必ずしも最後じゃない



緑川は例えるなら犬だ。猫派なしとどには少し戸惑いがあった。なんだこいつ、ぐいぐいくるな、それが緑川への感想だった。緑川への態度が特別良かったわけではないのに、どこかが気に入られたみたいで緑川は頻繁にしとどの元へきた。散歩中の犬が足元にじゃれてくる感じがしている。

「しとどさん!飯行こうよ!」
「………緑川…うるさい」
「酷い!」
「頭に響くから、静かにして…」

脳味噌がぐわんぐわんする。しとどは頭を抱えてデスクに突っ伏した。嵐のように隊室に投入してきた緑川はしとどが突っ伏しているデスクの横に立ち喚く。少年独特の高い声が頭に響いた。脳味噌が揺すぶられて胃から何かがせりあがってくる感覚がする。吐きそうになったが、そんな姿は人様に見せたく無い。プライドでなんとか押しとどめようと我慢すると悪循環で、しとどは完全にグロッキーだった。
緑川はそんなしとどに呆れたような声を漏らす。腰に手を当てて仁王立ちする姿は完全に保護者のようだった。年齢としてはかなり年下なので保護者では無いのだが、不甲斐ないしとどの面倒はいつも緑川がみてくれた。

「またお酒のんだのー?弱いんだから止めなよ」
「東さんがすべて悪い………」
「水のむ?」
「………うん」

しとどが弱弱しく頷くと、緑川は分かったと頷いて水を取りに行ってくれた。それをデスクに頬をつけて死んだ目で見送る。毎回思うが、よくこのやり取りに付き合ってくれるなと思う。普通は酔っ払いの世話なんて面倒でやりたがらない。緑川はどちらかというと、世話をやかれるタイプに見えるけれど。
昨晩は麻雀仲間と飲みに行っていた。つまり冬島・東・諏訪だ。当然酒を飲むメンバーでかつ全員かなりの酒豪なためスピードがはやく。しとどは酒がまわり途中で寝たらしく諏訪が送り届けてくれたようだ。記憶のあるところで、あの三人はビールをピッチャーであけて、ワインを瓶で空けて、日本酒もあけていた気がする。あのメンバーで飲み放題は駄目だと毎回そう思いながらも付いて行ってしまう。それもこれも、全部東のためだ。

「あーあ、さっさと振られればいいじゃん」
「縁起悪いこと言うな…」

水をコップに入れて戻ってきた緑川の言葉が胸に突き刺さる。さくっとメスをいれられた気分だった。しとどは水を受け取り口を付けた。ひんやりとした水に体調が少しすっきりする。気分は相変わらず最悪だったが。
緑川がデスクに腰かけてしとどを見下ろす。行儀が悪いけれど、しとどは注意する気力がなかった。酒がのこった頭の動きは鈍いし、飲み会は楽しかったけれど、同時に苦しかった。

「さっさと振られてくれれば、俺も飯誘う度にぐったりしてるしとどさん見なくてすむし」
「………」
「うわっ、泣かないでよ!」

緑川が焦った声を漏らす。涙目だったのがばれてしまったようだ。しとどは堪え切れず、ぽろりと涙を零す。それからは涙が勝手にどんどん零れていった。しとどは手で顔を覆う。飲んだ次の日に必ず後悔するのだ。飲み会の席で、東の傍に座って、横に座れば体温を感じて、向かいに座ればその表情をよく見て。やっぱり好きだなと思ってしまう。そして誤魔化す様に飲み、そしてつぶれるのがいつものお決まり。次の日になんて馬鹿なんだろうと後悔する。緑川が言うようにさっさと振られればいいのに。でも、期待してしまう。違う、終わりにしたくないのだ。そんな簡単に終われるものであったと思いたくないのだ。
年下の緑川に気を使わせているのを感じ、涙を止めるために深呼吸をして感情を落ちつける。いつもはこんなに泣いてしまうほどではないのに昨日は流石に参った。東に恋人ができた話をされたのだ。顔には出さなかったが、全く知らなかったのでショックだった。結ばれなくてもいいから、せめて誰のものにもなって欲しくなかった。

