小説 | ナノ

  視線から俺を溶かして


 ベルナルド誕生日当日。この日も普通に俺達は、やらなきゃなんねえ書類仕事やら会合やらがあり、本部に顔を出していた。誕生日だからって仕事の虫になるの辞められねえって、ホントマフィアって仕事は窮屈ヨネ。俺は同じ部屋で書類と格闘しているベルナルドをこっそり盗み見る。丁度部下は皆休憩中で、一人ベルナルドは電話で誰かさんと話しながら忙しなく書類に目を通していた。今日は、夕方には終わりそうだからいつものリストランテ予約してあるケド、今日は仕事漬けになりそうだなあ…。今年は俺がプレゼントのリクエストするから待ってて、なんてアイツが言うから了承しちまったけど…大丈夫かね。もう誕生日始まってるのに、何も言って来ねえし…リクエストって何なんだよ…?
「ジャン」
 そんな事を考えていると、ふいにベルナルドの声が掛かる。そっちを振り向くと、いつの間にか電話も終わっていたらしいベルナルドが、ニヤけた顔で頬杖をつき俺を見ていた。
「ン?なにかね」
「リクエスト、したいんだが。お願い出来るかい?」
 てっきり夜にでもあんな事やこんな事をされちまうのかなーと考えていた俺は、意表を突かれて驚く。
「え、い、今ーーーかよ」
「今、というか今からーーかな」
 今から?それって長いことなんかやらされるってことだよな…。うう、嫌な予感しかしねえ…。
「な、何すりゃいいんだよう……」
「うん、ーーー今日1日は俺だけを見てて欲しいんだ」
 恐る恐る問うと、ベルナルドはそう言って笑う。
「あ?何よソレ」
 俺がダーリンを見てないとでも?
 ベルナルドの言い方に俺はちょっとムッとした。そんな俺の雰囲気が伝わったのか、ベルナルドが慌てて弁解する。
「あ、いやーー俺を見てくれてない、って言ってる訳じゃない。お前はカポだしーー…その、……アイツらとも、他の奴らとも付き合いがあるだろ」
 ベルナルドの言っているアイツらはベルナルドの部下の事で、俺の可愛い幹部どもの事だとなんとなく分かった。ベルナルドの言いたい事が飲み込めてきたような気がする。
「だから今日一日は、お前の視線を独占したいんだ。俺だけを見ていて欲しいーーー駄目かい?」
 照れ臭そうな顔でそんな事を抜かすこの男に、誰がノ、と言えようか。俺がいつも違う奴に視線を送って、話してたりするのを見て、良く思ってなかったりしたんだろ…ダーリンの事だから。ダメだ、こんなんで嬉しいなんて思っちまう俺、大分やられてる。
「だ、ダメじゃねえ…けどよう…。仕事中なのに無理あるだろ」
 ベルナルドにしか視線送っちゃいけねえとか。仕事中だから、帰ってきたベルナルドの部下に仕事を頼む事だって出てくるはずだ。
「それなら大丈夫。ジャンなら、なんとか上手く切り抜けられるさ」
 なんじゃそりゃ。しれっとそう言うベルナルドに根負けして、俺ははあ、と一つため息をつく。
「……ん、しょうがねえな。……誕生日だから我儘くらい聞いてやるよ」
「それでこそ、俺のハニー。今日一日楽しみだな」
 そう言ってベルナルドはにやにやと、悪戯顔で笑った。ったく、面白がりやがって……。俺はこれから大変だろう1日を予感して、小さくため息をついた。
「もー良いから、仕事さっさと終わらせちまおうぜ……。予約に間に合わなくなっちまう」
 ペンを取り書類に向き直ると、横からベルナルドの楽しそうな声が聞こえてくる。いつにも増して浮かれてんな、ダーリン。ま……誕生日だしたまにはいいケド。
「大丈夫だよ。もし終わらなくても、俺の優秀な部下達が引き継いでくれるさ」
「んーーそういうの、カポ良くないと思うの」
 押し付けられちゃうベルナルドの部下も可哀想だし。やっぱ、俺達がやらなきゃいけねえ仕事はやらねえとなって思うだろ?そんな俺に、ベルナルドはきょとんとした顔をした後、何が面白いのかクスクスと笑った。
「フフーーーなら、もうひと頑張りしようか」
「ン」
 そういうなり、俺達は再び書類の山に向かう。それから数分後。
「ーーー戻りました、コマンダンテ」
 突然。
 執務室の扉が開いて、休憩に行っていたザネリとジョバンニが戻ってきた。ついクセで、そっちに振り向いちまいそうになる。奴らが視界に入る寸でのところで、ハッとした俺は慌てて机に向き直りベルナルドの方を見やった。
 ーーーあ、ッぶねえええ………!
