(泣いたあの日)
桜が綺麗だった。
今日、この学園は希望に満ちている。桜の下にいる生徒と満開の桜は似ていて、生徒のそういう気持ちを表しているようだ。桜ってこんなに綺麗だったかな、いつも花より団子だったから、なんて私は考えていた。でも桜の下で食べる団子は格別だから。
あっという間の六年間だったな…
遠くで誰かが言うのが聞こえた。耳を塞ぎたかった。思い出したくない、今日は卒業式だった。
ずっと前からこの日が来ることはわかっていた。留年しようか、なんてことは何度も考えた。でも私はそんなことをする勇気もなくこの日を迎えてしまった。
式が終わると私は教室にいた。足が勝手にここに向かっていたから。自分の席に座って、外から聞こえる賑やかな声を聞いていた。
式はあっと言う間に終わってしまった。先生がみんな泣いていたのが何だかおかしくて、笑ってしまった。私は泣かなかった。何故か涙が出なくて。
今は中庭で卒業生や他学年、先生が集まっている。私もそこにいるべきなのだろうが、そういう気持ちになれなかった。同級生は未来への希望に満ちていて、他の学年はそういう六年生を見て顔を輝かして、先生は卒業生へエールを送る。私はその輪の中に入っていって、皆のように振る舞える自信がなかった。私にはできない。うるさくて元気な七松先輩になれない。後輩たちにはそういう私を見せたくない。私はいつもの先輩のままで卒業したいんだ。
一際大きい笑い声が聞こえた。皆、学園と決別できているからあの場所にいられるんだ。なんで私には、それができない。
気配を感じて視線を移した。こんな大人しくしている私を見られるのは嫌だと思っても、今はスイッチが入らなかった。でもその心配はいらなかったようだ。よく知っている人が教室に入ってきた。
「ご卒業、おめでとうございます」
「滝夜叉丸、」
滝夜叉丸は笑顔だった。他の皆みたいに。その笑顔を私はまっすぐに見れなくて、視線を逸らした。そうだ、私には滝夜叉丸に言わなければならないことがあった。沢山、あるんだ。
「…ごめんな」
「え?」
自分でも驚いた。滝夜叉丸に言わなければならないことはこんなことじゃないだろ。委員会のこと、後輩のこと。でもそういうことは全て頭の中から消えてしまって、口から出たのは言うつもりのなかったことだった。
「…ごめんな、滝夜叉丸」
私は、卒業してしまう。
その一言は言えなかった。
目頭が熱くなって、目の前の滝夜叉丸が霞む。私は泣いていた。
「本当に、留年すればよかったと思ってる…」
滝夜叉丸がどんな表情をしているかなんて構わず、私は子供のようなことを言っている。でも今まで我慢していて溢れてしまった思いは止まらない。
「もう滝夜叉丸と一緒にこの学園にいられないなんて、私は嫌なんだ」
「この六年間、毎日が楽しくて」
「滝夜叉丸を好きになってからは、もっと楽しくなった」
「つらいことも、悲しいことも沢山あったけど、滝夜叉丸がいたから」
「思い出になった。色々な思い出ができた」
「そういう学園にもう、生徒としていられない」
「もう、この制服も、着れないんだ」
「私はこの学園が好きで、滝夜叉丸も好きで、」
「もう一緒にこの学園にいられないなんて、嫌だ…」
式の途中には涙なんて全く出なかったのに、今は涙を自分で止められない。いつの間にか滝夜叉丸にすがりついて泣いている自分が情けなかった。
学園に来たらすぐ会える。そんなことわかってる。でも、この学園で、この学園の制服を着て、この学園の生徒として、滝夜叉丸と会えることはもうない。楽しかったこと、嬉しかったこと、つらかったこと、悲しかったことが全部詰まったこの学園で。滝夜叉丸に初めて会った時のこと、好きになった時の気持ち、悩んだこと全て鮮明に思い出せるのに、昔話に変わってしまう。滝夜叉丸に告白したこの教室、初めてキスをした木陰も、全てセピア色の場所になってしまう。
もう一生この学園生活には、戻れない。そういうのが酷く悲しくて、涙が止まらない。この学園で生きてきた今を、綺麗な思い出として私は終わらせたくなかった。
目の前にないと不安になるものが私には多すぎた。変わらないのに、私には不確かなものに見えていたから。
ただ一つ確かなことは、私は今日この学園を卒業した。滝夜叉丸を残して。