「ごめん」

凹んでいるしとどを緑川は気の毒に思ったようでしとどの頭へと手を伸ばす。そしてゆっくりと撫でた。年上を撫でるなど正直失礼な話しだと思うが、しとどは緑川に撫でられるのは好きなので文句は無い。何事にも遠慮のない緑川だが、頭を撫でるのは上手いと思う。恐らく、昔誰かにしてもらって嬉しかった撫で方を真似しているのだろう。

「しとどさんさぁ」

緑川がゆっくりと口を開く。しとどにとって緑川は可愛い後輩だ。中学生らしくのびのびしているというか、野山を駆け回っていただけあってタフというか。エネルギッシュさと無邪気さが年相応で尻尾を振った犬の様だ。多分みんなそう思っているだろう。
緑川がしとどの髪を一掬いする。そしてゆっくりとしとどに見せつけるようにその手を離した。妙に大人びた表情にしとどは驚く。緑川の印象ががらりと変わった。

「東さんじゃなくて、俺にしときなよ」

そう告げる緑川は随分真剣な顔をしていてしとどは緑川が男だと言う事を漸く知った気がした。こうやって、子供から大人になっていくのだろうか。子供の成長に衝撃を受けているしとどを余所に、緑川は随分と気障な事を口にした。

「俺は泣かせないし、一人にしないよ」

まるで少女漫画だ。緑川は少女漫画より少年漫画の方が似合いそうだが、個人の趣味をとやかくいうつもりはない。しとどは水がはいったコップを目蓋にあてる。泣いて熱くなった目蓋を冷やすにはちょうど良かった。
この恋の終わり方が、東さんに恋人が出来て諦めるわけではなく、かといってしとどが振られて諦めるわけでもなく。緑川と恋人になることで終わる。この小さな男の子と、恋人に。手をつないで路上を歩く姿を想像して、先程まで悲観していた頭が冷静になる。

「………中学生に手を出すのはロリコンかなぁ…」
「おじさんになってもしとどさんなら大切するよ」

その気持ちは嬉しい。緑川はきっと冗談でそんなことを言っているわけではないだろう。そしてずっと気になっていた、緑川がしとどになつく理由が分かった。恋愛の対象として好いてくれている。
緑川は良い子だと思う。こんな情けないしとどの様子を見に来て、水を入れてくれて、慰めてくれる。好きな人から、その人の好きな人の話をされていたら、普通はショックだ。現にしとどは、東に恋人の話をされてショックだった。だから知らなかったとはいえしとどの口から東の話をするなんて。緑川に酷い仕打ちをしてしまった。これが毎回なんて、きっと地獄だっただろう。

「有り難う」

緑川の気持ちを考えただけで泣きそうだ。けれど、それは絶対にしてはいけない。緑川の気持ちに堪えられないなら、泣いてはいけない。
目元からコップを離して、緑川を真っ直ぐに見つめ返す。茶色い髪が柔らかそうで、身長はまだまだだけれど、数年もすれば、立派に格好良くなってしまうのだろう。その時の事を思うと、胸が熱くなった。

「緑川を代わりにするなんて、俺はそんなもったいないことはできないよ」

いつか、ここであったことも黒歴史になってしまうのかもしれない。それはすごく寂しいことだ。でも、しとどに緑川はもったいなさすぎた。断ってしまう事で緑川は明日から声をかけてこなくなるかもしれない。それもとても寂しいことだ。けれど、嘘を付いたらそれこそ緑川に失礼で。「それに」しとどは続ける。

「捨てられないから、恋なんだよ」

東への想いを捨てることが出来ない。簡単に捨てることが出来ていたらそもそも悩まされておらず今此処にしとどはいないのだが。捨てられず嘆いてばかりだけれど、それでもしとどにとってこの恋は本物だった。恐らく後にも先にも、これだけ想える人は東だけだろう。
しとどが寂しそうに笑えば、緑川も結果は分かっていたのか屈託なく笑った。そしてしとどのコップをもつ腕をつかむ。緑川の指先が熱い。子供体温で温かいというわけだけではないだろう。少し汗ばんだ手が、緑川の緊張を伝えてくる。

「俺も、捨てられないから」

緑川はそう言った。そこで、しとどははっとした。緑川を見上げれば、目にした事がない程の優しい笑みを浮かべていた。
これは終わりでは、ない。



(そうか、俺が諦められない様に)

「諦めない。しとどさんが俺の手をとってくれるまで」



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