小説 | ナノ

  幸運のともしび


 ちゅん、ちゅんという小鳥のさえずりと共に、カーテンから差し込む朝日が俺の意識を浮上させる。朝が来た、そう認識すると共にげんなりと俺のテンションは萎えた。
「朝、かーーー」
 10月10日――とうとう今年もこの日が巡ってきた。この街を支配する我らが組織、CR-5。その頂点に立つカポことーー2代目ボス、ジャンカルロ…そう、この俺の誕生日が。しかし、だ。
 毎年のことではあるけど、当然の如く俺はこの日…カポの誕生日パーティという表づらだけの看板をぶら下げた役員会共のご機嫌取りをしなくてはならない。こういう組織であるが故に、ボスの誕生日というのは盛大にパーチーするべきだっていう頭の硬い爺さん共が考えただろう暗黙のルールがあるからだ。まあ、組織のトップとしてこういうイベントは蔑ろにできねーってワケ。あっちとしても無礼講とは行かないらしいし。うーうー行きたくねー…起きたくねーよう…。このままパーティ会場が爆発でもして、全部おじゃんにならねーかな…。
 逃れようのない現実を振り払うように、俺は枕に顔を埋めて襲い来る睡魔くんと仲良くすること決めた。ふかふかのシーツにくるまれながらまどろむこのひと時が何より幸せだ。
「ーー…ジャン、ジャン……、もう朝だよ…」
 蕩けかけていた意識の片隅で、アメちゃんより優しく甘い声色で言葉を紡ぐ大好きな美声が聴こえた。俺のダーリンの声だ。うっすらと瞳を開くと、俺の肩をゆすりながら困った風に笑うベルナルドの姿が見える。
 まだ寝起きらしく上半身裸だが、長い髪を横で緩く束ねたダーリンはどんな王子だろうと敵いっこないくらいエロ格好良い。ワオ、素敵すぎる目覚ましだこと。
「ん、…はよ……べるなるど…」
「おはよう、ジャン。…ふは、寝癖が凄いな」
 ぼんやりとベルナルドを見つめていると、優しく髪を梳かれる。幸せそうに笑うベルナルドの顔に俺も幸せだなあなんて思っちまう。
「そうだ、ジャンーー誕生日おめでとう」
「ン…グラッツェ…てかよう…昨日、ソレ散々言ってたじゃねーか…」
 昨日、俺とベルナルドは半ば無理矢理と言って良いほど強引に二人分の休みをもぎとった。会合やら誕生日の準備やらなにやらで目が回るくらい忙しかったけど、そんな事は無視して、事は全て可愛い部下共に押し付けたのだ。こんな時期にベルナルドも俺もストなんて暴挙極まれりだが、いつも無理させているから一日ぐらい俺たちでなんとかしてやる、と部下達は広い心で認めてくれた。あぁ、上司思いの部下を持って、俺は本当に幸せだ。イヴァンだけはぐちぐちと文句を垂れていたケド。
「こういう事は、何度言っても良いだろう?」
 ベルナルドは俺の額に軽くキスを落として笑う。あんた一時間に一回言う勢いだな…。昨日もぎとった休みで、俺たちは溜まっていた鬱憤やらなにやらを全て吐き出した。いつの間に手回ししてたんだか予約していたらしいベルナルド一押しのリストランテに連れて行かれたかと思えば、これでもかと言う程のうまい飯と酒を味わいーーー…その後は、コイツに連れられ、ベルナルドが俺の誕生日を一緒に祝う為に、用意しておいてくれたケーキで囁かだが二人で前夜祭を上げた。そして、マメなダーリンは0時きっかりに俺の誕生日を祝ってくれ、モチロンたっぷりと熱烈に俺を愛してくれくださったわけで。もーオジちゃん元気過ぎ。ここんとこ激務続きだったのに、どこにそんな体力があるのか…俺もうついてけねえわよ。
「ま、どーせこれから、狸共から嫌ってほど言われちまうケドな」
 去年のパーティの様子が自然と頭に浮かんで苦笑いが漏れる。そんな俺に、ベルナルドはより一層笑みを浮かべて恭しく右手を胸の前に添えた。
「そんなカポに朗報でございます。残念ながら、本日パーティは彼方の事情で延期になりましたーーー」
 その言葉に俺はばっ、とシーツを跳ね除けて起き上がった。発せられた言葉が信じられなくて、 思わずベルナルドを見つめる。え、幻聴…か…?俺の聞き間違いか…?!
