(雑渡さんが死んじゃった)
雑渡さんが死んだ。あまりにもあっけなく。夏が終わり、涼しく過ごしやすくなったある日に、僕はそれを知った。
僕が忍術学園を卒業してからもう半年。忍者に向いていないと言われていた僕も六年間皆が嫌がる保健委員をやり遂げたおかげか、ちゃんと就職できた。しかし、僕がこの半年で学んだことは上手く仕事をサボることだけだった。川辺でしゃがんで雑草を引き抜いていても誰も注意してこない。
「はぁ…」
このままではいけないと、わかってはいるが僕は何もやる気が起きない。虚無感は僕を残していなくなった雑渡さんのせい。
雑渡さんの死は、雑渡さんの部下の諸泉さんから聞いた。僕はそれを受け入れられなかった。僕は雑渡さんが死んだのを見たわけでもないから、雑渡さんの趣味の悪い悪戯だと思った。からからないで下さい、と笑って諸泉さんに言ったときの彼の目は真剣で、表情はとても悲しそうなやるせなさそうな、そんなものだった。絶対に冗談じゃないと思えるはずなのに僕にはそれができなかった。
僕は雑渡さんが生きていると思って、傷ついた雑渡さんが僕に会いにくると思って、ずっと待っていた。必ず、ひょっこり現れて手当てをしてほしいんだと笑いながら僕に会いに来るはずだと信じていた。
しかし待てども待てども、雑渡さんは僕に会いに来なかった。秋から冬に季節が変わる頃に、ようやく僕はそれを辞めた。僕はやっと雑渡さんが死んだことを理解した。
よく人が死んだばかりはそれを受け入れられないと言うけど、それは死が急に来るからじゃないだろうか。こちらの心の準備をしないうちに目の前からすっかりいなくなってしまうから。雑渡さんは本当にすっかり僕の前からいなくなってしまった。雑渡さんと僕の最後の会話を僕は覚えていない。雑渡さんは僕に何も言い残すことなく、いなくなった。化けてでもでてこいよ、と何度思っただろうか。僕を愛していたんならそれくらいしろよ、と何度強がっただろうか。それもただ虚しいだけで、僕の心は満たされなかった。
「ぐす」
雑渡さんが死んで一年も経ってるのに、僕は泣くわけにはいかない。もう雑渡さんの死も受け入れられたし。心の整理もできたし。でも、泣いてはいけないと思えば思うほど、涙は止まってくれなかった。
僕はただ、もう少し雑渡さんがいなくなったことを悲しみたかっただけ。僕は雑渡さんが死んだことを誰にも言えないまま、卒業してしまったから。僕は全くといっていい程泣いていないし、悲しんでいない。そのツケが今回ってきた。一人でいる時、ふと寂しさが込み上げてきて、胸が締め付けられる。痛くて、苦しくても誰も僕の気持ちを汲んではくれない。
「うっ…」
雑渡さんが生きた人生も時間も、死んだらそれで全てなくなってしまうような気がした。だから僕のことを好きだと言ってくれた人がいなかったことになるんじゃないか、と怖かった。だってそれを証明してくれるのは雑渡さんしかいないから。
僕はいつの間にか本気で泣いていた。だからだろう、近づく気配に全く気付かなかった。
「君、サボっちゃだめだよ」
「え…?」
最初は同僚かと思い焦った。でもこの声は僕の耳に焼き付いて離れない、
「久しぶり、伊作君」
「ざっ、とさん…」
そこにいたのは最後に会った時から、声も背の高さも笑顔も変わらない雑渡さんだった。言いたいことは沢山あるはずなのに、言葉は全く出てこない。僕は口を開けたまま雑渡さんの顔を見つめていた。長い沈黙の後、雑渡さんはようやく口を開く。
「君は変わらないな」
目を細めながらそんなことを言い、雑渡さんは僕に触れようとする。僕はその手を振り払う。長い沈黙は僕にある感情を思い出させた。
「バカ野郎っ」
僕の目の前に飄々として表れた雑渡さんに僕は怒っていた。でもどんなに豊富な罵る言葉も今は出ず、僕にはそんなことしか言えない。
「許してくれないか…?」
「っ…う」
困ったような、笑顔。僕がその表情に弱いことを知っていて、雑渡さんは僕に問うているんだ。絶対に許さないと思っていても、それはとても弱い決心だった。
「許してほしかったら、僕を抱きしめろ!」
本当は、本当は自分から雑渡さんを抱きしめたい。それをしないのは、僕がどれだけ苦しくて寂しい思いをしたのかわかってほしいから。早く僕に触れて欲しいと、本当はそう思ってる。
雑渡さんは僕が望む通り、優しく僕を抱きしめた。髪を撫でる手も優しく、懐かしいものだった。もう怒っていたこともどうでもいい。今は何故か切なくて、とても雑渡さんが愛しい。
僕は何をされても雑渡さんを許してしまう。今までもそうだった。僕は雑渡さんのことがまだ本当に好きで、忘れられなかった。
「すまなかった、」
そう耳元で囁く声は一年前と変わっていない。忘れる訳ない、雑渡さんの声。
「会いたくて、仕方なかったんです」
僕を抱きしめる雑渡さんの腕に力がこもり、雑渡さんの匂いがふわりと鼻に入ってくる。ああ、これも一年前から変わっていない。それに包まれたくて、僕は目を閉じた。