(つぎの番)


雪。今の僕には白い世界と、白いその中で動く二つの赤い点だけが。それは警戒するようにキョロキョロと回りを見渡す。
僕が放った苦無はその赤い点を潰した。点だったそれは拡がり、真っ白な雪を赤く汚す。
可哀想だなんて思わなくなってしまった。それは傷付いたあの人の糧に。
何度繰り返したことだろうか。あの人が何事もなかったように僕に笑いかけてくれる、そんな幻想にとらわれるのと、共に。




「伊作君…」

弱々しい声が僕を呼ぶ。雑渡さんが横たわって僕を見上げている。何度も見た現実。

「兎、です。すぐ食べられるように…」
「…私は生きているものの命を奪えるほど、もう生きられないよ。」

それも何度も聞いた。それは雑渡さんの口から出る度に僕の心を蝕んでゆく。

「苦しいんだ…私が。伊作君もだろう」

雑渡さんは段々と弱ってきている。雑渡さんは、このまま生きていてもどうせ死んでしまうだろうと言った。それなら、今、苦しみを少ないように、僕にと。僕にもわかっている。雑渡さんはもう前みたいには戻れない。僕と一緒には生きていけない。かなり前から包帯は雑渡さんの傷を隠しきれなくなっていた。抱きしめても次第に感じられなくなる体温。気付いても何も言えなかった。
渇いた、大きな手が僕の頬に触れる。優しい手。しかし、僕はもう雑渡さんの目を見て雑渡さんと話せなくなっていた。涙が邪魔で、話せない。今まで、泣けば世界の方が優しく変わったのは子供だったから。今はどんなに泣いても世界は変わってくれない。雑渡さんは変わってくれない。ただ優しく僕に大きな手で触れてくれるだけ。その手さえも、もう消えそうに弱々しく。そんな雑渡さんを見て感じるのは絶望のみ。僕はずっと泣いている。涙は渇れることはない、そんなこと知りたくなかった。
僕の頬を包む雑渡さんの手が僕の涙で濡れてゆく。

「私は、色々なものの命を奪ってきた、」

「その中にまだ生きるべきだったものがあるかもしれない。」

「…その兎はまだ生きるべきだったものだ」

「でも私はそうじゃない。」

「つぎが私なだけだ。つぎは私が殺される番」

「伊作君…その兎のように、」

沈黙、そして嗚咽。頬に添えられた手に触れる勇気は僕にはない。それもまた何度と繰り返したこと。
雑渡さんは僕を責めないから。雑渡さんの苦しみは、雑渡さんを殺せない僕の甘えと比例して大きくなる。
雑渡さんを殺さないのは結局は自分のため。自分を苦しませないため。一番苦しむのは雑渡さんを殺した後の僕だとわかっている。
泣くのは誤魔化し。嫌なことを先に延ばそうとする僕の、悪い癖。



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