「えーっと……ソレ…冗談か…?」
「冗談の方が良かったかな?」
 ふ、と嬉しそうに笑顔を浮かべるベルナルドを見てじわじわと実感が湧いてくる。堪えきれない笑みが俺の口元に灯った。
「んなワケねー!…ワオワオ!マジで!?」
「ああ、何故だか分からないが偶然に偶然が重なってね。今回は、延期ということで話がついたんだ。だから、ジャンは今日丸一日休みということで構わないよ。ここのところ無理させていたしね―――ふふ、これもお前のラッキーのおかげかな」
 と、いうことは……俺とベルナルドは今日一日オフ…でいいんだよな!確か、もう仕事は部下に任せても問題ないものばかりだったろうし。ワオワオ!ベルナルドと前夜祭だけじゃない、当日も一日一緒に過ごせる……なんて――俺は最高にハッピーだ。ああ、そりゃもう大手を振って女神の祝福に乾杯したい気分だ。
「そりゃすげえ!幸運の女神様には頭があがらないわん。……って、それはそうと、勿論ダーリンは今日俺と一緒にいてくれるんだよな?」
 なんとなく確認しておきたくて俺はベルナルドにそう尋ねる。当然だよ、と即答してくれると期待していたのに、ベルナルドは数秒考え込んだ後申し訳なさそうな顔を浮かべて口を開いた。その表情だけで嫌な予感がばりばりするんだケド。
「とても素敵過ぎるお誘いだが―――すまない……、俺はこれからどうしても外せない重役との取引があるんだ。……あ、あまり遅くならないようにするから、…その…」
 あ…。その言葉を聞いた瞬間、嬉しさが一瞬にして萎える。俺と今日一緒に居てくれると思っていたダーリンは、オシゴトが忙しいらしい。女神様はそう甘くはない、ってコトかな。
「ーー…あ、あー……ソウ。…そうけ、何時も大変な思いさせて悪いな。頑張ってこいよ」
「…本当にすまない、ジャン…帰ってきたらきちんと埋め合わせさせてくれ」
 ベルナルドは悲痛な顔を浮かべながらもう一度俺に謝った。俺はしょうがないと、ベルナルドに笑顔を向ける。本当にしょうがないと思った。そりゃ心底残念だけど、仕事はやらないわけにはいかない。俺も男だし、そこらへんは理解している。ましてや、ベルナルドは筆頭幹部…この組織で欠かせない人物だ。こいつにしかできない仕事だってあるだろう。
「んな、気にすんなって。前夜祭もしたし、元々パーティに追われる予定だったろ」
 名残りおしそうに俺を見つめるベルナルドをそう言って急かす。けど、本当は自分に言い聞かせていた。
「…まあ、な…。…悪い…。じゃあシャワー浴びてから出るよ」
 本当に悪いともう一度俺に頭を下げたベルナルドは、とぼとぼとバスルームへ向かう。その背中があまりにも寂しさを背負っていて、俺の口からつい苦笑いが漏れた。
