小説 | ナノ

  怪我からはじまる幸せ


 冷房の効いた執務室で、ジャンは黙々書類と格闘していた。これは、ここにサインして...こいつはベルナルドに確認とらねえとなっと...後は、......。
「..てッ、...」
 書類をめくろうとすると指にピリとした痛みが走る。痛みを感じた手のひらに無意識に眼をやると、薬指の節からじわりと赤黒い血がにじみ出ていた。うわ、血ッ...ヤベ、書類にかかるッ、...。
 慌てて書類をどかすと、いつもダーリンに持たせられているハンカチをポケットから取り出して血をぬぐった。
「...あちゃー」
 ま、しばらく傷口に当ててれば治まるだろ。それにしても、いつの間に薬指なんて怪我しにくいとこ怪我したんだ?無意識に書類でスパッと切っちまったのかもなあ。
「ハア...ちょっときゅうけ〜」
 仕事に集中しすぎっつーのもよくないのかもしれねえし。
ペンをマホガニーの磨かれた机に放り投げると、手を押さえながらコキッ、と首と肩を廻す。それからぎし、と重厚感のある椅子の背もたれに寄りかかると、ゆっくりと目を閉じた。
「ふぁあぁ、ねっみー...」
 早朝からずっと働き詰めだもんよー、俺このままここで寝ちまいソー。この椅子すげーいい座り心地だし。
 そのままうとうとしていると、執務室の扉を叩く軽快な音が意識を現実に引き戻した。
「ッは…、ふあーい?」
 あくびをしながら生返事を返すと、扉の向こうからクスッと笑った気配がした。誰だよ、笑うなんて失礼ネ。
「入ってドーゾ。どちらさまですのん?」
 入るように進めながら、だれかと尋ねるとカチャリと開いた扉から青林檎色の髪が覗く。
「やあ、ハニー。逢いたかったよ」
 扉を開けて現われたのは、俺の信頼できる部下であり、組織の財政を握る冷酷な顔を持つ筆頭幹部、そして俺の・・・恋人だったりする男、ベルナルドだった。
「アラ、ダーリン!アタシもよ。わざわざ出向いてきたってことは、なにか用事かしらん?」
「御明察、ジャンのサインが必要な書類をいくつかもってましたゆえ、ご確認をとね」
 いつものお巫山戯口調で話し合っていると、そのままベルナルドは机の前に立ち止まりその上にどっさりと膨大な量の書類を置いた。
「うわっ、こんなにかよ!?」
「年末が迫ってきているから仕方ないんだ、すまないが頼んだよ」
 申し訳なさそうなその表情になにか言う気も失せて、やるしかあるまいと溜息をついた。
「おーけー了解…」
いっちょ、始めるか。
 俺は苦笑を浮かべ、押さえていたハンカチをテーブルに置いた手で、ペンを再び手に取ろうとする。すると、動作の違和感に気がついたのかベルナルドが俺の左手を指す。
「ジャン、その左手どうしたんだい?」
「え?」
「ちょっと、見せてごらん」
 そういって俺の手をそっと取るベルナルド。
突然のことにきょとんとしていると、ベルナルドは心配そうに俺の左手の切り傷ができている薬指を指先でそっとなぞった。やべ、今なんかゾクッとした...え、いまのなんだよオイオイ。
「ああ、切り傷ができてる...。ハンカチで押さえていたようだし、さっき怪我したのかい?」
「ん、わかんねーけど...多分書類でスパッとネ。気が付いたら血がでてた」
「全く、気をつけないと駄目じゃないか」
 ベルナルドは傷を見て、痛々しそうな表情を浮かべ机に置かれたハンカチを手に取る。それを水にぬらしてくると、ジャンの傷口にそっとあてた。
「ちょっと染みるよ」
「ッ、いっ!」
 指からビリッと痛みが走って反射的に体が跳ねた。・・・あててからいうなよおせえっての!涙眼になりつつハンカチを持ったベルナルドの手を押さえる。
「もーいって...!こんなんたいしたことねーし、すぐ治る」
「何言ってるんだ、もし傷が酷くなったらどうするつもりだ?悪化したくなかったら我慢して」
ベルナルドの心配そうで、真剣な瞳に見つめられると俺はなにも言えなくなる。
「イッ...ハイハイ」
 ったく、こんな掠り傷で心配性なんだから、ダーリンは。ま、心配されるのも悪い気分じゃないケド。
 されるがままになっていると、ベルナルドは執務室にいつも常備してある救急用の道具箱を開く。かと思うと、水気をぬぐい薬を塗りその上に小さな包帯のようなものを指に巻いてくれた。おおー、さすがベルナルド。あっという間に終った...ホント、手際いーっつーか...面倒見あるよね。こういうとこも格好いい、惚れるわダーリン。もう惚れてるけど。
「はい、終ったよ」
「ン、grazieーベルナルド」
「今度からは気をつけてくれよ。」
「ヘイヘイ.........あ、...ッ」
 返事しながら巻いて貰った指にさりげなく眼をやると、気づいてしまった『事』に不自然に声を上げてしまう。あ、しまったと思っても時すでに遅し。
「どうした?」
 案の上ベルナルドは、俺の様子を伺ってきた。なんでこーいうときに限って、ポーカーフェイスできないかなァ。くそう。
「いや、な、んでもね...…」
「ジャン・・・?なんで顔赤いんだ?熱でもーーー」
「ッや、なんでもねーってば!」
 俺が慌てて手を振ってごまかすと、それを見透かしたようにアップルグリーンの瞳が俺をとらえる。その眼は真剣で、眼鏡ごしでも心臓どっかいきそうなくらい綺麗だ。ああ、なんでこんな格好いいんだよこいつ!益々頬が赤くなるのが自分でもわかった。
「本当に?」
「ッ、う・・・べつに、言うほどのことじゃ...」
 そんなじっと見んなよう・・・。
「……ジャン」
 甘く優しい声色で俺の名を呼ばれたら、もう隠すことなんかできやしない。仕方ないと俺は口を開いた。
「ッ、―――イヤ...なんつーか...これ、さー」
 俺はさっき治療してもらった指を見せながら、思っていたことをぼそりと呟いた。
「――――ソノ、結婚指輪みてーだなあと、.........おも、って...、さ」

