小説 | ナノ

  My Dog


 ジャンの様子がおかしい。
 今朝からもやもやと落ち着かないこの煩わしい感情のせいでロクに仕事に手がつかず、俺はイライラと葉巻を揉み消した。半分も吸っていない葉巻がべしゃりと灰皿に落ちる。
「はあ………」
 つい今朝のことを思い出し、つい口からため息が漏れた。ジャンは俺に会合やら書類やらの報告をしに、俺の執務室へ来た。ーーー帽子を目深に被って。
ジャンは普段あまり帽子は被らない筈だが?俺は当然ジャンに、それをどうしたのか聞いた。するとジャンは、『ンー……気分転換?』とだけ言うとさっさと報告を済ませて出て行ってしまった。ジャンをあまり知らない者なら普通だったと思うだろうが、俺には分かる。ジャンはあの時、一瞬だけ言葉に詰まった。そして、俺と一度だって目を合わせなかったんだ。ジャンは、俺に知られたくない何かがある、なんてことは容易に分かるだろう?
「はあ………」
 ジャンが俺に隠し事をしているのは分かってるんだ、ジャンは分かりやすいからな。ーーーだが、何を隠してる?
 それが分からず、俺はどっぷりと思考の海に浸かり込んでいた。
 仕事が手につかない。電話はかろうじて取ってはいるが、ペンがなかなか進んでいなかった。今日は特に重要な案件が無いのが、不幸中の幸いだな。隣で仕事をしている部下が、そんな俺を見て心配そうにちらちらと此方に視線を向けているのが分かる。仕事をしなくてはいけないことは、分かっているんだが。ジャンの事になると、存外余裕がないなーーー我ながら、情けない。……何故なのか、内心分かってはいるのだ。俺は、今が夢のように幸せだ。だから、ジャンを失うのが恐ろしい。こんな、なんでもないような違和感が堪らなく嫌な事を想像させる。いつかジャンが、俺から離れていってしまうのではないか、と。そうなれば俺はーーー
「はあ………」
 何度目か分からないため息が口から漏れ出る。こうなれば、俺も気分転換しようと席を立った。ぴくり、と部下が反応して俺を見る。
「すまない、少し休んで頭を切り替えてくる。後を頼んでもいいか?」
「はい、分かりました。お気をつけて」
 苦笑いを漏らしながらそう言えば、優秀すぎる俺の部下は少しホッとした表情で頷いた。すまないな、と肩を軽く叩くと、部屋を後にする。
 絨毯の敷かれた高級な廊下を進み、俺は本部の出入り口であるロビーへと向かった。ここにいれば、なんとなくジャンにあえるような気がしたからだ。ロビーに着くと、カウチがいくつか置かれているので、俺はそこの一つに腰を下ろした。ロビーにいる何人かの兵隊は驚いたように俺を見ている。俺の顔を知っているやつらだろう。ちらり、と扉の外に目をやると、エンジン音と共に丁度黒い車が本部の前に止まったところだった。じっと車から出てくる人物に意識を集中させると、兵隊の一人がサッと降りて来て仰々しくドアを開ける。そこからスラっとした足が見え、一人の男が出て来た。ーーーアレは…。
 誰か理解すると同時に、俺は腰を浮かせ入り口まで歩いていた。また帽子を被っていたが、太陽に照らされてキラキラと輝く金色の髪が見え隠れしているので、すぐ誰だか分かる。
「ジャン!」
 入ってきたところを声をかけると、ジャンはバッと顔を上げ驚いた顔をする。まさか本当に会えるとは。
「べ、ベルナルド……?どうしてこんなとこに居るんだ?」
「ちょっと気分転換にね。ジャンこそ、お偉方との話し合いは順調だったかい?」
「ああ、まあ、なーーー」
 いつものように話しかけるとジャンはへらりと作り笑いを浮かべ、指先でちょい、と帽子のツバを引き下げた。やっぱり、ジャン何か変だ。まだ視線もあまり合わせてくれない。俺はジャンに何かしたんだろうか。ただでさえ沈んでいた気分が更に降下していく気がした。
「悪い、ちょっとやんなきゃいけねえ書類あるからさ」
 ジャンはそう言うと、俺の脇をすり抜けてさっさと行ってしまおうとする。そんなに俺と話していたく無いのか。露骨なその行動に、ジャンが俺から離れて行ってしまうような錯覚に陥り、俺の中からどろりとした黒い物が溢れーーーその瞬間俺は咄嗟にジャンの腕を掴んでいた。ハッ、としたようにジャンが振り返る。俺は口を開かずに居られなかった。
「……ーーージャン、今すぐに話したいことがあるんだ。ちょっと来てくれないか?」
「ーーえ、あ……悪い、すぐやんなきゃいけねえ事あるし……」
 気まずそうに目を伏せ、なおも理由をつけて俺から逃げようとするジャンの態度にカッとなって気がつけば強引に腕を引いて歩いていた。
「すぐに済む。こっちだ」
 不思議そうに首を傾げるジャンの腕を引いて、俺はエレベーターに飛び乗り本部に備え付けのプライベートルームへと向かう。兵隊が何人か俺たちを訝しげに見て居たが、構っていられなかった。
「ーーお、い……ベルナルド…!いってえよ………」
 ジャンの声を無視して俺は足早に部屋に入ると、扉を閉めジャンの身体を壁に押しつけた。その両腕に俺の恋人を閉じ込める。
「ッ………、う」
 ジャンは驚いた表情で少し怯み、だがすぐに訳が分からない、という顔で口を開いた。
「な、なんだよう………、なんか変だぞ、ベルナルド」
「ーーー変なのはジャンの方だろう?この前から俺に何を、……隠してるんだい?」
 そう問い詰めると、ジャンはまた顔を強張らせ視線を逸らすと帽子のツバを引き下げる。
「な、なんでも、ねえよ……」
 それが嘘だ、ってことが俺に分からないとでも?ジャンは、 本当に分かり易い。しれっと嘘を付かれた事に更にムッとして、俺はジャンの顔を無理矢理此方へ向かせる。ジャンの蜂蜜色の瞳が、揺らぎながら俺を捉えた。
「ーーーー答えて、ジャン」
 ジャンから俺が絶望するような答えが出てくるのは怖かったが、知らないでこのまま居るにはもう手遅れな場面まで来ていた。ジャンは暫く沈黙を落とした後、その唇が躊躇いと共に動き出す。
「っ……た、大したことじゃねえし、アンタには知られたくねえんだよ………」
 隠してることは認めるのか。だが、俺に知られたくないと。心内にぶわりと哀しみが押し寄せ、どす黒い感情とごちゃ混ぜになりジャンを滅茶苦茶にしてやりたい衝動に駆られる。俺はどんな些細な事だろうが、ジャンの事なら全て知りたいというのに。ジャンがどう思おうと、全てを暴いてしまいたいというのは俺のエゴか?
「ーーーどうしても?」
 だが、秘密を見せられれば暴きたくなるのが人間の本能だろう。ジャンの事なら尚更だ。俺はつい、念押しのような言葉を吐いてしまう。
「っ………」
 ジャンは案の定言葉を詰まらせ、困ったという顔をすると観念したように小さく息を吐いた。そして、ずっと被っていた帽子に手をかけ、じと、とした目で俺を見る。
「………アンタのせいだかんな」
「え?」
 俺のせい?どういうことだ?
 聞き返すより先に、ジャンは被っていた黒い帽子をパッと取り床に投げ捨てた。ジャンの髪がふわりとはためき、その輝きに眼を奪われる。一瞬、何にもなさそうか、と不思議に思いそうになったが、すぐにその異変に気がつく。
「…え……」
 揺れる髪から、何かがちらりと覗く。なにか茶色くふわふわしたものが、ぴこんとたっている。良く見れば、それはぴくり、と動き、まるでーーー犬の耳の様な……。………。
……、…………。
 ……俺は夢でも見ているのか?
 あまりに予想外のことにフリーズしてしまった俺を見て、ジャンはだから言いたくなかったんだよ、とばかりに顔を歪めた。
「……え、っと……。ジャン………、随分クオリティの高いオモチャだね……?」
「ンなワケねーだろーが!朝確かめたけど、引っ張っても痛くて抜けねえの!多分血が通ってるし身体に繋がっちまってどうしようもねえんだよ!」
 今まで溜まってたストレスをぶつけるように、ジャンの怒りの声が飛んでくる。痛くて抜けないって事は本当に……?