 俺の誕生日を誰より楽しみにしててくれたのはダーリンだもんな。もしジャンのラッキーで明日が休みになったら一日ハネムーンと決め込もうか。ハハ、俺の誕生日に新婚旅行か、そりゃいいな!愛しの旦那サマは何処に連れて行ってくれるのけ?…なんて巫山戯た会話をしていたのが昨日のことだ。なんの因果か、その通りになったっていうのに、ここはやっぱり現実だった。二人仲良くハネムーンなんてのは所詮淡い夢だ。微かにバスルームから水の流れる音が聞こえる。俺はそれをなんとはなしに聞きながら、ぼんやりと部屋を見回していた。そんな時、ふとバスルームから少し離れたクローゼットの横に置いてある革靴が目に入った。ぴかぴかと磨かれ黒い輝きを放つそれは、ベルナルドが愛用している靴だ。
 ベルナルドは、シャワーが終わったらこの靴とピシッと決めたコンプレートを身につけてあの電話線の海に飛び込んで行ってしまうんだろう。そしていつ帰ってくるか分からない。胸の奥からもやもやしたものがこみ上げて来る。それが何なのか確認しなくても俺には分かっていた。これは、この理不尽な仕打ちへの行き場のない寂しさだ。いつもなら、仕事なんかで誤魔化しているけど、今日はそうもいかない。こうしているとぽつん、と部屋に俺一人取り残された錯覚に陥る。あー…クソ、誕生日なんか食らえ。
 ベルナルドが隣に居ないのなら休みだろうが誕生日だろうが俺にとってはなんら意味をなさない。パーティで終わる一日とさほど変わらないのだ。まあでも、これならパーティの方がマシだったかもな。パーティに参加して入ればペンギンさん達の会話に集中してなければならないから、ベルナルドのことを考えずに済むかもしれない…この部屋に一人で居ると気を紛らわせることも出来そうにねえし。
 くそ…。
 今日一日デイバン全てホリデーになればいいのに…。
「ふぁっく……」
 意識せずに、口から罵倒が漏れた。やっぱり行って欲しくない。組織のカポが何言ってんだ、って感じだが、今年だけはどうしても行って欲しくなかった。ベルナルドと出会って数年。俺がカポになってから何年経っただろう。毎年俺の誕生日は嫌でもやってくるっていうのに、その殆どを俺たちはゆっくりと過ごした事がない。お互い立場もあるし、しょうがねえ事だって分かっていたから我慢していた。けど、今年はなんの偶然かパーティが延期になるというラッキーな事が起きたワケで。今年を逃せば、このチャンスはもうやってこない、どこかでそんな気がしていた。でも、俺が素直に行って欲しくねえとベルナルドに言えば俺に甘過ぎなアイツはきっと、相当困るだろうな…。俺と仕事とどっちが大事か、なんて聴いてるのと同じことだ。それに、俺にとってそれを素直に言う事は、カポとしての立場や仕事の大切さを分かっているからこそ難しいことだった。
 もし万が一俺が言った言葉でベルナルドが仕事を押しのけてここに留まっても、俺はきっと心から楽しめないし、留まったベルナルドに仕事を優先させると思う。
 …やっぱり言えねえよな…。
「はあ…」
 自然と、口から溜息が零れる。
 結局俺は、此処で一人寂しく休日を満喫しなきゃいけないのネ…。あーあ、ジュリオでも誘ってドルチェとか食いに行くかな…。あ、ジュリオも今日忙しいんだった…そんな暇ないよなあ…。
 バタン!
