小説 | ナノ

  caffé fortuna -Buon giorno!-


 


 俺がひょんなことからこのカフェで働くようになってから、今日で2日目だ。初日からビシビシ扱かれたが、ルキーノのスパルタっぷりのお陰でようやく仕事も一通りこなせる様になってきた。の、だが……。
「マジで人来ねえじゃねえか!」
 がらん、とした店内を前に俺は一人叫ぶ。なんせ今日は開店からもう5時間ほど経っているってーのに、客の面影すら見えねえ。客が来なきゃ、俺すること無えじゃねえか!ちょっとは期待してた俺がアホだった…、と絶望し切っている俺に、背後に居たルキーノが、ふう、と肩を落とした。
「だから、言ってるだろうが。ここは立地が悪すぎるんだ」
「悪すぎだぜ……」
 なんせよくよくここまでの道のりを調べてみたら、この店はかなり奥まったところにあった。普通に歩いてたら気がつかねーで素通りしてるレベルだ。しみじみ思うがあの時の俺、良くこの店を見つけられたよな。
「今まで、客集めとかしてなかったのか?」
「まあ、チラシ配りやらしたにはしたんだが……。駅から少し歩く上にこの薄暗い路地の奥にある所為で、折角捕まえた客も駅前のカフェに取られちまってばかりでな」
 駅前?ああ、あの凄腕パティシエの作るケーキとウエイターが評判とか言うお洒落なカフェ店の事か。前にちらりと小耳に挟んだことがある。
「そら、あんなレディ向けの小奇麗な店には叶わないよなァ」
「ハン!ンなちっと顔が良い奴がやってるだけの店、何が良いってんだ。気に食わねえ」
 今までカウンター奥で俺達の会話を聞きながら黙々とグラスを磨いていたイヴァンが、ぴくりと反応したかと思うとイラついた表情でそう吐き捨てる。顔が良いのか、知らなかった。つーか、コイツ行った事あんのか?
「ン、あによ。あの店となんかあったのけ?」
「べ、べつに何も無えっつうの!ぐだぐだ言ってねえで働きやがれジャン!」
 イヴァンはどこか焦ったように否定した後、俺に怒号を飛ばしてくる。なんだよ、変な奴……。そう思っていると、隣にいたルキーノがそっと俺に耳打ちしてきた。
「アイツ、市場調査とか言ってあの店に行った事があってな。そのときに向こうのウエイターと揉めに揉めやがったんだよ」
「ああ、なるほどなァ」
 だから、嫌ってるわけネ。って、あれ……。
 ーーーン、待てよ……?
 俺はふと、本当にふとーーーピン、とある考えが脳裏に浮かんだ。もしかして、アレ……これならーーー
「………いけるかもな」
「ん?なんだ、ジャン」
 ぼそり、と呟いた一言を拾い取ったルキーノが、不思議そうに俺を見る。俺はバッ、とルキーノの方を見やると、にやりと笑みを浮かべた。
「ーーーイイコト思いついた」
「はあ?」
「イイコトだァ?」
 その言葉にルキーノとイヴァンが同時に反応して、なんだなんだと怪訝そうな顔で俺を見る。俺は嬉々として、さっき思いついたばかりの案の説明し始めた。
「俺達の顔で、客を釣ってやるんだよ!」
「イヴァンの話を聞いてて思ったンだけどよ、あの店の客って実の所、店員目当てで足を運んでるミーハーなレディが多いだろ?ーーーだからさ、俺達もそういう客をつければいい」
 俺の提案に、ルキーノとイヴァンはお互い数秒視線を合わせた後、おお、とかなんとか感嘆の声を漏らした。
「ーーー確かに大抵のレディ達は面食いだからな。カフェの利用客も最近は女性が中心になってきているから、上手く集客が出来れば上手く行くかもしれないな」
「……なるほどな。あの店の真似ってのがなんか気にいらねえけど、良い案なんじゃねえか?」
 ルキーノはへえと楽しそうな笑みを浮かべ、イヴァンは上から目線でお前にしてはやるじゃねえかという顔で俺を見ている。本当なんで、コイツらこんな上から目線なんだよ……。
「で?俺達の顔で釣るって言ったって、具体的にどうすんだよジャン?」
「ああ。チラシを作ってレディ達が喜びそうなコメントと、俺達の写真を貼り付けるんだ。ンで、駅前に行って俺達で配ろうぜ」
 イヴァンの素朴な疑問に、具体的に考えていた案を話す。チラシは今までにやっていた作戦でありきたりかもしれないが、簡単なものこそ効果が高い。
「配る、だあ?ーーそこらへんに貼っておけば良いだろ。なんでわざわざよお……」
 チラシの具体的な内容は良いとして、自らの手でそれを配って集客しなければならないのがイヴァンは気に入らないらしい。あからさまに面倒臭いという顔をして渋った。
「考えても見ろよ。そこらに貼ったとしてわざわざ立ち止まって見るか?それより、直接俺達の顔を使って集客した方がレディも釣られるダロ?」
 ルキーノもイヴァンもちょっと微笑まれたら妊娠するんじゃねーかと思うほどの色めいた顔立ちをしてる。コイツらが直接、少し芝居めいてても甘い言葉を吐いてチラシを渡しさえすれば、よろめかない女は居ないだろう。少しくらい立地が悪くてもどうにかなる筈だ。
「………」
 その言い分に、イヴァンは酷く複雑そうな顔をして黙り込んだ。数秒静かな沈黙が落ちる。なんだよ……なんか言えよう…、そう思っているとイヴァンより先にルキーノが口を開いた。
「へえ、なるほどな。そりゃ、良いじゃねえか。ーーなら、早速チラシを作ってやるとするか、イヴァン?」
「ーーーしょうがねえな……」
 ルキーノがそう促すと、イヴァンは渋々といった様子でそういうとカウンターの奥から出てきた。その頬が微かに緩んだのが目に入ってきて、ふは、と俺は小さく笑っちまった。なんだよ、良いと思ってたんじゃねえか。素直じゃねえヤツ……。
「んじゃ、いっちょ作ったりますか!」
 俺の言葉と共に、俺達は誰が来る気配も無い店内の中でいそいそとチラシ作りを始めるのだった。

