夢か現か
とある日のベルナルドの執務室にて。
「ベルナルドー、話合わせてきたぜー…ったく、ダーリンは人使いが荒いんだから…ホイ、調査書。」
入ってくるなりそうぼやいたジャンは、面倒臭そうに手に持っていた書類を、マホガニーの机の上に置いた。フワリと揺れたジャンの髪のところどころが跳ねているのに、くすりと笑みを誘われる。どうやら、シカゴの重役との話し合いは長丁場だったらしい。
「すまない、助かるよジャン」
俺は書類を確認すると、内容が正確であることを確かめて受け取った。今回、密輸組織に探りをいれるためにこの調査書の存在がどうしてもかかせず、制作の為、重役の調査をジャンに行って貰っていたのだ。本来なら部下を用いるのだが、重役のためそうもいかなかったという訳だ。
「ダーリンの為ならこれしき朝飯前よん」
そう茶化すジャンの目の下にはクマができていて、この報告書の為に寝る間も押しんで、時間を費やしてくれたことがわかる。ジャンもただでさえ忙しいだろうに。俺は申し訳ない気持ちでいっぱいになる。
「でも、さすがにねみぃわー」
「なら、しばらくカポを休ませるよう、俺から言っておくよ。この後は、大した仕事は入っていなかっただろう?」
そういうとジャンの表情はパッと綻んだ。とっても嬉しそうに。
「ワオワォ!マジで!?ベルナルドおじちゃん太っ腹〜」
「まあ、無理言って迷惑かけたからね。ゆっくり休むといい」
「サンキュー!じゃ、早速休ませてもらいますかね」
そうしてジャンは伸びをすると、俺にくるりと背を向けて扉へと向かう。段々遠ざかっていくジャンの後ろ姿。それをみつめていると、名残推しさに思わず呼び止めるような言葉が口をついて出た。
「…ジャン」
あ、しまった。つい。
「んあ?あによ」
ピタリと歩が止まり、ジャンが俺の方を振り返る。キラリと輝く金糸に見惚れながら、俺は慌てて思いついたことを口にする。
「…あ、いや、…その、キャンディおひとつ如何かな?丁度いい品があるんだ」
「え、飴ちゃん持ってんのかよ?アンタ甘いもの好きだったっけ?」
「あ、ああ…最近好きになったんだ」
嘘だ。本当はジャンにあげる為だけに買った。俺は机の引き出しから袋を取り出すと、中の飴をひとつまみしてジャンの手のひらに載せる。
「うんまそー、つか高そー…マジで貰ってもいいのけ?」
「俺とハニーの間に遠慮はないからね」
「ヤダワ、ダーリンたら」
――――コン、コン
そうしていつものふざけ合いで幸せな時間をすごしていると、俺の執務室のドアをノックする無粋な音が俺たちの耳に届いた。続けて発せられる声。
「ベルナルド、いるか?俺だ」
声の主はルキーノのようだ。目の前のジャンがピクリと反応したのが解る。
「ルキーノか、入ってくれ」
そう言うと扉がガチャリと開かれ、ルキーノが入ってきた。
「る、ルキーノ」
「なんだ、ここにいたのかジャン」
ルキーノと目があったジャンは、怯えたように目を逸らして、そっと壁の方へ後ずさりする。ジャンになにかやったか、ルキーノの奴。
「領収書だ、よろしく頼む」
バサッと机の上に置かれた領収書の束を見て、俺は心底げんなりした。なんだ、この量。
「またか、ちょっとは削減してくれよ。」
「考えんでもないがな」
少しも悪びれた様子がないルキーノは、用はそれだけだと言わんばかりに俺から背を向けた。
「あ、じゃあ俺は休むワー…じゃあなーおまいら」
ジャンの方に向けられたルキーノの視線とジャンの視線が一瞬交わる。それを慌てて逸らしたジャンは、どうにも気まずそうな――なんだか引きつった顔で、俺たちが話してる隙に扉へ向かおうとした。
「待て」
しかし、それは既にジャンの目の前まで来ていたルキーノに、阻まれたらしい。
バンッ。
突然の大きな音に俺は顔をあげてそちらを伺うと、ルキーノの腕で作られた囲いの中に、ジャンが閉じ込められていた。どうやらさっきの音は壁を叩いた音だったようだ。
「なッ、なんだよう…」
「理由はお前が一番分かってるよなあ?」
にやりと、不敵な笑みを浮かべるルキーノに、壁ドンされ怯えて目を逸らすジャン。それを見つめている俺…なんだ、突然この状況は。
「は、はァ?なんのことだよ?」
「とぼけるな、今朝ゴミ箱に捨てられていたのを発見したぞ。あ?」
「あったりまえじゃねーか…あんなもん!」
あんなもの…捨てた?
俺はイマイチ二人の話の内容が理解できない。プライベートな事だろうから盗み聞きなどよくない、と思いながらも好奇心の方が勝ってしまう。それに、聞こうとしなくても聞こえてきてしまうのだから仕方がない。
「白状したな…やっぱりお前か…」
「お前が捨てたあれはせっかく俺が用意した最高級のナース服だったんだぞ!」
ナース服…?
俺は思わず耳を疑う。ナース服を用意した…、ルキーノが…?一体どういうことでこの状況になっているのか、凄く興味をそそられるな。
「あ、あほかああああ!!あ、あ、あんなもん2度と着ねーっつっただろうがよ!残しとくあんたが悪いんだ!」
着た…!?ジャンが!?ナース服…を!?
イラついたように怒るルキーノに、何故かジャンは顔を赤らめて反抗する。いったいどういうことなんだ…ジャンが…ナース服を…!?頭が混乱する。そんなことにも構わず二人は自分たちだけの世界に入ってしまっていた。
「ほう…?そういう口を聞く悪い子にはお仕置きが必要だなぁ?」
「ハァ!?俺はこれから休むんだよ!」
「丁度いいじゃねえか、これからたっぷり部屋で可愛がってやるよ。」
「オイ、ざけんなッ!ちょ、…!降ろせ〜ッ!」
にや、とルキーノが口角をあげるのにジャンは更に顔を赤らめて抵抗する。その様子のジャンをルキーノは軽々担いで、とっとと部屋を出て行った。俺は1人流れに取り残され、呆然と閉じた扉をながめるしかなかった。
「なんだったんだ…今のは」
嵐のごとく過ぎ去っていったぞ。
「ハァ……」
静かになった執務室の中、俺はひとり悶々と悩む。もしかして、あいつらはそういう仲なのだろうか?たしかにそういう素振りはあったような気がしないでもないが。もしかしたらジャンはもう………まさか、な。そんなはずないだろう。思い浮かべた想像が酷く馬鹿らしくなってきて、俺はさっさとそんな思考を彼方に葬り去った。そして俺にできることはやはり仕事しかないと、仕事の方に集中し、すごすご再開し始めるある日の午後なのだった。
end
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