 そんな音がしたかと思うと、がさがさと脱衣所から音がした。どうやらベルナルドが風呂から上がったらしい。ぼんやりとしていると、カチャリと扉の開く音がしてバスローブを身に纏ったベルナルドが現れた。まだじんわりと濡れている緑色の髪に眼鏡をかけていない美形がとても様になっていてため息を付きたくなる。格好いいなクソ。
「ン、なんだい?」
「……いんや、別にー」
 髪を拭きながら、こっちへ向かってくるベルナルドを見つめていると、視線が合った。ふ、と笑ったベルナルドになんとなく視線を逸らしてしまう。
「それにしても、こんな時まで仕事なんて何考えてんだよあの爺共は…」
「全くだ。最近は予定外の事も多くて、仕事が滞ってたから言えない部分もあるんだけどね」
 そう笑いつつ、ベルナルドはクローゼットを開けてバスローブから見る見るうちに新品のコンプレートへと変わっていった。やっぱりベルナルドのコンプレート姿は本当にいい男そのものだ。しゅる、と布が擦れる音と共に、首にネクタイをかけたのをみて呼び止める。
「ダーリンこっちきて」
「ん?なんだいハニー」
 そのままの格好で俺の前に立ったベルナルドに、俺はベットの淵に座りかかっているネクタイを掴んだ。そのまま手際よくネクタイを滑らせ結んでやる。
「ン、イイ男」
 仕上げにちゅ、と頬にキスを送ってから離れると、ベルナルドは数秒ぽかん、とした顔で俺を見た後ふ、と破顔した。でろでろに緩みきった顔で、俺にお返しとばかりにキスを返せれる。はは、もうダメオヤジになってら。
「…ジャンからこんなにサービスされるなんて……ああクソ、本格的に出かけたくなくなってきたよ」
 でかけなきゃいいだろーがよう。なんて口には出さずに呟く。
「オシゴトが寂しい顔して待ってるんダロ。頑張ってな」
 俺はいつも通り笑ってベルナルドの肩を叩き急かした。それに押されるように、腕時計を一瞥したベルナルドは苦笑いを零し、もう一度、今度は俺の唇に軽くキスを落とした。
「悪いな、ジャン。すぐ終わらせて帰ってくるから、そうしたら昨日の続きをしよう」
「―――…ん、いってらっしゃいダーリン」
「ああ、行ってくるよ――」
 名残惜しそうに背を向けるベルナルド。その背中が玄関に向かっていき、俺から徐々に遠ざかる。
 行くなよ……ばかやろ……。
「べ、る」
 そう本能的にベルナルドに手を伸ばして呼び止めようとした瞬間――
 Ring!Ring!Ring!Ring!
「ッ!」
「わ、っ」
 けたたましいベルの音が部屋に鳴り響いた。途端、動いていたベルナルドの足と、俺の手がぴたりと止まる。
「電話――…か?」
 こんな時間にこの部屋に電話。それを不審に思ったのか、ベルナルドは俺の横をすり抜け一目散に鳴っている電話へと走り受話器を手に取り耳に当てた。
「――俺だ」
 なんだ?部下からの報告かなんかか…?
「ああ…。……え?ほ、本当か…!そ、そうか………ああ、わかった――」
 会話はすぐに終わり、かちゃんといい音をさせて振り返ったベルナルドは、満面の笑みで立ち尽くしている俺に抱きついてきた。
「っうわ!?ど、どうしたん――」
「やったぞジャン!今からの取引は中止だ!」
 俺がなにか言う前に発せられたベルナルドの言葉の意味が一瞬分からずに固まる。
 は…中止…!?
「はあ!?…な、なんで――」
 狼狽しながら、わけがわからずに理由を問うと、落ち着きを少し取り戻したのがゆっくりと喋り始めた。
「ここへ来る途中、取引相手の車が接触事故を起こしたらしいんだ。ああ、相手は軽症ですんだそうだから問題ない。…それで、今日はここにはこれないと連絡があったんだよ」
「ッ――じゃ、じゃあ…ベルナルドも、…今日一日オフ、ってこと…か?」
 まだこれが現実じゃないような不思議な感覚に捕らわれつつも、ベルナルドにそう確かめると強く頷かれる。
 こんなの、アリか―――
「ああ…。はは、ジャン……、お前の誕生日にずっと一緒にいられるなんて――…なんだか全てが報われたような気分だよ」
 ベルナルドの本当に嬉しそうな声が耳を擽って、俺も感極まってぎゅう、とベルナルドの肩に頬を埋めた。
「ッう〜、クソ、誕生日に主役を放置プレイさせようとしやがって!」
「ふは、悪かったよ。お詫びになんでもお聞きしましょう、お姫様」
 そう言って恭しい所作ですっとかっこよく差し伸べられた手に、俺はどうしようもない嬉しさと、無駄にもやもやさせたことへの苛立ちをぶつけるべく、俺はベルナルドを困らせにかかるのだった。
「まずは、じゃあ、風呂入らせろ」


END

prev / next

[ back to top


×
人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -