大爆弾




春はまだ遠い二月半ば。
男女共々浮き足立つイベントがひとつあった。

一部の女子は悩み、一部の女子は決意し、一部の女子は楽しみに。恋に話を咲かせながら。
一部の男子はひがみ、一部の男子は期待し、一部の男子は緊張し。表面では興味のないフリをしながら。

バレンタインデーである。


母、姉、妹、幼馴染。たまに名も知らない女子から。
タクミは美人の姉妹からのみならず、幼馴染のオボロから想いの込もったチョコレートを毎年もらえる。どちらかと言えば同性から僻まれる側の人種だが、今年は少し事情が違った。

一体誰にあげるのか?想いの行く先が気になる異性が、ひとりいる。
その彼女は特にタクミを慕っている。これはもしかすると──もしかするかもしれない。
自惚れと呼ぶには根拠ある期待は、当日の放課後まで引き伸ばされた。




──



ホームルーム終わりのチャイムに紛れてパタパタと駆けてきた聞きなじみのある足音は、部活に向かうタクミの背中を引き留めた。

「良かった、会えた」

──きた。

「今から部活だよね。ちょっとだけいい?」
「なんだよ」
「タクミくん、甘いもの大丈夫?」

確定勝利の質問に、タクミの心は舞い上がった。
ここで“バレンタインなんて興味ないけど”のスタンスを崩しては格好がつかない。タクミは口元を引き結んだ。既に頬は若干赤いことに、本人だけは気づけない。

「……嫌いじゃないけど」
「本当?良かった」

バレンタインの魔力なのか、ほっと頬笑む李依の表情が、マフラーに埋もれた口元も相まってタクミの目には普段よりも二割増しで可愛らしく見える。

「タクミくん、前にひったくり捕まえてくれたでしょ?
その時のお礼、まだちゃんと出来てなかったなって思って、それも兼ねて」

──お礼?
提げている紙袋に手が差し込まれる。緊張が一層高まる。

「タクミの家って名家なんだっけ?もしかしたら、タクミくんが普段食べてるものの方が良いものかもしれないけど」

はい、と差し出されたのは。
想像より一回りも二回りも大きい……綺麗にラッピングされた……高級感のある……

「……これは?」
「チョコ。最寄りで新しくオープンした所のでさ、けっこう人気なんだよ」

既製品だった。
お歳暮で贈られて、家族で分けて食べるような。

「……ルフレにはなにをあげたんだ?」
「ルフレ?ルフレにはみんなと同じ……
生チョコは簡単に作れるってピエリに教えてもらったからそれと、あと混ぜて焼くだけのクッキー」

バレンタイン、友チョコ分だけでもけっこう大変だね。という補足が遠く聞こえる。
義理堅いのは知っていた。ゆえにルフレにも渡しているであろうことは予測がついていた。
その義理堅さがこういった形で裏目に出るとは。恩返しの“義理”。他の人とは違うと言う意味では特別だがしかし、ここまで色気のないバレンタインチョコレートがあっただろうか。タクミは膝をつきたくなるのをぐっと耐える。
せめて手作りであれば喜べたものを。

「タクミくん?もしかしてやっぱり甘いのダメだった?」
「僕は……その生チョコの方が……欲しい」
「え」

ぱちくりと瞬きした李依は言内の意味も言外の意味も理解していないらしい。
どれだけ鈍いんだよ!羞恥心にいたたまれなくなったタクミは自棄になって声を上げた。

「……ああもう!僕はあんたの作った菓子が良いって言ってるんだ!」
「ええ!?やだよこんな簡単なの、お礼にもならない」
「お礼、お礼って、あんたは僕のこと好きだからチョコくれるんじゃないのか!」
「もちろんタクミくんのことは尊敬も感謝もしてるけど!だからちゃんとしたチョコを贈るんじゃん!」
「どうしてそうなるんだよ……!友人には手作りだったんだろ!?」
「タクミくんいろんな人から手作りもらってるでしょ!?モテるでしょ!?それならせめて値の張るものを、」

ヒートアップする言い合いは埒が明かない。
タクミは李依の持つ紙袋を引き寄せようと手を伸ばしたが、勢い余ってその手首ごと掴む。なりふり構わず引き寄せた。三歩分あった距離が、一歩に縮む。

「僕は李依からのチョコを待ってたんだよ!」

響く告白。見上げて目を丸くした李依に、タクミも固まる。
しん、と廊下が静まり返る。

「タクミ、李依」

静寂の中、落とされた声に振り返る。
いつのまにか周囲には人だかりが出来ていて、その先頭にエクラとアルフォンスが並んでいた。
アスク学園の生徒会長と、アスク学園理事長の息子。公私共に仲の良い二人だった。
アルフォンスが額に手を当てて、深くため息をつく。

「言い争いがあるから来てみれば、二人とも……」
「一応、学内はお菓子持ち込み禁止なんだけどな……あ、建前だけね。取り上げたりしないよ」

人だかりが一斉に安堵する。こうした柔軟な対応がエクラの人望に現れているのだろう。

「異性不純交遊も規則では禁止されてるからね。まあ、これも建前ではあるけど」

エクラの表情に苦笑が混じる。

「でも、人前でいちゃつくのはほどほどしよう?」
「いちゃ、つく……?」
「っ!」

反芻して状況を理解した李依の顔にじわじわと赤が差し、元々赤かったタクミの顔はさらに赤くなる。

「なんじゃ、まだ付き合っておらんのか」
「オロチ先生。あなたも野次馬ですか」

そして教師の出現。反発する磁石のように離れた二人は、真っ赤なままぎくしゃくと向き直る。

「わ、悪かったよ、掴んだりして」
「大丈夫、うん、全然、平気」
「部活に、行く……」
「うん、がんばって……」

とにかくこの場から消えてなくなりたい一心で別れる。下校を促すチャイムが鳴って、人だかりも解消する。タクミのこのあとの部活動が壊滅的だったのは、言うまでもない。