「フーーああ。おかえり」
 ベルナルドはそんな俺をじっ、と見ていて、視線がかちあうと一瞬ーー眼鏡の奥の目が悪戯っ子の様に煌く。そしてその視線は直ぐに部下達に移った。今腹の中で笑ったの気づいてんだぞこの……。なんだってこんな……ああもう、調子狂う!
「ジョバンニ。この書類を頼む」
「はい」
 二人が会話している声が横から聞こえてくる。俺は必死に、目の前の書類に集中しようとした。にしても、さっきはヤバかったな……思わず見ちまうとこだった。このままじゃ、夜まで保てる自身ねえよ……。でも、他の奴見ちまったりしたら後でベルナルドにどんなお仕置きされるか分かんねえし気をつけねえと……。マジで意識してないと、うっかりしちまいそうだ。
 もんもんと複雑な心境の俺を他所に、ベルナルドと部下2人は何事も無かった顔で着実に仕事を進める。そうなれば、俺も渋々書類に向かわざるを得ない。
「後、隊長。これは、カポにサインを?」
「ああ、そうだなーーそのように」
 そんな会話が聞こえてきて、思わずぎくり、と手が止まる。
 ーーーまさか………。
 心臓がどくどく、と嫌な音を立てた。少し間があってから、質の良い絨毯の上を歩く足音が俺に近づいてくる。ジョバンニだ。
 ーーーまずい、非常に不味い。ジョバンニが俺に話しかけてきて、俺がずっと書類に向いてたら明らかに変に見えるだろ……。休憩前までは、フツーに会話しちまってるし。
「すみません、カポ」
 足音が俺の机の前で止まり、ジョバンニの声が聞こえてきた。うう、どーすんだよ……!アタマの中で必死に言い訳を探す。
「ーーーカポ?」
 こっちを見ないことに不思議に思ったのか、何も言わない俺に違和感を覚えたのか知らないが、心配そうなジョバンニが再度話しかけてくる。
 ーーーもう、どうにでもなっちまえ……!
 頭の片隅に浮かんだ小さい言い訳を、そのまま吐き出した。
「ーーースマン。さっき、首痛めちまってそっち向けねえんだ。そこに置いておいてくれるか」
「えっ、それはーー氷水をお持ちしましょうか?」
 少し驚いた様子のジョバンニの声が、上から降ってくる。そりゃそうだ、数分前まではピンピンしてたんだからな。直ぐに優秀すぎる部下は、そんな提案を持ちかけてくるが、俺は全力で拒否した。
「ああ、イイって!大丈夫だ!そんな痛くねえから!」
 い、言えねえ……お前の隊長にされたオネガイの所為でそっち向けねえ、なんて……。
「そ、そうですかーーーではここに置いておきます。ここにサインのち隊長の方にーー」
「ン、ありがとな!」
 手だけひらり、と上へ向け振ると、空気を読むのが巧いジョバンニはさっさと引き下がり仕事に戻っていった。
 た、助かった……。肺に溜まっていた息をはあ、と吐く。ああいう引き下がりの良さは流石、優秀なベルナルドの部下だ。ボーダーラインが良く分かってるよなあ……ボーナスあげちゃおうカシラ。
「ったく………」
 あれもこれも、こんな事言いやがった全部ベルナルドの所為だ。今更ながら、安易に願いなんか聞くんじゃなかったぜ。
「はあ………」
 ため息をつき、またベルナルドの方に視線を向けるとーーまた、視線がかち合った。そして、さっきと同じようにすぐ逸らされる。ーーー見てんじゃねえよ、くそう……。
 ーーーあ、そうか……。
 ベルナルドの視線に、俺は唐突に気づく。
 俺が他の奴を見てないか知るには、ベルナルドは俺を見なきゃなんねーもんな。
 ん、アレ……?なんか、ソレって……。
 ーーーベルナルドも俺しか見てねえってことじゃ、ねえの……?