 それから俺達は、ルキーノとイヴァンがチラシのデザインでひと揉めしたり、写真を何回も取り直したり、チラシを配っている最中ガラの悪い連中に絡まれたりと色々あったりしたが、無事にチラシを配り終える事ができた。妙な達成感を抱えたまま、俺達は帰路につき。それから、翌日。
 いつものように出勤してきた俺は、予想だにしない光景に開いた口が塞がらなかった。俺達が働いているカフェがある路地の奥へ奥へと続く長蛇の列。しかも、並んでいるのは殆どか弱いレディばかりだった。
「ワーオ……まじかよ」
 口からチンケな他人事の様な感想が漏れる。
 ーーこれ、俺達の店の客、か……?いや、路地の奥は俺達の店しか無えもんな……。って、まさか。ーーまさか、俺の考えたあのチラシ配りの効果があった、とか?
 ーーうえええええ……?
「なんてこったい……」
 並びすぎて、列が大通りまで出てんじゃねえか!
 驚きのあまり一人で突っ込みながら呆然と傍観していると、こちらを振り返ってしまったレディが気がつき声をあげてしまった。
「きゃあッ!あの人って、昨日このカフェのチラシを一緒に配ってた方じゃないかしら!」
「まあ!なら、店員かしら!?」
 彼女の声に釣られて、次から次へとレディ達が振り返って俺を見る。
 ーーーやべッ、
 ここで見つかるのは、なんとなく不味い気がする。俺は、帰り道チンピラに出会ってしまったかのような顔をしちまった後、とにかくここから離れようと歩を進めーーー
ようとした瞬間。
「ッうわァ!?」
 なにか強い力に引っ張られたかと思うと、いつの間にか俺は走り出していた。
なっ、今度はなんだよ……ッ!?突然の出来事に瞑ってしまっていた目をそろりと開くとあっという間に、目の前のレディ達が居なくなっているのが分かる。そのまま視線を動かすと、俺の腕は前に走る男らしい腕に掴まれていてーー後ろで結ばれてはためく赤髪が見えた。
「る、ルキーノッ!?」
「ーーいいから逃げるぞ!走れ!」
 一体何がどうなってんだよ!?
 疑問を今すぐルキーノにぶつけたかったが、ルキーノの怒号に従って俺達はただただ走った。
 大通りを左に曲がりぐるりと遠回りしつつ店の裏まで走ってくると、いつもゴミ出しなどに使っている薄暗い路地の奥に裏口があった。その狭い通路に入りルキーノが裏口をゆっくりと静かに開けると、視線で俺に入れ、と指示する。
 俺は音を立てない様静かに入り、ルキーノもそれに続いた。
「っーーーふう……なんとか切り抜けたな」
「はああぁーーーなんだよアレ……」
 扉を施錠すると、安堵から大きなため息が口から漏れ出る。まさか、出勤早々こんな目に遭うなんて思ってなかった。ギラギラと獲物を捕まえる猟師の様な目をしていたさっきのレディ達に、今更ながら背筋が凍る。
「ーーーお前の所為だっつーんだよ!」
 俺の独り言にもう既に出勤して店の中に居たイヴァンが反応して、キッチンから忙しそうに姿を現した。腰にエプロンを巻いて既に制服に着替えているイヴァンは、なにやらやつれている。
「……ってことは、例の集客、効果あったのけ?」
「あったなんてモンじゃねえ!お陰でこっちは準備で大忙しでよーーお前らも早く手伝いやがれ!」
 忙しそうだが活き活きとしていてどこか嬉しそうなイヴァンはそう言い放つと、世話しなくいい香りが漂うキッチンへと引っ込んで行った。
 ーーーな、なんだか良く分かんねえけど、上手く行ったの……か?
「ーーックク……、ハハハハッ!流石だぜ、ジャン!ジャンカルロ!お前は最っ高の犬っころだ……!」
 ぽかんと立ち尽くしている俺の横で、ルキーノは肩を震わせてついに堪えきれないといった様に噴出し盛大に笑った。ルキーノの大きな手が俺の金髪をわしゃわしゃと掻き回す。
「ッ、…わ、わ……!なん、っやめろよ、う……」
 かき乱された髪の隙間からルキーノの本当に楽しそうな笑顔が見えて、妙なくすぐったさを感じて。途端にどくどく、と煩く騒ぎ始めるそれを誤魔化すように、俺は苦笑いを零した。
 ーーーあーなんだコレ、クソ……ヘンだ俺。
「よし。もう直ぐ開店時間だ、準備を急ぐぞ。ジャン」
「ーーあ、ッお、おう!」
 ひとしきり笑い仕事モードに切り替えたルキーノの声にハッとして、俺も制服に着替えるべく更衣室へと足を進めるのだった。
 それから少しして。
 ルキーノとイヴァンの指示で、いつもより何倍も早いのだろう開店準備を最速で進めると、何とか開店時間に間に合うことが出来た。急いだが、仕上がりはいつもよりカンペキ。ルキーノもイヴァンも身なりを整えてスタンバイしてる。全てが完了したのでルキーノの指示で制服に身を包んだ下っ端の俺が店の扉を開け、期待に胸を膨らませている客達に声がけをすることになった。
「お待たせ致しました、お客サマ。ーーどうぞ、いらっしゃいませ」
 その声と共に、並んでいたレディ達が待っていましたとばかりにきゃあきゃあと店内へ流れ込んでくる。こりゃすげえ。雪崩のようなその勢いに巻き込まれないよう、俺は扉の裏へ身を隠した。そこに、ルキーノがすかさずスッ、とレディ達の前に出て席へとエスコートする。
「っ、と」
 ぼんやりとそれを見つめていると、ルキーノがお前もさっさと手伝えとばかりに視線だけ寄越したので慌てて俺もレディ達をエスコートする役に回った。
 ーーそれにしても、凄い数だなあ。さほど大きく無い店内の席だが、ものの数分でぎっちりと埋まっちまって、それでも外に長い列が出来てるほどだ。
「こちらへドウゾ」
 ルキーノに続いて、並んでいたレディ数人の下へ行き席へ案内する。辺りを見渡すと店内はざわざわとしてレディ達は落ち着かない様子でチラチラとルキーノに視線を移しては、こそこそとレディ同士で話合っていた。視線が殆どルキーノの奴を見てる。色気づいたピンク色のオーラを放ち、正に恋する乙女といえる視線が。それを見て、なぜか俺の胸の奥がチリッ、と熱くなった気がした。
 ーー、まただ。なんとも形容しがたい不思議な感覚に襲われて、違和感を覚える。
「ーー注文いいかしら?」
 何だ?と首をかしげていると、背後からメニューを持った麗しい女性が俺を呼びつけた。
「ア、ハイ」
 その声に慌てて俺は、そのテーブルに行き仕事を果たすべく注文を受ける。次々と放たれる注文。注文。また、注文。目の前の仕事に忙殺された俺はそんな些細な事などは考える暇も無くすっかりどこかへと行ってしまったのだった。


 それから暫くして、夜も更けてーーー
 ようやく客も引きそろそろ店仕舞いしようという1時間前。
「ッ、ハァアア………」
 俺は、朝とは打って変わって静まり返った店内のカウンター席に座り、ぐったりとテーブルに身をもたれかけていた。
 ーーー長い、一日だった……。
 まだ、入って2日目だぞ!?なのに朝から、あの客の山…。イヴァンはキッチンで休みなく注文の品を作り続け、ルキーノも常にホールにいて案内やら会計やら客のご機嫌取りで大忙し。俺は客の注文を取るのに精一杯で、ここまで乗り切れたのも半ば奇跡に近い。おまけに、レディ達はきゃあきゃあ騒いで隙あらば個人情報を聞き出そうとするわ、中々帰らないわで。ホストクラブかよ、ここは。
「イヴァン。スマン、珈琲淹れてくれえ………」
「アア!?テメーで淹れろや!こっちだって、疲れまくってるんだっつの!」
 カウンターテーブルの裏で、黙々とグラスを磨いているイヴァンに、俺は人差し指をピン、と立ててお願いする。しかし、イヴァンは俺を睨んでぎゃんぎゃんと騒ぎ出した。
 ………あーもう、うるせえ。
 俺はプンスカ怒っているイヴァンに視線を合わせ、満面の笑み(を作って)で言う。
「だって、お前が淹れてくれた珈琲の方が百倍ウマイからな」
「ッ、はァ!?な、なんッ……!」
 俺の言葉にイヴァンは完全に不意を突かれたようで、驚いて動揺した後、あからさまに分かりやすく頬を緩ませて恥ずかしそうに照れながら珈琲カップを手に取った。
「ーーーし、仕方ねえな……ちょっと待ってろ」
 ーーーちょろい。なんてちょろすぎるんだ、コイツ。
 ちょっと乗せてみただけなのに、まんまと俺の希望通りの行動を取り始めるイヴァンに笑いがこみ上げてきて噴出しそうになる。素直っつーか、馬鹿っつーか……。本当、見てて飽きない奴。
 イヴァンは手際良く珈琲カップに珈琲を注ぐまでこなすと、数分もかからずに俺の座っている席の前のテーブルに良い香りを放つ液体が注がれた珈琲カップが置かれた。
「ほらよ。お前が好きなブレンドだ」
「ン、サンキュ」
 ーーーああ、相変わらず旨そう。
 芳しい香りを肺一杯に満たして、ほっと息をつく。その珈琲に砂糖とミルクを入れてからかき混ぜてごくりと一口。
 口の中に、独特の苦味とコクと、それに甘さが広がって胃と心を満たす。
「ーーあーやっぱ旨え……」
 そんな単純な感想が、口からぽろりと漏れた。
「そ、そうかよ」
 イヴァンがまた照れくさそうに顔を逸らす。ようやく、落ち着けた気分になって俺は半分ほど減った珈琲が入ったカップをソーサーに戻した。
「ーーにしても…まさか、あんなに客が来るとはネー」
 短時間でアレだけのコトで。今更ながら、信じられねえよなあ。
「全くだ。お陰で、良い運動になったぞ」
 閉店の準備を裏の控え室でやっていた筈が、いつの間にか隣の席に座っていたルキーノが、実に良い顔で笑う。……いつの間に。つか流石、体育会系。こんくらいの運動量、屁でもないカンジだな。
「ったく、呼び込みすぎなんだよこのタコ!こっちは一人で裏で全メニュー作ってよう……死ぬかと思ったわ」
 カウンターの裏に立っているイヴァンが、今日一日でかなりやつれた顔をしながらここぞとばかりにぶつぶつと文句を零す。ここの店のメニューはそんなに数が無いが凝ってるのもあったりして、更にはあの客達の来店率だ。まあ言うまでもないが、一人でやれる量の限界は超えていたし俺とルキーノよりも大変だっただろう。客が来たは良いが、俺もそこまで考えてなかったんだよネ。だって、半分ダメ元の案でしたし?
 ーー今日ばかりは同情しちゃうぜ。スマン、…イヴァン……。
「これからは、イヴァン一人じゃ流石に限界があるな。また新しく従業員を雇うしかない、かーー」
 人件費がかさばる今後のことを気にしてか、ルキーノは苦虫を噛み潰したような顔をして小さくため息をつく。俺も、そんなルキーノを見てこれから大変そうだな、と人事の様に思った。
「ーーーそう直ぐに見つかるもんかねえ」
 と、独り言のようにぼんやりと、そう呟いた。
 次の瞬間。
 カラン、カラン。
 扉に付けられたベルの涼しい音と共に、『CLOSED』と書かれた看板が下げられていた筈の扉が開かれた。は?と俺達三人は、予想外の音に一斉にそちらを振り向く。
「ーーー失礼するよ」
 するりと耳に入ってくる落ち着いた声。そこに立っていたのは、質の良い黒コートに身を包み緑色の長髪に黒縁眼鏡をかけ僅かに微笑を浮かべる長身の優男と、薄手のカーディガンを羽織り、美形すぎる顔立ちに黒い手袋と銀色のペンダントをした紫色の髪の男だった。



 To be continued...






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