「――――――」
「………………」
「…おい」
 なんかいえよばか!だから嫌だったんだよ!
 重苦しい空気に耐えかねた俺は思わずふいっ、とそっぽを向いてやる。すると、ベルナルドの細い指先が俺の頬を撫でていき、近づいてきた唇が頬にあたる。ちゅ、というリップ音。キスをされたと脳が理解すると同時に心臓が高鳴ってくる。キスなんて、今まで数え切れないほどしてきたのになんでこう心臓どきどきしちまうのかな。
「ジャン…お前...なんて可愛いこと言うんだ...」
 至近距離でベルナルドと目がかちあう。甘く蕩けて嬉しそうなその表情。そんな嬉しそうな顔されるとものすげー恥ずかしいんですが。自分でいっておきながらだけどネ!
「左手の薬指は婚約の証、だからかい?」
「......ン」
 こくんと頷く。左手の薬指は結婚するときに指輪をはめる場所。だからこの包帯を巻いてもらったとき、なんかベルナルドから貰った指輪みてーだなって思った。俺達は決してこの関係を公にできねえから、こういう気分なのかって、ちっと嬉しく、なった...、っつーか...。あ―――...こんなピンク色の思考回路してる俺って...恥ずかしすぎる...!
「ということは...それは、遠まわしに結婚したいってことかな?」
「!?はっ、はァア!?違うし!あ、い、いや...したくねーってわけじゃねーけど!そういうことじゃなくてッ、って、何言ってんだ俺・・・!」
 俺が取り乱していると、ベルナルドは俺の手をとり、そっと口付けこういった。
「ならしちゃおうか、ジャン」
「―――――え...は、あ?」
 なにを?俺の思考が一瞬停止した。
 突然いい顔でそんな事を言われて反応が遅れた。い、今何言った……?
「なっ、するって…なにいって、」
「だから―――結婚さ。正式に式をあげることはできないけど、指輪の交換と、誓いのキスくらいのひっそりしたものならできるだろ?」
「……本気かよ?」
 視線を合わせてベルナルドの真意を探ろうとする。
「こんな冗談はいわないよ」
 しかし、いつもの優しい笑顔でそういわれればもう、俺の中で感情がじわりとひろがって溢れてくる。駄目だ、泣きそうだぞ俺...。
 俺たちはそういう一般的なくくりに入ることは叶わないと、わかっていて、ベルナルドが俺とともにいるために色々思案してくれるのが嬉しい。自然と涙腺が緩むのを感じて慌てて笑顔を取り繕う。
「―――ん、なら...近いうちにプロポーズしてくれよ。今度は本物の指輪を俺の指にはめてさ」
「それはいい提案だね。また今度実行に移すとしよう。」

 そういって楽しそうに笑うとベルナルドは俺の指にちゅ、とキスを落とした。まるで誓いのキスみてぇに。思わぬサプライズだ。嬉しすぎて、俺はここが執務室だということも忘れてベルナルドにギュウと抱きつく。それを優しく抱き返してくる優しい腕。
――――嬉しい、嬉しい、嬉しい、例え正式な式じゃなくたって、誰からも祝福されなくても、アンタがそういってくれたってだけでもう、十分だ。
「早く怪我を治さないとな、ジャン」
「ッ、」
 そういって笑うベルナルドに、たまらなくなる。今声を出せば泣いてしまいそうな俺は仕草でうなずいてやる。そうしてそのまま何も話さず、ただ抱き合っていた。
―――俺のなにげない一言から決まってしまった結婚話。こんなことになるなんて思いもしなかった、俺たちはこれからどうなっちまうんだろう。不安も数え切れないほどある...、
 だけどそれ以上に、今はたまらなくなる程の幸せをただ感じていたくて、俺は廻した腕の力をそっと強くしたのだった。






end



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