「……ッ」
 頬にチリチリとした視線を感じる。ベルナルドが俺を見てる。途端に、身体中の血が体内を駆け巡って顔が熱くなった。
 ーーーもしかして、いつもこうだったりしたのか?俺が気づいてなかっただけで、ベルナルドは前からよく俺を見てたのか?俺が誰と喋ってる時もーーー
「…………」
 どんどん顔が赤くなってきて、嫌な汗がダラダラ垂れる。
 ーーーあークソ、俺今絶対変な顔になってる……。
 視線に気づいているのに、俺はベルナルドの方を向けなかった。
「集中しろよ、俺………」
 さっきから、ベルナルドの事しか考えてねえぞ…。
 ーーー視線が痛い。
 ジリジリと焼け付くような視線が俺を上から下まで舐め回してーーーベルナルドが見つめる部分からじくじくと熱が溢れてくる。アップルグリーンのあの瞳が俺だけを見ているーーーそう気づいたら、ゾクゾクと得体の知れない衝撃が俺を駆け巡った。見られてるだけなのに、犯されてるみてえーーー
「ヤベえ……、クセになりそ」
 口から小さくボソリとそんな声が漏れ出て、慌てて口を手で塞ぐ。恥ずい。
 ーーああ、何言ってんだよ俺は……。あのえろオヤジに頭洗脳されたかな。
「あっ……」
 まさかベルナルド、この優越感っていうか、快感を味わいたかったのか?だから俺に……?いやいや、だとしたらベルナルドは相当な変態だよ……あ、そういやーオジちゃんは変態さんでした。忘れてた。
 なんとなくベルナルドの気持ちが分かった気がして、俺は果てし無く居た堪れなくなったのだった。
「はあ………」
 ため息が口から漏れ出る。夜まで乗り切れる気がしねえ。
 ーーー頼むから今日一日だけは、なるべく
 誰も話しかけてくれんなよな……!
 何処にいるとも知らねえ神様に、そう心からオネガイして俺は書類にペンを走らせたのだった。
 ーーーが。
「よう、やってるかー?」
 ガチャリという物音と共に、またもや災難がやってきてしまった。今度はそっちを向かないで済んで一先ずホッとする。
「やあ、ルキーノ。その顔は収穫があったようだね」
 ルキーノ……!?ベルナルドに報告来たのか。さっさと俺のことはスルーして行けば良いけど…。
「ああ当然だ、俺を誰だと思ってる。報告はこれにーーー見ておいてくれ」
「分かった」
 ベルナルドとルキーノが喋っている声が聞こえてくる。俺はなんとなくそれに耳を傾けた。
「ああ、そういえばーーBoun Compleanno、ベルナルド。来年でお前、ついに大台に乗っちまうなー?今から来年が楽しみだぜ。盛大にパーティでも開くか?」
「オイオイ、勘弁してくれよルキーノ…。ただでさえ自分の歳に凹んでいるんだ、パーティなんか開いた日には死にたくなる」
「ハハ、冗談だ。そうだ、丁度特上のワインが俺のとこにあるんだーーー祝いにそれやるよ。部下に運ばせる」
「それはありがたいな。遠慮なく頂くよ」
 会話が気になって、ついチラ、と2人の方を盗み見る。ルキーノの大きな背中と、執務机を挟んだ奥にあるベルナルドの笑みが見えた。
 ーーベルナルド……楽しそうだな…。
 それだけなのに、心がざわつく。もやもやとしたものが、感情を占める。
「…………」