 ゆっくりジャンの耳に触れてみると、ぱたりと跳ねてーーふわふわと正しく本物の犬の耳の様な柔らかい感触が掌に伝わってきた。
 ーーーこれは、リアルだな……。本物に、そっくり、というか……、正にそれか…。ジャンに犬耳……!?
 予想だにしない展開に、脳内で雷がビシャーンと落ちる。ジャンに目を落とすと、相当な辱めなのかうっすらと顔を赤くして不機嫌そうに眉間に皺を寄せていた。
 うっ、なんだいそれは……。
 怒ってても、犬耳がぴくぴく動いてーーーまるで、構ってくれなかったことに拗ねてる犬のようだ…。ーーう、……か、可愛いな……ジャン……。思わず撫でてしまいたくなるじゃないか……。
「そ、そうかーーーというか、どうしてこうなった?」
 思わず可愛さに抱きしめそうになるのを必死でぐっ、と堪えつつ、ジャンにそう問う。俺の言葉が気に障ったのか、ジャンは怒りにさらに顔を歪めキッ、と鋭い目で俺を睨み付けてきた。
「〜〜っ!だから、アンタの所為だって言ってんだろ!?……自分で身に覚えねえのかよ」
 言い終えてフン、とそっぽを向いてしまうジャンを見つめ、俺は心の中で過去を振り返る。
 ーー俺、何かジャンにしたか……?
 昨日は、ジャンとも普通に喋って仕事はしていたし……、夕方は仕事が速く終わったから、ジャンといつものリストランテでディナーを食べて……、その後はほろ酔い気分のままモーテルへ行ってジャンとの甘い時間を心行くまで堪能したが……。まさか、ディナーになにか……?ーーーいや、まさか。あのリストランテはいつも利用しているし、ボーイもコックも顔見知りだ。それに、頼んだのはいつものメニューだった。
 であれば、ジャンとのセックス中に俺が何かしたか……?ーーいや、それもない。何かを使う行為などしなかったし、オーソドックスなもので終わった筈だ。モーテルになにかあったわけでもないし、あの時のジャンに違和感などなかった。昨日でなければ一昨日か?俺はジャンに一体何をした?
 ーーー何だ………?
「…………」
 考えても、その要因が分からない。
 すっかり考え込んだ俺に、ジャンはあからさまにはあ、と一つため息をついた。
「ーーー夢」
「………え?」
 ぽつり、とジャンがそう呟いて、俺は思考をストップしてジャンを見る。
「ーーーアンタ、昨日夢見ただろ」
「……夢?」
 行き成り何の話だ?
 ジャンの言わんとすることが分からず、俺は首をかしげる。昨日はジャンとした後、ジャンの横で眠ったが、夢なんて見たか……?
 俺は頭の引き出しを探ってみるが、朝何も感じなかった程度には夢を見たという実感というか確認がなされていなかったように思う。分からないーーー俺は唸った。
「ーーーすまない、ジャン。一体なんのことだか……」
 全く把握していない俺に、ジャンはまたはあ、と大きなため息をひとつ吐くと、しょうがねえなという顔で口を尖らせる。
「ま、薄々憶えてねえんだろうと思ってたし?」
「ジ、ジャン………」
 今だ怒っている真っ最中の刺々しい一言が、なんだかグサリと突き刺さる。事情は知らないが、俺の所為らしいので気が重い。一体俺はジャンに何をしたんだ……。
「今日俺の夢に女神様が出てきたのよ」
「あ、ああ………?」
 行き成り、ぶっとんだ事のあらすじを話始めたジャンに、俺はとりあえず頷いて答える。
「ンで、こう言うの。『気分が乗ったから、夢の中でのアナタの恋人の願いを…ひとつ叶えてあげたわ。……ふふ、明日は楽しみなさい』ってな。えっ、て思って眼が醒めたら、この有様だったってワケだ」
「なっ、な……。え、まさか……そんなことが……」
 ようやく事の顛末を知った俺は、動揺しながらも必死にアタマを整理しようとした。  つ、つまりーー俺が夢の中でジャンが犬化しますように、とでも願ったからジャンがこの状況に陥ってしまったとそういう事か…?
