2020恵誕生日祝い 櫟という男の家に津美紀と住むようになって数ヶ月。最初は環境や人間関係に戸惑うことも多かったが、今はその違和感を覚えることも少なくなった。この古い家にも愛着が湧いてきて、老朽化による家鳴りに怯えることも無くなり、他人の家ではなく自宅だと思えるようになってきていた。 「櫟さん、これくらい?」 「お、良い感じ。津美紀が程よく混ぜてくれたから滑らかなホイップになったね、上手」 「本当?」 電動ミキサーを片手に津美紀は嬉しそうに笑う。ボールの中のホイップは櫟が言う通りツノが立つ硬さになっていた。 向かいのやり取りを伺いながら恵は櫟へと声をかける。 「櫟さん、苺のへた取れた」 「ありがとう、助かったよ。沢山あったから大変だったでしょ?手冷たくなってない?」 大丈夫だと頷くと、櫟がくしゃりと恵の頭を撫でた。気恥ずかしくて、恵は誤魔化す様に視線を苺へと落とす。 苺のヘタを取ったぐらいで褒められる日が来るとは思っていなかった。そもそも、褒められること自体に馴染みがなさすぎて、恵はいつも落ち着かない気持ちになる。 「ねーまだー」 「………五条さんは何しにきたんだよ」 「決まってるでしょー、櫟のケーキ食べにきたの!」 テレビの前に置かれた炬燵で一人暖を取っている長身の男に恵は呆れた声を漏らす。津美紀も乾いた笑いをもらしていた。いつの間にかやってきた五条は、手伝うでもなく先程から炬燵でゴロゴロして定期的にケーキの完成を催促して来る。年上のくせに子供染みているこの男は、今日も今日とて櫟に甘えにきたようだったが、当の櫟は相変わらず適当にはいはいと五条の催促を流している。 「よしじゃあ最終段階のデコレーションをしよう」 「はーい!」 スポンジケーキと、ホイップ、そして苺。ケーキ作りの材料は揃った。いよいよデコレーションの段階となり目を輝かせる津美紀は、いつもの大人ぶった様子はなく、年相応に楽しんでいる様だった。 作業台代わりの食卓に櫟が皿を一つ追加する。乗っていたのは綺麗に焼かれた小さなクッキーの数々。 「じゃじゃーん、実は事前にトッピングを沢山作っておきましたー」 「すごい!あ、これ可愛い!」 「型抜きクッキーなどしてみた」 「犬……」 「気に入った?」 犬の形をしたクッキーに気をとられると、櫟が小首を傾げるのでそれに頷きを返す。これがクッキーだというのが悔やまれる出来で、勿体無くて食べられないなと思った。 津美紀がデコレーションがされたクッキーを指差す。 「これも櫟さんが?」 「アイシングだね。人生で初めてやったけどわりと上手くできたと思ってる」 「うん、とっても可愛い。私もやりたい!」 「じゃあクリスマスでやろうか」 「!クリスマスもお祝いできるの!?」 津美紀の弾んだ声。恵もどきりとして櫟を見上げた。今まで色々なところを点々としてきた恵は、祝い事に縁が無く、祝い事自体したこともなかった。クリスマスなんて以ての外だ。似た様な境遇の津美紀もクリスマスの経験が無いようで期待した表情している。 恵はずっと、他人に期待すると駄目だった時が怖いから期待しないようにしてきた。けれど櫟といるときは、期待しても良いのかなと、期待したいと思うようになっていて。 「勿論だよ。今年はサンタもうちに来るだろうしね」 そうにこりと笑う櫟に、恵は胸がいっぱいになった。箱の中がぎゅうぎゅになってしまったような感覚、幸せで満たされて苦しい日がくるなんて思ってもみなかった。優しい、暖かい。まだ数ヶ月しか一緒にないのに、櫟には溢れるほどの愛情を注いでもらっている。いつか無くなるのではないかと、怖いぐらいだ。 満たされたことでやってきた不安な気持ちに恵が動揺すると、目敏くそれを見抜いた櫟がまた恵を幸せで包んでくれる。 「あとは、コレだね」 「っ」 櫟が冷蔵庫から取り出した小皿には、一枚のチョコレートプレート。 テレビやチラシで見たことがあるソレは、恵にとっては物語の中の小道具のような認識でしかなかった。しかし、そこに書かれた名前は確かに、恵の名前で。 櫟が恵を後ろから包むように抱きしめてくれる。香る甘い匂いと、感じる人の温もり。憧れていなかったかと言われると否定できない、けれど望んではいけないものだと、不相応だと思っていた。その卑屈な価値観を櫟は一つずつ正してくれる。 「ハッピーバースデー、恵。産まれて来てくれてありがとう、うちに来てくれてありがとう」 「おめでとう恵!私の弟になってくれてありがとう!」 「オメデトー」 「あー、五条さん!!!」 「こらこら、クッキーをつまみ食いしないの」 誕生日を、祝ってもらえると思っていなかった。恵の誕生日を知っていた櫟が誕生日パーティしないとねと言ってくれただけで嬉しかったので、誕生日の希望を聞かれても、何もいらないし、何処に行きたい等もなかった。子供らしくない返答だったのか、櫟はキョトンとした顔をしていたが、恵は本心からそう思っていた。櫟や津美紀に誕生日を認識してもらえるだけで充分だった。結果としてこうして一緒にケーキを作ることになったのだが、何かをもらったり、どこかにいくよりも、こぢんまりとはしているがとても充実した時間。 産まれたことを疎んだことならある。幾度も。けれどまさか産まれたことを祝われるなんて、まして自分でも産まれてよかったなんて一瞬でも思うこんな日が来るなんて。明日死んでしまうのかもしれない。 それでも良いと思った、この幸せの気持ちで死ねるなら、これより贅沢な誕生日プレゼントはない。 |