 ……なんだよ。俺にはあんなお願いしといて、自分は他の奴見てんじゃねえか……。ーーーって、何考えてんだ俺…。あんなの只の会話だし…いつもの事だってのに。慌てて思考を振り去った。
「そういえば、この間の件だがーーー」
 思い出したように仕事モードに戻ったベルナルドが、ルキーノになにやら話してる。そんなベルナルドに俺はじっと視線を流した。
 邪魔だったのか、髪を掻き揚げる仕草したベルナルドにハッとする。緩くウェーブの掛かった髪がふわりと揺れ、色の白い耳が露わになった。それだけなのに、俺はドキ、と心臓が高鳴る。
 今更だけどーーーベルナルドって、良い男だよな。軍隊に入ってたから、ルキーノ程じゃねえけど身体もしっかり筋肉ついてるし……。ふとしたときに見せる表情なんか、妙な色香があってそのマスクでレディを惹きつけたのなんか、そりゃあ有り余る。手に負えない変態でムッツリだけど、俺にどんだけ新しい扉開かせるんだってぐらいテクニシャンですし。組織の忠義者でダメオヤジっぷりを発揮するときもあるケド、やるときはやってくれちゃう俺のダーリン。考えれば考えるほど、俺は頭からつま先までベルナルドに溺れてるって事思い知らされる。
 ーーー結局、翻弄されてるのは俺の方か。
「ッ、」
 ため息をつきそうになると同時に、ベルナルドにみとれてた事実に気がついて恥ずかしくて居た堪れなくなる。ーーーダメだ。仕事しなきゃいけねえって分かってるのに、ベルナルドの所為で全然進まねえ。視線を書類に向けたのに、文字の羅刹がまるでアタマに入って来なかった。あーもう、なにやってんだよ〜〜俺……。
「分かった。じゃ、俺は戻るぜーーー表で部下が待ってる」
「ああ、宜しく頼んだよルキーノ」
 俺が独りでぐるぐるしている内に、ベルナルドはルキーノと丁度話が終わったらしい。執務机から踵を返して部屋を去ろうと進む、ピッカピカのイタリア製の革靴が視界の端に見えた。俺の横を通っただろうルキーノは、俺に何を言うでもなく扉を開けると部屋を出て行く。バタン、と扉が閉まる音が耳に入ると共に、口から一気にはああ、と安堵の息が漏れた。
 なんか知らんが、た、助かったーーー流石百戦錬磨の伊達男だぜ……。
「ーージャン。さっきの書類、出来てるか?」
「う、えッ!?」
 ホッとしたのもつかの間、今度はベルナルドが俺を呼ぶ。突然の呼びかけに俺はあからさまに動揺した。やべ、俺完全に挙動不振になっちまってる…。と、後悔するも時すでに遅し。ベルナルドはそんな俺を見て、イヴァンをからかっている時の様な実に楽しそうな顔でくす、と笑いやがった。
 ーーークソ、これもあれも全部、どうせアンタの計算通りなんだろ……ああ、タチ悪ぃ。
「ん?」
「ーーはあ……。……ほら、コレだろ」
 じと、とした俺の視線にあからさまに惚けるこの男に、分かりやすくため息ひとつついてやる。俺はさっきなんとかサインし終えた、さっきジョバンニに渡された書類を引っ張り出すと、椅子から立ち上がった。
「ああ、それだ」
 ベルナルドの座っている席まで数歩歩いて、書類を差し出す。
「ーー助かるよ」
 そう言って、書類を受け取ろうとするベルナルドの指先が俺の指に触れた。そのままつう、とベルナルドの指先が俺の指先から根元までゆっくりと辿る。
「ーーッ、!」
 ーーーコイツ……!