 …………そんな馬鹿な。俺はそんな憶えないのにか…?
「最初はありえねーって俺も思ったけど、実際こうなっちまってるんだから…やっぱ、女神サマがアンタのオネガイを聞いたんだろ」
 そう言われて、ぐっと言葉に詰まる。確かに、ジャンの言っている事が真実なんだろう。ーー俺は本当に、ジャンが犬化するように願ったのか……?
 そもそも、ジャンがジャンであることに俺は一ミリたりとも不満を持ったことはないし、ましてやジャンが犬であればいいなんて思ったこともない。確かに、ジャンはラッキードッグというアダ名を持っているし、それなりに犬っぽいなと思わなくもないが。
それでも正気の俺ならば、もっと他の素敵なリクエストをしたに違いない。なにせ、ジャンにしたいこと、させたいことなんて山のようにあるのだから。ああ、ならば何故俺は、他の選択肢を選ばなかったんだーー…いや、ジャンのこういった格好も悶絶するほど可愛いがーーーって、違う、そうじゃない。そこを悔やんでどうする俺……。
「なんて言えばいいか……。俺の所為、だな……すまないーージャン」
 記憶が無いにしても、非科学的なことであろうとも、俺の恋人であるジャンがそう言うのだからそうに決まっている。だが、少しは情状酌量の余地があることを示すために、誠心誠意ジャンに謝った。ジャンはそんな俺を見て、ここぞとばかりに怒りをぶつける。
「〜〜っそうだよ!アンタのせいで、俺は今日一日帽子被ってなきゃなんなかったんだよ!」
 ジャンが俺に知られたくない秘密はこれだったのか。しかし、思っていたよりも大した事ではなくて、思わず口からほっ、と安堵のため息が漏れる。ジャンが俺に飽きたとか俺と別れたいとかいう話だったのなら、俺はきっと地中海よりも深く沈んでいた筈だ。気持ちが、すっと軽くなるような気がした。
「ごめん、ジャンーーー今日は大した会食しか入っていなかったとはいえ、一日それを隠しているのは大変だっただろう。言ってくれれば、多少の調整は聞いたがーー」
「言いたくなかったんだよ。俺はこんななのにアンタだけ喜ぶとか癪に障るし……恥ずかしすぎるだろ」
 なんてことだ。無意識とはいえ、これじゃ自業自得じゃないか。ジャンを責められても仕方が無い。確かに、朝事情を聞いていたら、俺はそれをジャンからの誘い文句とでも取って、浮かれて好きなようにしていただろう。いや、これを聞いてしまった今も浮かれているが。ぐうの音も出ない。
「これ、ちゃんと消えるか?」
「っ、それは心配ねえよ。今日一日だけって言ってたし、明日には消えると思う……」
「そ、そうか……良かった…」
 存外ジャンへの影響も少ないようで、また安堵の息をつく。ふい、と俺から顔を背けるジャンの顔をそっと覗きこむと、むう、と口を膨らませ、じろりと俺を睨んで来た。う、可愛いが、その顔は……目に毒だ。なんて言葉を発したものか分からず、俺は口をつぐむ。暫くの沈黙が落ちた後、ジャンが口を開いた。
「ハア……も、イイよ。アンタにもばれちまったし、こんなことになったのも女神サマの気まぐれの所為もあるからな」
「ジャン………」
 なんて慈悲深い俺の恋人。掬われた気持ちで、彼の前に膝を折って祈りを捧げたい気分だった。ああ、犬耳だから、耳が垂れてるのが分かってなんて愛らしい。
「で?この俺を見て、言うことは無いのカシラ?ーーーダーリン」
 ジャンが、犬耳をピクピクと震わせて、にや、と笑ったので、ジャンの前に片膝を折った俺はジャンの手の甲にそっとキスを落とす。
「最高に素敵だ。愛しているよーー俺のpuppy」



End



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