太刀川と恋人












俺は八つ当たりまじりにベッドにリュックを投げ捨てる。
どさっと重そうな音がした。

「慶のバカ!アホ!」

誰もいない室内に俺の声が空しく響く。
それすらもむかっとしてしまう。このいらいらをどう抑えたらいいのかわからない。
掌に爪が食い込むほどきつく手を握る。

「なんで遠征行くって教えないんだよ……!」

太刀川慶は、俺の恋人だ。
男の俺と男の慶が恋人ってのは色々世間体的に問題があるので知っているのは極一部だが、そんなことはおいておいて。
慶は、ボーダーでA級1位の男だ。
個人でもチームでも1位の男だから当然忙しいのは分かっているけれど、それでも遠征に行くときぐらい恋人に伝えるものじゃないのか。
三日前から連絡しても返事がないなと思って同じ大学でボーダーにいる二宮に聞いてみたら、遠征に行ったと言われて。
このやりとり何度目だよ。毎回、言ってから行けと伝えているのに、一回も守ってくれたことがない。

「俺の事なんてどうでもいいと思ってるんだよな!!!」

声に出してみれば妙にリアルで、俺は唇を噛んだ。
悔しいやら惨めやら。
色々な感情が沸いて、そして最後に残るのは、寂しさだ。

「どうでもいいと思ってるんだろうなー…」

慶にとって何よりも好きなのは戦うことだ。
そんなの俺は耳にタコができるぐらいに聞いた。
だから、遠征に出て強い相手と戦うのが楽しみなのだろう。楽しみ過ぎて、伝え忘れる。
分かってるけど、知ってたけど。
はぁとため息をつく。

「俺って慶のなんなんだろ」





ガチャッという音がして玄関が開いた。
ぼーっとテレビを見ていた俺はそちらへ視線をうつす。
玄関のカギを開けられるのは、家主の俺か、合鍵を持っている人間くらいで。
それはある意味、いつも通り、2週間ぶりに、能天気に顔をのぞかせた。

「しとど元気にしてるかー!」
「……慶」
「うわ、顔色悪いな。具合でも悪いのか?病院行くか?」
「誰のせいだと…」
「は?」

肩の力がぬける。
そう、いつだってひょっこり帰ってきて。
俺が心配する必要ないくらいに慶が強いことぐらい分かっているけど、でもやっぱり心配だ。
だから飄々とした姿をみると力が抜ける。
酷い一人芝居をしている気持ちになる。
でも今日はそれだけでは終われなかった。
この間口にした言葉が俺の胸には突き刺さったままだ。

「遠征、行ってたって聞いたけど」
「おう。ついさっき帰ってきたところだ!」

悪びれもない様子に、本当にこいつなんなんだろうなぁと今更ながらに疑問に思う。
恋人に黙って遠征に行っておいて、なんでこんなに元気に返事できるわけ。
俺はしみじみつぶやく。

「俺ってさー、慶にとってなんなの?」
「…どういう意味だ?」
「恋人の遠征の話を、他人から聞く俺の気持ち考えたことある?ある日突然連絡取れなくなって、二宮に聞いたら遠征に行ったって……あいつに聞いてないのか?って言われた時のあの何とも言えない気持ち」

二宮に憐れまれた時の居たたまれなさとか、聞いてない事実がショックだったとかいろいろ気持ちが混ざり合ったけど。
一番最初に沸いた怒りはもうとうの昔に鳴りを潜めた。
怒りつかれたのかしれない。
自虐的に笑う。

「そりゃ慶にとってみれば、まだ見ぬ誰かと戦う方が、俺よりよっぽど大事かと思うけど」
「それは違う」

慶が俺の傍に膝をついて座った。
俺の頬に、その節くれだった男の手で触れる。

「いや確かに違わないけど、でも言わないのはしとどがどうでもいいとか思っているわけじゃなくて」

まっすぐに、真剣な目で言葉を紡ぐ。
こういうところがこの男のずるいところだ。
普段がふざけている分、ギャップについやられてしまう。

「俺は戦うのが好きだ。遠征は強い奴と戦えるから楽しい。だから、戻ってきたくない時もある」

そうだろうなと頷いた。
この男は暇さえあればボーダーの訓練室に入り浸っているらしい。
だから、遠征なんてものにいけば、そのままふらっと姿を消して、旅に出てしまってもおかしくないのだ。
辛うじて、今は戻ってきてくれているけれど、風船みたいなもの。繋いでないと、空高く、のぼっていってしまう。
慶が頬を触っていた手で俺の手をぎゅっと握る。

「それを踏みとどまらせるのが、しとどなんだよ」

その言葉にきょとんとする。
風船のひもを持っているのが、俺?
慶が笑う。

「戦って戦ってもっともっと戦いたくなる瞬間、しとどの事が頭をよぎって冷静になる。あ、戻んないとって思う。何も言わずに出てきたから、ちゃんとごめんって言いに帰らないとってな」

なにそれ。そんなの慶の都合でしかない。
俺が目を伏せれば、慶が俺の頭をそっと抱いた。
慶の胸に顔を押し付ける形になる。

「あー……ごめん全部俺の都合。でも、しとどのことどうでもいいと思ってるわけじゃないし、俺の帰る場所は、ここだと思ってるから」

どくんどくんと慶の心臓の音がする。
俺は唇を噛んで涙を耐えた。
くそ、こんなことじゃ、ほだされたくない。
俺はあんなに辛い気持ちになったんだから、こんな都合の良い現地妻を慰めるみたいな言葉、うれしくなんかない。
言葉を絞り出す。

「……許さない」
「まじか」
「ハーゲンダッツ」
「分かった、直ぐ買ってくる」

直ぐに立ち上がろうとする慶の服をぎゅっと握る。
訝しむ慶をまっすぐ見つめる。

「やだ」
「?」
「一緒に、行きたい」
「……おう」

慶が俺の手を引いて立ち上がらせる。
遠征の件、許したわけじゃない。
だから毎回俺は、怒ってやる。なんで黙っていったのだと。
そうすれば、慶は、戻ってきてくれるんだろう?

慶が俺の目元にキスを落とす。

「ただいま」
「…おかえり」

でも今回は、このキスに免じて見逃してやろう。






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