 予想だにしない行動に、思わずびく、と手が震えちまったが、慌てて好きな様にされている指をバッと離した。
「ベルナルド………」
 仕事中だぞ。何すんだ、と抗議の眼を奴に向けると、ベルナルドはまた余裕の笑みを浮かべて何事も無かったかの様に書類に視線を移した。
 俺、完っ全に遊ばれてんじゃねえか……。こっちは必死で、アンタのオネガイとやらを聞いてるってのに…肝心の主役はコレだもんな。ああ、なんかこれだけなのにドッと疲れちまったよ。自分の机に戻ったは良いものの、到底続きをやる気力なんかもう残っていなくて俺は小さく溜息をついた。ちょっと息抜きするか。
「悪い、ちょっと休憩に厨房行ってくる」
「はい、お気をつけて」
「了解です、カポ」
 近くにいたジョバンニとザネリにそう告げると、不思議そうにこっちを見ているベルナルドを余所に俺はさっさと席を立ち部屋を出た。
「ーーーふう」
 静まり返った廊下を歩きながら、小さく息を吐く。あーあ……ベルナルドの誕生日祝いとはいえ、これはちょっと大変だ。あのオジちゃんって、もう若くねえ癖にこういう妙なプレイしたがるトコあるからなあ…。ったく、……ま、喜んでくれてんだったら良いケド。
 ーーーなーんて思っちまう辺り、ホント俺も大概だよ。
「コックは居るかしらね?」
 長い廊下を歩き厨房に着くと、こっそり中を覗いてみる。何故が知らないが、コック達はおろか人っ子ひとり居なかった。休憩か?
「ま、いいか。ラッキー」
 もうそろそろ昼だ。今のうちに、なんかしらテキトーなモンこさえて忙しく働いてる彼奴らに持ってってやるか。確か、バケットがあった筈だから……それに新鮮なトマトと水々しい野菜を挟んでやって……後は、ンー……スープでも作るか?ミネストローネなんか良いかもな。どうせベルナルドと俺は夜たっぷり食うから、軽めの方が良いしな。   あー…肉あったかな。
 頭の中で作る料理を描きつつ、いつ見てもデカイと思う冷蔵庫を開ける。
「………ふむ」
 流石本部のキッチン。大抵のモンは揃ってるな。それに、整理整頓もされてる。これもいつも思うケド、ウチには出来るコックが揃ってて有り難いわ。
 ンー………。先ずは食材出して……野菜から…えーっと……。
「ーーージャ、ンッ」
「ッ、おわあッ!?」
 ーーーッ!?
 突然。背後から声と共に、長い両腕が俺を包み込んで来た。慌てて頭だけ動かして振り向くと、ベルナルドが悪戯が成功した子供みたいな顔で笑っていた。
「べ、ベルナルド……!なんだ驚かせんなよ……!」
 綺麗なアップルグリーンの瞳が俺を見つめていて、身体から一気に力が抜ける。
「ーーーフフ、そんなに驚いたかい?」
「そりゃ、イキナリ背後に立たれたら誰でも驚くって……。つーか、アンタ何で此処に来てるんだよ…腹減ったのか?」
 呆れつつも、背中から伝わる体温にホッとしてベルナルドに背中からもたれかかった。
「ああ……まあ、ね」
 言いながらベルナルドの手が、目の前の冷蔵庫をぱたりと閉め、その腕が俺の身体に絡みつく。
「……って、オイ。なんで閉めーーー」
 せっかくこれから昼飯作ってやろうと思ったのに、と身体ごとベルナルドの方へ振り向き抗議の眼を向けたと同時に、目の前に影が落ちた。あまりに近い位置にベルナルドの顔があって驚きに眼を見開くと、唇に暖かくて柔らかな感触が伝わってくる。
「っ、!?」
 かつん、と頬に眼鏡が当たったのも他所に、ベルナルドの熱い舌がぬるり、と俺の口内に進入してきた。
 ーーーッ、コイツ……うう…!
「ン、うう……、ンッ!」
 あまりに突然の行動に息苦しくなって、俺は何とか離そうと試みる。ベルナルドの身体を腕で押したりしてもがくと、その両手を捉えられて、すぐ後ろにあった冷蔵庫に押し付けられた。冷蔵庫を背に、作られたベルナルドの囲いの中から抜け出せなくなる。
「ンッ!んんッ、く、う……ン……っ」
 ーーーンのやろ……何でイキナリ、スイッチ入ってんだよ……!
