言う通り櫟は先程から反撃を一切行なっていない。距離を一定に保ち、しかし逃げることもせず。膠着状態にトウジが舌打ちをした。

「……」
「気色悪ぃ、何考えてやがる」

顔を顰めて唾を地面に吐くトウジに、櫟はお望み通り動いてやることにした。
ナイフで手首を切る、どくどくと流れ出る血に、嫌な気配を感じたのかトウジがその場を飛び退いた。だが、遅い。両の手を合わせる。

「穿血」

圧縮させた血液が音速を超えてトウジに放たれる。並みの相手であれば逃れられずこの一撃で殺せるが、さすが天から与えられた体を持つ男は顔を狙った一撃を辛うじて交わしてみせた。その避けの一瞬、動きが止まる。この時を待っていった。手首を切ったのはブラフではない。

「赤縛」
「げ…!」

手首から溢れた血が櫟の呪力操作によって強化されそして獣の檻となる。赤縛により拘束されたトウジがそのまま地面に落ちた。櫟はやっと捕まえたと近寄りながら溜息を吐く。穿血はどうやら掠っていたようで、トウジの口元が切れている。トウジは溢れる血を舐めとって、地面に吐き出した。出血は酷そうだが、まぁ大事ないだろう。

「悪くはなかった、かな」
「チッ、……余裕そうな顔してよく言うぜ」
「アハハ、余裕ではなかったけどね。トウジがもっと本気だしてたら俺が死んでたな」

憲紀がいるときに狙われなくてよかった、庇いながら戦うのはほぼ不可能だ。評判を聞く限り人を殺すのに戸惑いを感じるような男ではない。手を出してこなかったのは、おそらく依頼人と櫟を天秤にかけていたからだ。依頼人の何かがトウジの気に障ったのだろう。櫟が死んでもそれはそれで報酬を貰えばいいし、櫟が想像よりも動ければ交渉に出るつもりだったに違いない。
肉体派に見えて、頭はキレるようだ。嫌いじゃないタイプの人間で、もう呪術界にいないのが勿体無い。

櫟は手首を止血しながら交渉を持ちかける。

「トウジが雇われた金額の倍を出そう。雇い主を教えろ」
「……倍、ね。それで知ってどうする?俺に殺させるか?」
「いや俺に用事がある人なら、俺が直々に聞いてあげるまでかな」
「ハッ、……流石、時期当主候補様々だな」

他人の命を狙うのだから、自分の命を狙われる覚悟ぐらい出来ているだろう。トウジの嫌味を笑い飛ばす。櫟とて、伊達に歪んだ世界で生きてきていない。

「それで、俺と取引する気ある?」

赤縛の締め付けを強めて、返答は一つしか受け付けてないけどと付け足すと、トウジは金は多いほうがいいとあっさりと依頼人の情報を売った。





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