涙でぼやけてあなたが見えた気がしたけど しとどはスナイパーである師を心の底から愛していた。それは尊敬だけではなく恋愛としての意味も含んでいる。けれどあの人の横にはいつも別の人がいて。しとどが好きな相手は、いつも横にいるその人が好きだ。 昔、冗談交じりに聞いたらあの人は照れくさそうに笑って「言うなよ」と釘を刺した。あの時、何で聞いてしまったのだろう。知らなければさっさと告白して振られてけじめがつけれていたかもしれない。知ってしまうと言う事が出来なくなってしまった。好きになる事が犯罪の様に思えた。 ずっとあの二人を見ていると具合が悪くなる。どう見ても両片想いなのだ。それなのにいつまでもお互いに言い出さなくて。もういっそのことすれ違ってギクシャクして上手くいかなくなってくれれば付け入る隙ができるのに。と思ってしまう自分が汚くて反吐がでる。具合も悪くなるわけだ。 むかむかと湧きあがる吐き気に床にうずくまっていると一人の足音がしとどの前で止まった。 「しとど、此処にいたのか」 「つ、じ」 朦朧とする意識の中で、顔を上げる。蛍光灯が眩しくて目を細めるが、声で相手は分かっていたので視界がきかずともよかった。辻が手を差し伸べるのは驚くような話では無かった。蹲るしとどを助けるのはいつも辻だ。こんな面倒な男に手を伸ばす奇特な人間は辻しか居ない。 辻はしとどの前に片膝をついて座る。そして落ち着けるようにしとどの背中をゆっくりと撫でた。しとどはそのリズムに合わせるように呼吸をする。少し胸のむかつきが薄くなった気がした。 「具合がよくなったら移動しよう、此処は汚い」 「……もう、汚いよ」 辻はしとどの手をとって立たせようとするけれど、しとどには立ちあがる気力がなかった。このまま醜い感情を持ったまま溶けていければいいのにと何度思ったことだろう。好きな人の幸せを喜べない自分はなんて汚いんだろう。石鹸でごしごしと洗う必要がある。―――洗っても落ちる汚れとは限らないけれど。 辻はそんなしとどに言葉を失った様子だった。愛想をつかされてしまっただろうか。好きな人にも振られ、友人にも振られるなんてつくづく。違うか、こんな奴だから、恋人にも友人にも振られるのか。しとどが自虐的に笑うと、辻は悔しそうな顔をしてしとどの頬を撫でた。 「…そんなことは無い。俺の目には、ずっと前から変わらずお前が綺麗だ」 「あは、は」 歯の浮く様な台詞に空笑いが漏れる。それが本心なのかそれとも建前なのか分からないけれど、染みいる温かさがあった。辻はしとどの頬を優しく撫でる。しとどはそれに酔うように目を閉じた。辻の冷たい掌が心地良い。 「…有り難う」 細いけれど骨ばった辻の指はしとどの指と全く違う。スナイパーとアタッカーの違いだろうか。換装体は生身へは影響しないはずだけれど。しとどの手も、こんな風に落ち着く手になりたい。 辻は変わらずずっと撫でてくれて、しとどはうっすらと目を開けた。なんて優しいんだろう。優しくしてくれる人を好きになりたかった。そうすればこんなに苦しくならなかったはずなのに。何度そう思っても気持ちを変えることが出来ない。 「辻を、好きになれたら楽だったのかな…」 「…しとど」 ぽろりと本音が洩れると、辻が顔を歪めた。不愉快だったのかもしれない。しとどがごめんと言えないでいると、辻はしとどを抱きしめた。両膝を床について、辻が汚れてしまう。けれど隙間なく抱きしめられる心地よさが勝り、制止はできなかった。 辻の背中に腕を回して自らくっつきに行くと、辻はいっそう抱きしめてくた。いい友人だ。困らせても怒らない。落ち着けるように背中を撫でられる。 「少し疲れてるんだ。寝た方が良い」 「そうだ、ね」 寝てもこの気持ちは無くならないし、夢の中でもあの人の背を追いかけているのに。何処に行けば安らぎはあるのだろうか。しとどは目を閉じる。辻の体温だけがしとどの世界になればいいのに。 「辻も迷惑だもんね…」 「そんな事は無い」 きっぱりと否定してくれる辻は暖かい。冷たい男だと評価される事が多い辻だが、しとどはそんな事は無いと思う。いつも暖かくて、そして腹の中では何を考えているのか分からないが、マグマがぐつぐつと煮たってそうな男だった。 つんと鼻が痛くなる。目尻から涙が溢れてきた。頬を伝って、辻の服を濡らしてしまう。辻はゆっくりとしとどの背中を撫でた。それがよりいっそう涙を誘った。 「変なの」 しとどは呟く。辻はその次の言葉を待っているようで、何も言わなかった。涙がしどしどと溢れて、辻をどんどん汚した。涙が綺麗だといったやつは誰だっただろうか。綺麗なわけあるか、こんな醜い感情の塊が綺麗なら、お前の目が腐っているんだ。と、文句を言いたくなった。 最近、変なのだ。この涙も、あの人を想ってなのか分からない。自分の慰めなのだろうか、それとも。 「いつもね、辻が優しいと、嬉しくなる」 辻を繋ぎとめる為の涙だろうか。ぼろぼろと粒になった涙が零れ落ちていく。辻が優しいと嬉しい。優しくしてくれるのが自分だけだと思うと嬉しくて嬉しくて。いつからだろう、最初はそんな風に思っていなかったのに、どんどんその気持ちが加速していった。 この気持ちは一体何なんだろう。友愛にしては少しどろどろとしていて、けれど純粋な愛では無い。 「何でだろう…俺は」 好きなのはあの人だとはっきり言えるのに、辻の事も手放したくない。優しくされて勘違いしているのだろうか。疲れているだけなのだろうか。もう冷静に判断できるだけの力は残っていない。 もしかして、既に辻が好きで、でもあの人への執着がすりこみとして入っているのだろうか。いやそれはない。だってずっと好きで、今も胸が苦しいくらいに痛くて。ラインをして返事が来ない間、何度もスマホを見てしまうのは、あの人だけだ。 「俺はあの人が好きなのに……」 「しとど……」 なぜ辻が好きだとはっきり言えないのだろう。辻を好きになれれば楽になると分かっていても、切っても切れないのが恋だった。 しとどはうっすらと目を開く。涙で視界は最悪だった。ぼやける世界で、こちらを驚いた顔で見るあの人がいた気がした。多分それは都合のいい幻影だろう。しとどはそれに笑いかけて、そして目を閉じた。 幻影が視える程にあの人が好きで、安心した。 |