「……ふ、…ン、は……っ、ぁ……」
「……ン……ッ……」
 思うさま口内を蹂躙されて、口の端からたらり、と涎が垂れた。熱く柔らかい舌が合わさってぬるりとなぞられると、背骨にビリッとした刺激が伝わってふわふわした気分になってくる。
「んぁ、……う、う、ン……、ん」
 ーーーや、……べえ……。
 そのまま、ちゅる、と舐めたり吸われたりすると、段々身体の力が入らなくなってきた。眼鏡の奥のーー熱っぽいベルナルドのアップルグリーンの瞳が、ゆらりと揺れて俺を見つめる。
「ッや………」
 俺に欲情してるその眼に、俺はとことん弱い。……ああ、もう。これだからなあ。
 ーーークソ……ッ……。
 それ以上何も言えなくなって、言いたい事は言葉とともにキスに飲み込まれた。
「……っ、ん……、く、ふ……っ」
 キスをされながら、ベルナルドの手が押し付けていた俺の手を取り、きゅ、と指を絡ませる。
「…ふ、……じゃ、ン………」
 ほんの少し離れる合間に、ベルナルドが俺の名前を呼ぶ。甘くて頭から蕩けそうなキスに、身体がじん、とした痺れが走った。
 ーーう、……俺、キスの合間に名前呼ばれるの結構好きなんだよな……。
「ーーん、ん……、うン………」
「ッ……」
「……ふぁ、っ、……は、うっーーー」
 長い長いキスの後、漸くベルナルドが唇を離した。俺とベルナルドの間に白銀の糸がつう、と伝って消える。ベルナルドのテクニック溢れた深いキスに俺は呆気なく陥落し、情けなくも足が震えて腰が抜けちまった。……くそう。
「ーーーっと」
 ベルナルドが手を離すと、ずるり、と冷蔵庫を滑り落ちる俺の腰をベルナルドが慌てて支える。
「腰、抜けた?」
「ふっ、……うァ……ばっか、ぁ……。ここ、何処だと思ってンだよ、あほう……!」
 こんな、……コックがたまたま居なかったから良かったものの……、いつ誰が来るか分かんねえってのに!
 口の端に垂れた涎をゴシゴシ拭き取りつつ、ベルナルドを睨みつける。ーーあ
あッたく!さっきまで、頑張って働いてる可愛い部下共に、俺がせこせことメシ作ろうとしてた俺の健気な気持ちを返しやがれ!
「ーーーふ、ごめん。なんだか、ジャンを見てたら今すぐ触りたくなった」
 と、思うまま怒りを発散させてやろうかと口を開く前に、発せられたベルナルドの一言にそんな気持ちも飲み込まれた。………っなんだよそれ。ホントにしょーがないえろえろオヤジだな……、いや何嬉しいとか思っちゃってんの俺。
「………、どうせアタフタしてる俺を見て楽しんでたんだろ」
 ベルナルドのお願いとやらを聞いて早数時間経ったか経たないか。今日一日俺を見る度ににやにやしていたベルナルドの顔が、頭に思い出される。変にむくれた気分になってそういうと、何故かベルナルドがフハハ、とまた笑った。
「まあ、それもあるがーーー今日、ジャンがずっと俺を見ていてくれたからかな」
 いつもこうはいかないよ、と続けるベルナルドに言葉に詰まる。さっき執務室に居た時にベルナルドから感じたジリッとした視線を思い出す。俺だけ見てるベルナルドの視線ーーー俺もちょっと優越感、感じたちゃったりしてたし…、うう…人の事言えねえ……。
「それはヨカッタネ」
 俺は大変だっつのに。ふい、と視線を逸らしながら、口を尖らせる。それもこれも、ヘンな願いしたアンタのせいだ。
「それに、ずっと俺のことを考えてくれていたんだろう?ーー凄く、嬉しかった」
 ベルナルドが嬉しそうに笑って、それからゆっくりと目を伏せる。そのベルナルドの言葉に、俺はぎくり、とつい身を強張らせた。
「なっ、なんで……。……ンなこと、分かるんだよ……?」
 やっぱ見られてたんだよな…?執務室に居た時、俺は本当にベルナルドのことばっか考えてた。それを見透かされていたことに、内心ドキドキとベルナルドの方を伺う。ベルナルドは、爽やかに良い顔をして笑みを浮かべた後、さも当然のように言葉を発した。
