微熱を帯びた


犬飼には最近お気に入りの場所があった。どこにでもある商業施設の、一番最上階の一画にそのカフェは存在していた。本屋と同化しているカフェのためか、人目につきにくくいつ行っても空いているのが嬉しい。おまけに本屋でもあるせいか、そのまま飲食スペースに購入しなくてもその店の本を勝手に持っていって読めるのだ。もちろん普通はそんなタダで読める場所混雑しそうなものだが、ここは漫画はおいておらず、雑誌(しかもファッション系雑誌はおいてない)や変な題材の文庫本しかない。ようはすごくマニアックな本しかないのだ。犬飼はそこで、見つけてしまった。飛行機雑誌がおいてある一画を。
水を得た魚のように喜び、それから犬飼は何も予定がない日は足しげくここに通っている。飛行機のためだったそれが、だんだんと飛行機のためではなくなったのは、最近の事だ。

「あ、犬飼くん。こんにちは。今日もいつものセットにポテトでいいですか?」
「こんにちは。それでよろしく」
「はい、1200円です」

控えめに笑う彼に、犬飼も自身がこなしえる最大の笑顔で返す。さらりとした黒髪を耳にかける仕草がとても爽やかで、犬飼は神聖な彼に手を合わせて拝みたくなった。この神々しさは神かもしれない。

「お昼休みとった?まだだったら後で喋ろう?」
「あ、でも、その」
「しとど、坊主と一緒にお昼休みとっていいよ。忙しくないしな」
「ありがとうございます!」
「おー、むしろいつもありがとよ」

厨房から顔を出したいかついお兄さんも、いつも厨房にいる人だ。最初はびびったが、意外に気さくで話しやすく、犬飼はいかつい人と仲良くなったことで、レジにいるしとどと仲良くなれたのだ。そうじゃなければきっと話しかけられずに終わっていたと思う。
大体犬飼が来る日は、常にレジや案内をしとどが行い、厨房はいかつい人がしていた。犬飼は他のスタッフを見たことがないので、運が背中を押してくれているとしか思えない。
本人からyesもnoもまだ聞いていないが、ここまでくればもうnoはないだろう。いかつい人は犬飼にとって恋のキューピットかもしれない。少しいかつすぎるが。手を振ってレジを離れて席を見渡す。辛うじて全席空席ではなく、ぽつぽつと客はいた。この店はいつもそうだ。全く客がいないわけではないが、ほぼいない。それでやっていけているのが不思議だ。いつもの席が空いていて、犬飼はそそくさとそちらに向かう。
飛行機雑誌に近い場所が犬飼の定位置だ。本棚から飛行機雑誌をニ、三冊引き抜いて、犬飼は席にこしかける。開いた雑誌の一面は空の景色で、その中を一機の飛行機が飛ぶ姿は、何度見ても飽きない。

「犬飼くん、お邪魔します」
「どうぞどうぞ。って持ってきてくれたんだごめん!」
「ううん、全然。大丈夫です」

エプロンを外したしとどが二人分のトレーを持っていた。慌てて片方を受け取る。犬飼からすればびっくりするような細腕で、二つもトレーを持たせてしまい申し訳なくなる。

「今日は何の飛行機ですか?」
「ロッキード」
「確か偵察用機でしたっけ」
「そう!よく知ってるね!」
「この店の雑誌は全て目を通しているので」

犬飼は今日も今日とて同じメニューのベトナム風丼へとスプーンを入れる。正直ベトナムの味がよくわかっていないのだが、確かに食べれば嗚呼ベトナムっぽいと納得がいく味だった。なんの味かはいまだにわからない。
野菜カレーを食べるしとどに、今度そちらも食べてみようかなぁと思うが、カレーにお金を払うのがなんだか癪で今のところまだ頼めたことがない。

「しとどちゃんって甘いもの好き?」
「はい、結構好きです」
「あのね、大通りのとこに新しいケーキ屋さんできたの知ってる?」
「あ!知ってます。雑誌にも出てましたよね」
「そうなの?」

すみませんと断りを入れてしとどは席を立った。程なくして戻ってきた彼の手には1冊の雑誌。スイーツダイアログと書かれた雑誌には色とりどりのお菓子が紹介されていて、これは女子必見だなと思った。
とあるページで彼の手が止まる。開かれた見開きすべて、犬飼が先ほどもちかけた店だった。

「これです、これ」
「うわ、本当だ。いっつも並んでるのは人気店だったからか」

特集されるだけあって、写真にうつるケーキはフルーツがたっぷりで美味しそうにみえる。画像の修正でないことを祈りたい。店内は意外に白と黒のシャープな雰囲気で、決して男性お断りの雰囲気ではないようだ。しかしケーキ屋というだけで女性率は格段にあがる。

「入ってみたいんだけど一人じゃ気まずいからさ。今度一緒に行かない?」

犬飼が困っている声を出すと、しとどは目を伏せた。嫌がっている、というより困惑しているようだった。決して犬飼と話すようになって日が浅いわけではなく、犬飼は慎重に慎重に距離を縮めてきていたはずだ。性急に距離をつめているわけではないはずだが、大人しい彼にはまだ早かっただろうか。

「だめ?」
「その、僕じゃなくて、女の子とか、その、彼女さんとかと行った方が…」
「残念ながら彼女はいないよ!悲しい独り身だー…」
「そうなんですか?意外です」

驚いたように目を開くしとどに、犬飼は泣き真似をする。まぁ目の前の彼のことが好きなので、当分彼女を必要としていない。そんな本心は隠して、犬飼は難しい顔をする。

「で、流石に一人じゃな悲しいし同級生は…ちょっとそういう場所が似合うような知り合いがいなくて、ムキムキが多いっていうか、爽やかさが足りない?後輩は爽やかイケメンだけど女の子が極度の苦手であの店に連れていったら可哀想だし」
「嗚呼…女の子いっぱいですもんね……」

店の前の行列を見たことがあるようで、しとども納得したように頷いた。ボーダー内を探せば一緒に行ってくれそうな人間はいるが、そもそもこれは口実で、ケーキ屋に何が何でも行きたいわけではない。そんなことを知らない、そもそも犬飼がボーダーだと知らない彼は、学校の知り合いが駄目なら無理だなと納得してくれたようだ。

「だから、お願い!一緒に行って!」

最後のひと押し。
両手を当ててお願いする。ちらりと開いた目でうかがえば、しとどは控えめに笑った。

「僕で、よければ」




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