「フハハ。ジャンのことなら、すぐに分かるさーーー優しいハニーを持って、俺は幸せ者だな」
 ……ナニ言ってんだか、このおじちゃんは。本当しょーがねえの……。ベルナルドの言葉にこっぱずかしい気分になりつつも、ちらっと上目遣いでベルナルドを見やる。
「………あたりまえダロ?アンタのハニーだぞ」
 そう言うと、ベルナルドはハハ、と破顔した。あーあ、顔デレデレに緩み切ってら。しょうがねえな、なんていつも思うけど、俺も大概顔が緩んじまってるのかも。こんな風にアンタが幸せそうに笑ってくれれば、俺もどうしようもなく幸せで、あー、コイツが好きなんだなあ……なんて思ったなんてのはヒミツだ。
「フフ……ああ。そうだね。そんな優しい俺の最高のハニーに、もう一度キスしても?」
「………ン。許す……」
 クス、と何方ともなく笑みが溢れる。俺はゆっくりと瞳を閉じ、ベルナルドのキスを受け入れた。
「ンう……、ん………っ」
「ふ、……ンッ」
 ちゅ、と何回か合わせるだけのキスをする。俺はベルナルドの首に腕を回した。これだけのキスでも、心は不思議と幸せな気持ちで満たされていた。ゆりかごの中にいるみたいに安心するし、気持ちイイ。やっぱり、ベルナルドはトクベツだ。
「ン、はぁ………ベルナルド…」
 唇を離して、ベルナルドの名前を呼ぶ。優しい光を灯したベルナルドの瞳が細まって、俺を捉えた。
「……うん?なんだい?」
「ーーー誕生日、おめでと」
 俺の言葉に蕩けそうな笑顔になった、ベルナルドは俺を引き寄せて腕の中に閉じ込めた。ふわり、とベルナルドの香水と質のいい葉巻の香りが鼻腔をくすぐる。
「フフ……ありがとな。ーーずっと……愛してるよ、ジャン。俺のジャンーーー………俺だけを見てて」
 麻薬のように陶酔しちまうベルナルドの低い声。耳元で小さく囁かれると、腰からゾク、と快楽が身体を駆け巡った。
「っ……ンなの、もうーーーっンぁ」
 と、言い終える前に、いつの間にか近づいていたベルナルドの顔が触れてーー唇に熱いキスが降りてきた。ぺろ、と唇を舐めて、油断していた俺の唇を割り入って口内に入ってくる。
「ふぁ、う………!」
 頭がどんどん、快楽に溶かされていく。いつになっても上手いベルナルドのキスに、どんどん溺れていって、頭がぼんやりしてきた。
「ーーっ、はあ、ジャン………」
 息継ぎする間に、ベルナルドが俺の名前を呼ぶ。腰に回っていた手がするりと下半身に回り、太ももをゆっくりと撫でた。
「ん、う……!」
 すすす、と手があらぬところに向かっている気がして、俺の脳にきらりと一瞬の理性が帰ってきてハッとする。
 ーーそだ、今ここ厨房じゃねえか……!?
「う、や、ちょっと待て……、ベルナルドッ……」
「ん?」
 慌てて唇を離しそう言うと、なんだい、とばかりにさも不思議そうな顔をして俺を見た。
「ど、どこ…触ってんだよう………。良い加減に仕事しねえと……っ」
「え?ーーフフ、そうだね?」
 ふい、と辺りを気にしながらそういうと、今気がついたというように腕時計をちら、と見たベルナルドはにこりと笑った。
 ーーえ、なんだよその笑み……。
「ん…、え、おい…?」
 ベルナルドがそんな爽やかに笑う時は、大抵ロクな事がねえ。背中に嫌な汗が流れるのを感じた。
「ーーじゃあ、早く終わらせなきゃね?」
「ッは、ぁ!?」
 ーーそ、そういう意味じゃねええええええええええええ………!!
「お、い……!ばか、やめ……っーーーぁう」
 ………さ、最悪だああ…………!
 さっきちょっと格好良いとか思った俺のピュアな気持ちを返せえ……!
 文句の一つも言うことも出来ないまま、そのまま俺はベルナルドの手の中で溺れるしかないのだった。



END


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